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大村益次郎の故郷 鋳銭司。 錦帯橋。吉川家。 写真は後日

2019.06.05.Wed.08:34
2018年のチャリ旅、九州宮崎県→大阪
6日目その1『山口県の中の朝鮮』

早朝、新山口駅を出た私は、東へ東へと進んでいきました。
すると途中、銭のふるさと『鋳銭司:すぜんじ』という町に入りました。ここはノーマークだったので陸橋にかかる垂れ幕を見て、即観光する事を決断しました。

この街は明治維新で活躍した大村益次郎の生まれ故郷でした。彼は数奇な運命で、この田舎町の医者になろうと大阪に出て『適塾:てきじゅく』で勉強に励みます。しかしあまりの勤勉さに読む本が無くなるほどでいた。彼はオランダ語だけで無く、イギリスの英語の本まで読むようになり、医療の本も読むのが無くなると、今度は砲術や戦術、 ‎兵学者の本まで読みあさるようになるのです。

結局その才能を見出し買ったのが、自国の長州藩(現在の山口県)では無く、現在の愛媛県、伊予藩の城主『伊達宗城:だてむねなり』でした。伊達の御殿様の招待で伊予に来た益次郎は、蒸気船を作るよう命じられ、大工職人と2人で日本発の蒸気船を作ってしまいます。

こんな凄いことを聞いた長州藩は即彼を自国に戻すと共にとても良い待遇で迎えるのでした。時期は幕末、その後『戊辰戦争』も起こり、色んな戦術・砲術を習得し、さらに‎兵学者として地位を確立している大村益次郎も上野に借り出されます。当時、寛永寺(上野公園や上野動物園も含む敷地)に閉じこもっていた侍たちを排除する任務を益次郎は受けます。当日の朝、何本かの大砲を上野寛永寺に向けた大村益次郎は「今日の昼過ぎにはこの戦争も終わるでしょう」と予言し、江戸城で横になっていました。

砲撃が始まり何度も砲撃が行われました。すると後に、益次郎の予告した時間に戦争は終わるのです。大村益次郎は戦争が終わった後、敵味方関係なく遺体を自ら回収し、現在の九段下に魂を祭り神社を建てたそうです。こういった経験から、明治政府は後に政府の軍隊を彼に預け育成をしていきます。これが大村益次郎を今も『日本陸軍の父』とし崇め、靖国神社に銅像が建つ理由です。

そんな彼の故郷があると走らず偶然見つけたこの町に寄る事にしました。道を左に逸れ、少しの坂を上っていくと、大村益次郎の墓や、神社がありました。早朝でしたので人影は見えず、一人歴史散策を楽しみました。

次に向ったのは岩国でした。ここにはあの葛飾北斎も描き、さらに日本さくら名所100選に選ばれている『錦帯橋:きんたいきょう』があります。そして、山口の中の朝鮮がある場所でもあります。

錦帯橋へ着くとやはり観光客が多く居るのかなと思っていましたが、シーズンオフでしたのでお客さんの数もまばらでした。昔『サザエさん』のオープニングで出ていた事があり「いつか行ってみたいな」と思っていました。錦帯橋は有料です。

自転車では通れないので、グルット周り錦帯橋の裏へ行きました。ここに来た理由は山口県岩国にあった『岩国藩』を城主だった『吉川家:きっかわけ』の墓があるからです。

吉川家のの主流派『長州藩の毛利家』です。毛利家の初代は、中国地方の覇者『毛利元就:もうりもとなり』です。毛利元就の先祖は朝鮮半島渡来人であることを、私の前の文章でも取り上げましたが、そんな毛利元就の次男が吉川家に養子として入り、毛利元治→吉川元治となり、この藩の領主として栄えました。領主の代々の陵墓がこの錦帯橋の裏にあるのです。

とにかく広い敷地に、何代もかけ手作られたお墓が何基も立っていました。また菩提寺の管理が行き届いているお陰もあって、とても綺麗に整備されていました。この吉川家の子孫の一人が、芸能界でも有名な『吉川晃司』さんです。

話を戻し、吉川家の墓の裏にあるお寺が、菩提寺で『洞泉寺(とうせんじ)』と言います。この『洞泉寺(とうせんじ)』には、伝来は不明ですが、ここには66.5cmの『如来形坐像』があります。14世紀初期・高麗時代後期頃の青銅で作られた物で、朝鮮半島から渡ってきた仏像です。手と顔は京都の弥勒菩薩を思い起こさる綺麗な、いでたちです。そしてお寺の境内には、朝鮮半島が植民地時代に持ち出された『文官の石像』2体と、『六角亭』1塔があるのです。吉川家の菩提寺に何故このような朝鮮半島とゆかりあるものが沢山残っているのでしょう・・・

朝鮮半島は、1910年に日本の植民地となり、その後『朝鮮総督府』というものが設けられ、朝鮮国を統治されました。2代目総督『長谷川好道:はせがわ よしみち』は、ここ山口県岩国の出身です。

そして先ほど書いた『六角亭』は、彼が総督時代に、ソウル北方の『碧諦館:ピョクジェグアン』を訪れ、そこにあった六角亭を見て気に入り、日本の故郷、岩国にそのまま送った物なのです。そしてここにある石像もまた、当時一緒に運ばれた物なのです。説明文に日本語とハングルの両方が書かれているのは、少し配慮が足りないような気がするのは、私だけでしょうか…

しかしお寺の中に入り、住職さんの奥様と話すと、とても優しく丁寧に案内され、色々話をする事ができました。また写真も快くOKしてくださり、撮る事ができました。高麗時代後期頃の青銅『如来形坐像』は管理がとても良く、まるで作りたてのように綺麗でした。

(o^-')b To be continued…

①ノーマークだった鋳銭司に到着。幕末の有名人、大村益次郎の故郷でした。ー 場所: 山口市
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⑤大村益次郎と、妻の墓ー 場所: 山口市
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⑱葛飾北斎が描いた錦帯橋の絵。
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⑳反対側からも『錦帯橋:きんたいきょう』を撮影。
アーチがとても綺麗です。ー 場所: 山口県 岩国市
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