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女帝の記1~4 

2019.01.26.Sat.16:07
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孝謙・称徳天皇物語
女帝の記
①まほろば光明皇后
②たゆたひ聖武天皇
③うつせみ藤原仲麻呂
④たまゆら道鏡

高校までの日本史の知識で 聖武天皇と光明皇后がどちらも藤原不比等が叔父だったり、父親だったりしたと認識していた受験生は何人いるだろうか?
私も多分、知らなかったと思う。

~奈良時代、天平年間。
藤原氏は朝廷内で確固たる地位を築きあげようとしていた。そんななか、聖武天皇と藤原氏出身の光明皇后との間に生まれた娘、阿倍内親王は、幼い弟を失い、ただ一人の藤原直系の内親王となる。
一族より天皇を輩出することを画策する藤原氏は、あらゆる手を使い、阿倍内親王を史上初の女性皇太子に仕立てる・・・・・。初めは藤原氏の傀儡として、二度目は自らの意志で天皇となった天平の女の一生涯。~裏表紙

以下は、私の感想 

🌸長屋王の変→基親王を呪い殺したという疑いをかけられて、自殺。
安宿(のちの光明子)は、皇族出身者以外ではじめて皇后になった。
「前例がない」と光明子の皇后化に反対していたのが、長屋王だったそうだ。→ビックリ!

🌸日曜美術館などを見ていると、光明皇后の剛毅な筆跡から 光明皇后に魅せられている文化人は多いことがわかる。
光明皇后の功績は、多々あるけれど、まず第一に聖武天皇の遺品を正倉院に納めたこと。
そのおかげで、今日私達が奈良時代の宝物を見ることができる。
貧しい病人に治療を施す施薬院
養護施設と養老院の役割をする悲田院
などの福祉施設をつくったことは、画期的だった。

🌸光明子の娘 阿倍は、弟の基の死により、女性天皇に。

🌸母親光明子と玄ぽうの関係にドキッとする。
こういう性的な関係は、あったのだろうか?

🌸10年以上前、一人で平城京跡を歩いていたら、法華寺の裏に、当時のままの崩れかけた土塀の海竜皇寺を発見して、感動した。
玄ぽうは、光明子と繋がっていた。
どういう繋がりかは、分からないけど、その繋がりが歩いたら体感できたのだ。

🌸また、吉備真備もこんなポニョポニョしたおじさんではなかったのでは。
当時の超一流の国際人で、骨格のしっかりした天才だったはず。
理系も文系もバッチリの空海みたいなタイプの人。

🌸道鏡と阿倍の恋→道鏡もかなり素敵な人だったはず。
権力欲よりも孤独な女皇を助けたかったのだと思う。

🌸その阿倍 後の孝謙重祚して称徳天皇は、天皇ゆえに結婚することはできない。
藤原仲麻呂について、あまり文献がないので、阿倍との関係はこういうことだったのか と納得。

天上の虹よりも より一層史実に基づいていて、面白い。





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