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鞆の浦  朝鮮通信使

2019.06.18.Tue.09:41
2018年のチャリ旅、九州宮崎県→大阪
8日目『広島から岡山、そして兵庫』

広島県福山で一泊した私は、この日の目標を兵庫県と定め、走り出しました。しかしこの日はどうしても行きたい場所があり、一旦南へと向かったのです。

福山駅から南へ約14kmに『鞆の浦:とものうら』という港町があります。この小さな港町は、実はとんでもない歴史が動いた場所であり、歴史的な事件事故を目の当たりにしてきた町でもあります。

江戸時代、この港に朝鮮通信使が立ち寄った『福禅寺:ふくぜんじ』があります。さらにその一昔まえ、初代・足利尊氏がこの港で作戦を立て、京都へとのぼり勝利し足利幕府を立てた拠点でもありました。その後、15代・足利義昭将軍は織田信長に追放され、この港町に住み、小さな鞆幕府を立て、細々と暮らしたそうです。

幕末のころは坂本竜馬がこの港に立ち寄った事もあり、その後竜馬の船『いろは丸』が、紀州藩の船『明光丸:めいこうまる』に激突し、裁判になった場所でもあります。

この港が現代になり、ある人物が立ち寄った場所でもあります。有名なアニメ映画監督:宮崎駿です。彼は次回作を考えているうちに悩み、この町に立ち寄ったそうです。2ヶ月間ここで生活した宮崎駿監督はここで『崖の上のポニョ』を考え作成、のちに発表となったのです。

こういった歴史的場所である『鞆の浦』、昔は一文字で『鞆』だけだったそうな。早朝に訪れた私は、まだお寺も開いていないので、もうひとつ尋ねたい場所へと移動しました。鞆の浦から西南へ約11km、広島県福山市沼隈町中山南481あたりなのですが、ここに『高麗神社』があるようなのです。地図で見つけ、いつか行こうと思っていたので良い機会なので向いました。

神社へ行くと何も書いておらず、聞くにも人が見当たりません。写真を何枚か撮り、また鞆の浦へと戻りました。ちょうどそのころ『福禅寺:ふくぜんじ』が開門し、中に入る事ができました。中に入ると朝鮮通信使がきたことを誇りにし自慢気の様に、朝鮮通信使の説明文一色でした。
(☆Д☆)キラリーン♪

そして窓から見える景色は流石です。この景色を約400年も前の朝鮮通信使が見て感動して『日東第一景勝(この東の国の中で一番の景色である)』と表現し、文字を残した事がわかりました。案内のボランティアさんの話によると、このお寺はしっかりと東西南北に分れ、日が昇り落ちるまで、見れる構造になっているそうです。

景色を1時間ほど眺め楽しんだ後、少し鞆の浦の町を散策し、又東へと向かいました。私は、とりあえず岡山県倉敷市に向いました。昔ながらの友だちのアダ名はペレ『シンカップチョル』と後輩の『カンチソン』に会うためでした。岡山県でも有名な繁盛店『焼肉・香洛園:こうらくえん』に立ち寄り、オーナーのカップチョル、後輩のチソンと何十年ぶりに会いました。昼時を友だち後輩とすごし、また旅に出ました。

立ち寄る場所はもう無く、後はここからひたすら自転車を漕ぐだけでした。鞆の浦から約130kmの相生駅で宿を取り、この日は就寝しました。

(o^-')b To be continued…

1.広島県にある『鞆の浦:とものうら』に到着です。とても小さな港町ですが、年中観光客でごった返します。早朝は静かで、とても良い港町でした。ー 場所: 広島県 福山市
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3.幕末に坂本竜馬がこの鞆の浦に訪れています。のちに船の事故をし、紀州藩から莫大な損害賠償金を受け取っています。
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5.鞆の浦をモチーフに、崖の上のポニョを作成した宮崎駿監督ですが、映画発表後は鞆の浦が関連していることは明かしませんでした。彼の発言で鞆の浦がモデルだという事を知れると、観光客が倍増し、町が汚れる事を恐れたからだそうです。現在も鞆の浦に対し、彼は多くの支援をしているそうです。
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8.鞆の浦から西北に高麗神社があるという情報を得て、立ち寄りました。ー 場所: 広島県 福山市
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6.足利尊氏将軍。覇権争いで負け、京都から撤退後、鞆の浦まで落ち延び、作戦を建て直し、京都に向かい勝利します。それから足利幕府を建て、初代将軍として君臨するのです。
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7.足利幕府最後の将軍、足利義昭。織田信長との争いに負け、京都から追放されます。のちに逃れたのがこの鞆の浦でした。初代の尊氏がここから勝利し、最後の義昭はこの地で没したという足利家の数奇な運命を知る、鞆の浦の町なのです。
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35.鞆の浦と朝鮮通信使の、深く、友好な時代と関係を、パンフレットで置いてありました。これは勉強になります。
( ̄∇ ̄(_ _( ̄∇ ̄(_ _ ) ウンウンー 場所: 広島県 福山市
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