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秦壮(はたのしょう)の秦楽寺(じんらくじ)

2018.12.04.Tue.08:25
秦壮という場所に秦楽寺という秦氏の寺があるという。

一度、訪ねてみたいと思っていた。

この秦壮は、古代から渡来系氏族の秦氏の居住地だった。
秦楽寺の楽は、雅楽や猿楽の楽人を意味している。

平安京遷都後は、楽人達は、平安京周辺に移住していったのではないだろうか。
猿楽
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雅楽
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Wikiによると 寺伝では、大化3年(647年)、百済王から贈られ、聖徳太子から秦河勝に下賜された観音を当地に安置したことにはじまるという。
かつて、飛鳥に都があった時代、聖徳太子は斑鳩に斑鳩宮(今の法隆寺)を造り、学問と仏教の勉強に没頭した。
太子が政務のため斑鳩から飛鳥まで黒馬に乗って通ったのが筋違道(太子道)
秦壮はその太子道と、古代の官道である下ツ道の間に位置している。
しかも穀倉地帯。
当時は非常に重要な地であった。

百済の里を散策後 近鉄を乗り継いで 笠縫という駅で降りた。
写真を撮り忘れたが、笠縫の駅の中に秦楽寺についての大きな白い案内板があった。
駅から北西に200メートルくらい歩いた。
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大きなお屋敷が多い。
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閑静な住宅地で、重厚な造りの家並みが続き、お寺があった。
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鍾馗さんがいらした。
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こちらの豪邸にも 鍾馗さんが。
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住宅地の中に突如
こんもりした森の様な空間が出現。
ここが、秦楽寺か
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かなり盛土をして植栽してある。
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中国風の白い土蔵門。
秦楽寺に到着。
奈良県磯城郡田原本町秦荘
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門をくぐると大きな池があった。
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Wikiより 
大同2年(807年)、唐から帰国した空海が、境内に梵字の「阿」の形の池を造ったとされている。
「阿」は万物の根源を意味する。
この阿字池は、7~8月に咲く蓮の花で有名。
また、空海はこの寺で「三教指帰(さんごうしいき)」を書いたとの伝えがある。
さらに、空海が、執筆中、阿字池の蛙が騒がしく鳴き、静かにするように叱ったので、それ以来騒がしく鳴かない、という伝説がある。

今、境内のほとんどを占めている池の大きさから、かつてこの寺がいかにおおきかったか想像できる。
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蛙の鳴き声はしなかったけれど、カルガモの親子の鳴き声がにぎやかだった。
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本堂には本尊の千手観音と聖徳太子と秦河勝の像があるという。
「風姿花伝」には、この寺の前に金春屋敷があったと記されているという。
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念願の秦楽寺に辿り着け、古代からの秦の楽人の集落を歩けて、大満足だった。
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参考資料 奈良のむかしばなし 


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