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古代人の信仰体系④貫前神社

2015.04.09.Thu.13:48
★貫前神社の歴史

貫前神社s
★尾崎先生の講義
はじめ、甘楽郡には外来人が貫前の神をまつっていた
そこへ碓氷郡の方から物部の人々が入り込んできて、外来人を東に圧迫し、抜鉾の神をまつった
両神社が近くに鎮座することになったが、律令制の時代には、貫前神社が朝廷や国府から重要視され「延喜式」にも名神、大社の待遇を受けている
ところが、武士が起ってくると、武器や武具についての神であり、神話の武神である経津主の神が崇敬されるようになり、抜鉾神社は上野国一宮となって、江戸時代の末まで専ら抜鋒神社で通ってしまい、貫前神社は弥勒堂(本地堂)だけになって、
抜鋒神社に合併されてしまった
明治2年になって、王政復古ということから、平安時代の貫前神社に改称したのである
だから咲前神社は抜鋒神社の関係者であるが、混同されて、伝承さえもごちゃまぜになったのである
「長楽寺文書」によると「先前明神」ともかいてある
「群馬の地名・上」P204より
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