FC2ブログ

秩父神社

2018.01.23.Tue.14:18
言葉の語源 その85

皆さん、最近関東の方では秩父パワースポットブームと伺いました。秩父は埼玉県の北部山中にあり、昔は武蔵国(埼玉県、東京都、神奈川の一部)に属し秩父郡と言われておりました。今日はこの、秩父のお話をいたします。

さて、秩父の中心部に「秩父神社(ちちぶじんじゃ)」が鎮座しております。ここには「八意思兼命(やごごろおもいかねのみこと)」、「知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)」、「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」、「秩父宮雍仁親王(ちちぶのみややすひとしんのう)」の4柱の神様が祀られておりますが、古い文献によると、元々「八意思兼命」だけでした。「八意(やごころ)」は「沢山の技術や知識」を意味し、「思兼(おもかね)」は「沢山の思慮を兼ね備えた」と言う意味と「重い金」つまり「金属」の意味で、「沢山の知識と技術を兼ね備えた神様」と「製鉄の神様」の両方の意味を持っております。

実はこの神様、高句麗渡来神「高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)」の子で、新羅の渡来神だと言われており、知知夫彦命の父、祖父、先祖とも言われております。何故父、祖父、先祖と言う表現かと言いますと、知知夫彦命と言う名前は、何代かの間親から子へ、子から孫へ受け継がれ、数百年間続いた名前だからだそうです。つまり、高皇産霊尊 → 八意思兼命 → 知知夫彦命 → 知知夫彦命 → 知知夫彦命・・・と言う家系図になるんですね。

ここ秩父は知知夫彦命が治めたから「秩父」となったんですが、元々は「栲衾新羅国(たくぶすましらくに)」と呼ばれておりました。栲衾(たくぶすま)は、木の皮の繊維で織った綿布や白布を意味する言葉で、この秩父は織物の技術を持った新羅渡来人が開拓した地なんです。また「知知夫彦命」はもともと、「千千布」と書き「沢山の布」を意味し、これは「八幡(やはた:沢山の幡)」と同じ意味で、新羅渡来人が信仰していた「八幡神」ではないかとも言われております。つまり、知知夫彦命は新羅渡来人なんですね。

そうそうこの秩父神社、ご神体が正面の「武甲山(ぶこうさん)」なんですが、この山も元々、「知知夫ヶ嶽(ちちぶがだけ)」と呼ばれ、渡来人の山岳信仰の山だったようですが、旧秩父セメントの石灰採掘で400mも削られてしまいました。福岡県の香春神社と共通する所がありますね。

さて、この秩父の新羅渡来人は織物だけではなく、製鉄にも長けていた集団でした。秩父北部には「聖神社(ひじりじんじゃ)」が鎮座しております。ここは銭神様と呼ばれ、日本初の銭貨である「和同開珎(わどうかいほう)」発祥の地と言われております。それ以前の日本の銭貨は流通性があまりなく、中国からの輸入に頼っておりました。実はこれには新羅渡来人が大きく関わっており、渡来人達が銅山を発見して和銅の大量生産を成功させ、日本独自の銭貨生産にこぎつけ流通性をきたす事が出来る様になったんです。これは日本にとって、歴史を大きく塗り変えた出来事で、年号(平成、昭和とか)が「和銅」と言う年号に変わるほどの出来事でした。ちなみに和銅元年は西暦708年です。この銅の産出に大きく貢献した新羅渡来人が記録に残っております。名前は「金上无(こんじょうむ)」ともう一人、「多胡羊太夫(たごひつじだゆう)」です。多胡羊太夫はこの事がきっかけで、多胡郡を治める郡司の地位をもらい、金上无は品5位と言う高待遇の扱いになりました。現在秩父地方に、「金」が付く地名が多く見られますが、それはこの金上无が由来だとされております。

技術と知恵を持った製鉄の新羅渡来神「八意思兼命(やごごろおもいかねのみこと)」、そしてその息子であり代々名前が継がれて行った「知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)」、そして織物と和銅生産の技術を兼ね備えた新羅渡来人、秩父神社と聖神社。今日のお話おわかりになられましたでしょうか?ちなみにこの秩父地方、もののけ姫でおなじみの「ダイダラボッチ伝説」が数多くあり、渡来人と製鉄との関係を物語っている証ですね。

まだまだ埼玉のお話は続きます。
ではまた次回・・・

10941007_10205144222717208_5606157606847799859_n.jpg
スポンサーサイト
コメント
納得
非常に興味深く読ませていただきました。秩父が製鉄業が盛んであった事、鉄にまつわる地名、山の名前、鎮守祭がある事、地元の人間としてパズルの組み合わせのような楽しさを感じました。
Re: 鉄製人さんへ
> コメント、ありがとうございました。
> 金浩さんに伝えました。

管理者にだけ表示を許可する