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羊太夫(ひつじだゆう)伝説⑤文献を歩く

2015.01.12.Mon.09:39

~誰をも魅了する羊太夫伝説
羊太夫伝説に関連する遺跡・お寺・神社は、数多く存在し、それだけで一冊の本ができる。
事実、羊太夫伝説に魅せられて、遺跡を訪ね歩き本を出版したり論文を発表する研究者が後を絶たない。


~国際的な視野で
「東アジアから見た古代の東国」という国際的な視野で古代史をとらえることが重要だと思う。

1998年に開催されたシンポジウムを書籍化した本だ。
報告講演・シンポジウム「東アジアから見た古代の東国」講演集  上毛新聞社
白石 太一郎  国立歴史民俗博物館副館長・教授
干田 稔     国際日本文化研究センター教授
王 仲殊     中国社会科学院考古学研究所元所長・教授
姜 仁求     韓国精神文化研究院  韓国大学院歴史研究室教授
上田 正昭    アジア史学会会長 京都大学名誉教授 

~単一民族説の弊害
「日本は、単一民族説」の教科書は、民族成立の流動性・多様性を排除し、朝鮮半島への蔑視感を私達に巧妙に刷り込んでいる。
古代において、朝鮮半島とこの列島が一大文化交流圏であった。
※ここにもポイントがある。
中国大陸の文化が、朝鮮半島を経由して入ってきたのではなく、朝鮮半島で独自発酵したより高度な文化が、もたらされたのだ。(朝鮮半島は単なる文化の通過点ではない)
朝鮮半島で動乱が起こるたびに、重層的に列島に渡来してきた人々のもたらした先進的で高度な技術力と文化。
渡来集団のその後の開拓努力により、国の形を創るおおもとができたのだ。
既存の教科書では民族成立の流動性・多様性をイメージできない思考停止した国民を育てていないだろうか?

ある若手の研究者が講演会で「自分は羊太夫の末裔である某名門家の出身であるが、決して朝鮮人ではありません。」
と発言し唖然とした。
講演後の質問で、地元の老人が
「今、先生の講演を聞いて、どうしても納得いきません。
私達は、代々親から~ここの地名は朝鮮からきた祖先たちから伝えられた古いものだから、大事にしておくれ~といわれて、誇りに思って生きてきたのに、先生は関係ないという。
私は、納得できないです。」

「日本単一民族説」と「明治以降の朝鮮半島への弾圧と略奪」
この二つの問題をクリアしないと本当の歴史は見えてこない。
なぜ、蔑視感を持っているのか。
誰によって、蔑視感を巧妙に植え付けられたのか?
今も続く日本の支配者層によって巧妙に刷り込まれた蔑視感。
どのように巧妙に刷り込まれていったのか、まず、探究してみよう。
自分自身への自戒の意味も込めて・・・
二度と愚かな過ちを繰り返さないためにも・・・・

~インターナショナルなメンバーで
教科書を作る時も御用学者だけでなく、上記シンポジウムに集ったようなインターナショナルなメンバーによって協議して作っていただきたい。
そうすれば、ただの暗記だけの無味乾燥な教科書ではなくなり、真の国際人が育つ教科書になるだろう。

群馬史再発見-1
~キラリッ光る熊倉氏
いろいろな研究者がいる中で④にもあるが、熊倉浩靖「上野国の韓来文化探訪記 羊太夫伝承に誘われて、韓の国、多胡の里へ」は、短い歴史紀行文ではあるが、ダントツに光っていた。
それは、熊倉氏が、上田氏イチオシの研究者で、やはり、「東アジア」という視点を前提に、この問題を捉えているからだ。
ここでは、「上毛野国から東国へ」という小論文が収まっている。
※この「東アジア」という視点をもたないと、戦国時代・江戸時代と混乱して大変、「残念な」結論になってしまう。
いくら遺跡を訪ねても 何冊資料を読んでも、この視点が欠如している為に、「残念な」結論になっている研究者が多い。


~古代豪族 上毛野氏の繁栄
上毛野氏という古代の豪族は、朝鮮半島と列島を行き来し繁栄した。
そこから東国が生んだ貴族たち「東国六腹朝臣」が派生し、古代の上毛野の繁栄の基礎を築いたということがわかる。
その「東国六腹朝臣」のDNAがこの1600年位の間に、営々と在来の人々と繁殖を繰り返し、くまなく私達のDNAに刻みこまれているのではないだろうか。

古代東国の王者-1
~力作は高かった。
その熊倉氏の力作 実にお高いお値段で、一瞬買うのを躊躇したが、やはり、買ってしまった。当時5600円 
上毛野氏の研究 その中にP767実に手短に、要領よく、ズバリ的を得た文章がある。

「しかし、養老5年(721)11月23日という日付は妙に生々しい。多胡郡設置後おおよそ10年の時期である。」
つまり、羊太夫が討たれたのは、建郡から10年後ということだ。
しかも、井上清著の「多胡の古碑に寄せて」の羊太夫の年表によると羊太夫27歳。
~「多胡郡」として建郡した高度な技術をもった渡来系の人々と「国家」の間に齟齬が生じてくる。
なぜなら、そこには渡来系住民を「諸藩」とらえる倒錯した国家意思が存在するからだ。
したがって、多胡郡住民と国家中央との間に葛藤が生じ、その爆発を想像力の世界で描ききった伝承が「羊太夫伝承」であるとしている。~ (要約)

~歴史とは
歴史は勝者のものなのだ。
敗者は、正史に残れない。
多胡の里の人々は、正史を残すことを禁じられていたのだ。

~深い知恵が
しかし、多胡の里の人々は、地名にして伝えてきた。
伝承というお話にして、語り継いできた。
「非科学的だ」「子供じみている」と言われようと、伝説として残すしか手段がなかったのだ。
そして、伝説の中に多胡の里の人々の深い知恵が秘められている。

~羊は永久に
だから、羊は生きている。
これからも、永遠に生き続けるであろう。
多胡の里の人々が、語り伝えた羊太夫伝説の中で

ここまで一緒に歩いてくれてありがとう。君に感謝!
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コメント
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ワクワクワク!!!
上毛野国に生まれたものとして、古代のこの国の国際交流の歴史を知るのはわくわく!!

我が家の大昔の屋敷のすぐ隣から、とても珍しい古墳が出土しています。
わが祖先かも、韓来の新技術を携え、はるばるやってきて、土着の縄文文化を持ったもう一方の祖先と婚姻して我が家の今に続くのかと想像しています。

ご紹介くださった本全部読みたい。
Happy Dragonさん
春になったら、その古墳ツァーをいたしましょう。
楽しみ♪

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