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今も続く鷹取焼宗家静山窯

2018.02.02.Fri.10:53
嘘みたいな本当の歴史話㉙

さて、前回の高取焼八山の続きをお話したいと思います。
内ヶ磯に移った八山ですが、悲しくも義父の韋登新九郎がほどなくしてこの世を去ってしまいます。そして開窯から10年後の1624年、八山の身にとある大事件が起きます。

朝鮮國は徳川幕府に対して、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の捕虜返還を求めてきました。この事を聞きつけた八山は藩主黒田忠之に帰国を願い出ますがそれは許されず、逆に怒りをかい内ヶ磯窯から追放処分となってしまいました。八山達は僻地に追いやられ、現在の福岡県嘉麻市(旧嘉穂町)、山田の唐人谷に移り住む様になり、何とか窯を開き細々と日用雑器を焼き売りながら生計を立てて行きました。この窯跡は山田窯跡と言われ、旧嘉穂町が炭鉱の町であったので、現在は石炭のボタ(屑の石炭)に埋もれてしまいましたが、そこには八山の功績をたたえ石碑と朝鮮半島式の記念碑が建っております。

さて、追放されて6年後の1630年、藩主からの許が出た八山は、現在の福岡県飯塚市幸袋に移り開窯します。その窯は白旗窯と呼び、八山と長男の八郎右衛門は徳川家の茶道師範、小堀遠州に指導を受けて「遠州高取焼(えんしゅうたかとりやき)」として、名が知られるようになります。しかし24年後の1654年、八山はこの地で亡くなってしまいました。その後長男の八郎右衛門も病死してしまい、日本で生まれた二男新九郎(しんくろう)が二代目八蔵を襲名して「八蔵貞明(はちぞうさだあき)」と改名します。

貞明は翌年1665年に小石原の鼓と言う谷に窯を移し、さらに数年後には福岡市内にも窯を開く事になり、代々その子孫が窯の火を守りますが、明治4年廃藩置県により遠州高取焼窯は廃窯となってしまいます。

しかしその後、十一代目に当たる女性の「静山(せいざん):本名静」さんが何とか窯を再興させたいと奮闘します。静山さんは反対を押し切り仕事を辞めて、一子相伝の高取焼秘文を参考に見事再興させますが、この時に事件が起きます。白旗窯跡近くに初代八山夫婦の韓国朝鮮式のお墓があったのですが、集合住宅建設のため取り壊されることが決まってしまったんです。静山さんはそれを阻止しようとしましたが、残念な事に取り壊されてしまいました。しかしお墓に埋葬されていた器が見つかり、何とかそれを持ち帰り1967年に小石原鼓の窯場裏に初代八山夫婦の墓を移しその器を埋葬しまた。白旗窯近くの墓跡には現在石碑が立ち、移したお墓は韓国朝鮮式で現在も窯と末裔のご家族を見守っております。

静山さんはその後も精力的に活動をして初代八山の母国である韓国との交流を持ったり、また1976年には初代八山の生地をたずねたり韓国で展示会も開催しました。そして韓国やアメリカから弟子を取り陶芸を教えたり、「炎は海を越えて」という書籍の執筆活動をしますが、そのさなか脳内出血で75年の生涯を閉じました。

高取焼の看板を上げている窯元は沢山ありますが、本来高取焼は一子相伝で本家本元は現在も鼓で窯の火を守る「鷹取焼宗家静山窯」の事だけを言います。数年前の北部九州大水害と今年の大水害でかなりの被害をうけましたが、いまもまだ十三代八山さんと奥様、そして息子さんとで製陶は続いております。

いかがでしたか今日の嘘みたいな本当の歴史話。
信じるも信じないもあなた次第です。
ではまた次回・・・

福岡県小石原鼓にある「高取焼宗家静山窯」
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高取焼宗家の登り窯
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初代八山の墓(左)とその妻志らとの墓(右)
韓国朝鮮式のお墓です。
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白旗窯跡近くに元々あった初代八山と志らとの墓跡です。
集合住宅建設のために取り壊されてしまい、後に石碑が建ちました。
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初代八山の墓跡の案内板
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初代八山の墓跡の石碑
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高取静山さん著「炎は海を越えて」
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