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総社町古墳群散策①

2015.02.16.Mon.13:17
★異空間バランス
この門の辺りから、空気が違う
総社町総社
初めてこの町を訪れた時は驚いた
古墳と巨大寺院と保育園・公民館が
古代と中世と現代が、不思議なバランスを保っている異空間
まさに古代の成都だった
光厳寺
★秋元氏の菩提寺 光厳寺
今も前橋市民から慕われている秋元長朝の菩提寺
寺内に「力田遺愛碑」がある
江戸時代に25Kmにわたる天狗岩用水をつくり農民から敬慕された総社領主
光厳寺左手
★力田遺愛碑(りきでんいあいのひ)
「今も秋元侯が愛される5つの理由」の一つに
~天狗岩用水の造営
領民に対し3年間の年貢を免除し、水利の乏しかった総社領内に他領から用水を引き、領民の生活を豊かにした
石碑cut
★宝塔山古墳  総社町総社  7世紀末 方墳
P1010814.jpg
★宝塔山古墳 秋元氏歴代の墓所
蛇穴山古墳
※尾崎喜左雄氏の説
宝塔山、蛇穴山は最末期のすばらしい古墳
その築造と並行して建立されたと思われるのが山王廃寺跡と今よんでいる豪華な寺院跡
そして、これらは大豪族でなければ造れない
有馬君よりほかに想像できない
有馬君というのは、この土地の西北の榛名山の麓の有馬地帯に住んでいたが、7世紀初めの榛名山の噴火でこの辺りに移り住んだものだろう
上毛野君の一族で、その祖先は上野毛君の祖荒田別の弟 賀袁乃真稚(かおのまわか)であると言っている
おそらく馬を飼って、それによって権力と財力を得ていたものであろう。
総社あたりにこの有馬君が移り住んでいたので、大宝律令などによって郷がきめられ、もと住んでいた土地を有馬郷といい、この土地を群馬郷となづけたのではあるまいか「群馬の地名・上」より

町の中に古墳・・・・というよりは、古墳の回りに、古墳を保存しつつ寺院が建ち、小学校が建ち、
公民館が建ったのだろう
今回もこの不思議なバランスに感動しつつ、散策したい
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