FC2ブログ

上野三碑(こうずけさんぴ)

2018.03.02.Fri.09:21
嘘みたいな本当の歴史話㊱

皆さん、群馬県高崎市には昨年、ユネスコの世界の記憶(世界記憶遺産)に登録された古い三つの石碑があるのをご存知ですか?以前「多胡碑(たごひ)」のお話をしましたが、それを含めた3つの石碑の事です。今日はこの世界遺産の石碑のお話をしようと思います。

さて、この三つの石碑はまとめて「上野三碑(こうずけさんぴ)」と言います。古代群馬県は「上野國(こうずけのくに)」と呼ばれていた所からそう名付けられました。三つとも半径2kmの範囲内にあり各々碑には名前があります。吉井町は「多胡碑(たごひ)」、山名町は「山上碑(やまのうえひ)」、「金井沢碑(かないざわひ)」と言います。

この三碑、何がすごいのかと言うと、日本には古代碑が18柱ありますが、その中でも最古級な古代碑がこの「上野三碑」なんです。そればかりではなく、この「上野三碑」の記録形態が朝鮮半島渡来人がもたらした物、つまり朝鮮半島渡来人が作った石碑なんです。これは高崎市の上野三碑のホームページにも書かれている事実です。

「多胡碑(たごひ)」は711年に建てられましたが、そこには「朝廷の命令により、上野國片岡郡、緑野郡、甘良郡から三百戸を分割して新たに郡をつくり、羊を統治者とする。郡名を多胡郡とする。」と刻まれております。「羊」とは名古屋の「羊神社」を創建した、新羅渡来人「多胡羊太夫(たごひつじだゆう)」の事なんです。「胡」は渡来人と言う意味でここで言う朝鮮半島渡来人の事、「多」は文字通り多いと言う意味、「郡」は行政区分の名称、つまり朝鮮半島渡来人が多く住んだと言う意味でこの地を「多胡郡」としたそうです。

「山上碑(やまのうえひ)」は日本最古の石碑で681年に建てられました。形式は新羅形式で新羅の石碑と酷似しております。内容は「放光寺(ほうこうじ)」の僧侶「長利(ちょうり)」が母「黒売刀自(くろめとうじ)」のために建てた事と、父方、母方の家系が刻まれております。系譜の名前からして、どうも渡来系の氏族の様です。そしてこの石碑の隣には古墳がある事から、この古墳は「黒売刀自」の古墳ではないかと思われております。しかし古墳の年代が石碑よりもやや遡る事から、元々「黒売刀自」の先代が眠る古墳に「黒売刀自」が追葬(後からさらに埋葬)されたのではないかと思われております。

「金井沢碑(かないざわひ)」は726年に三家(みやけ)氏が先祖と一族の繁栄を願って建てた石碑で、内容は先祖の系譜と一族の説明が刻まれております。この系譜を見ても渡来氏族の名前が出て来る事から、これを建てた人物も渡来氏族かその末裔だった事がわかります。

世界遺産に認定された三つの古代石碑が、朝鮮半島の形態で渡来人の事を刻んでいた。いかに多くの渡来人が群馬に渡って来たのかがわかりますね。何だか悠久のロマンを感じますね。
群馬のお話は、これで一旦終了します。
また群馬を散策した時にでも、続きを書こうと思います。

いかがでしたか、今日の「上野三碑」と渡来人お話。
信じるも信じないもあなた次第です。
では、また次回・・・

多胡碑
西暦711年に建てられました。
28056527_10214048872287882_8499007907384473466_n01.jpg
山上碑
西暦681年に建てられました。
27972256_10214048882448136_9038960035993245294_n02.jpg
金井沢碑
西暦726年に建てられました。
27857891_10214048882688142_1707257421531025916_n3.jpg
山上古墳(やまのうえこふん)
山上碑の真横にあります。
27858339_10214048883008150_7680574100840160940_n04.jpg
山上古墳案内板
27751580_10214048883288157_1349025052598132883_n05.jpg

スポンサーサイト
コメント
No title
歴史探偵の気分になれるウェブ小説「北円堂の秘密」を知ってますか。 北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索すればヒットし、小一時間で読めます。 その1からラストまで無料です。 順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。 重複、既読ならご免なさい。 お仕事のリフレッシュや脳トレにご利用下さいませ。 物語が観光地と絡むと興味が倍増します。夢殿と同じ八角形の北円堂を知らない方が多いですね。気が向いたらお読み下さいませ。
(東大寺・毘盧遮那仏を造立した聖武天皇の外祖父が登場します。)
(多胡碑に書かれている右太臣が北円堂に祀られている。)

管理者にだけ表示を許可する