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鬼室集斯(きしつしゅうし)と小野村

2015.03.13.Fri.10:04
★司馬遼太郎 
街道をゆく「韓(から)のくに紀行」の最後は
「近江の鬼室集斯」
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★ここは、観光バスで団体で押し寄せて
ピンポイント見学するような場所ではない。

地図と「韓(から)のくに紀行」をリックニに入れて歩きたい。
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★小野村へ
「この小野こそ蒲生野を拓いた百済人の最初の根拠地だったにちがいないが、しかし家数はかぞえるほどしかなく、どの農家も千年の伝統を感じさせるような風格があって、ゆゆしげにみえた。
たまたま私は、「蒲生郡桜谷奥津保小野村」という明治30年代の村の地図をもっていた。
この地図(といっても風景図だが)によると
「朝鮮坊山」という山の名も見える。
村は谷間をひらいて耕地にしたもので、まだ山中から流れ落ちる初々しい蒲生川が流れている。
その川のそばの崖に小さな森があり、田のあぜを通ってその森までゆくと、百坪足らずの境内にささやかな祠が建っている。
鬼室神社である。」~近江の鬼室集斯より抜粋
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★司馬遼太郎が生きていたら、今の日本をどう思うだろう。

心の中で司馬さんと対話しながら、歩いてみたい。
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※鬼室集斯は、百済滅亡の際、亡命してきた百済王族。
今でいえば、初代の文部大臣兼東大総長ともいうべき「学識頭」に任ぜられた最高級の知識人。
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