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高崎市佐野界隈③ 

2017.09.20.Wed.09:26
☆柳生さんのフェイスブックよりシェアしました。

2017年9月9日(土)
【いにしえを往く 高崎市佐野界隈③ 常世神社】
「いざ 鎌倉!!」発祥の地。伝説・謡曲『鉢の木』の舞台 】
比定地 高崎市上佐野町496番地先。※取材は9/3です。
▼自分が一番大事にしている持ち物を犠牲にして、他人に情けをかけられるだろうか?
後世の創作というのは常識になっているが、謡曲「鉢の木」のお話。
▼今回のゆかりの地は、「常世神社」である。
シリーズ②で立ち寄った佐野古墳群の「漆山古墳」から北へ徒歩2分とかからない距離にある。
上信電鉄「佐野のわたし」駅からも近い。
時代は再び藤原定家の活躍した鎌倉時代に戻ることになる。
鎌倉第5代執権・北条時頼(在任期間 1246~1256年)のエピソードだ。
▼鎌倉時代には橋がない「烏(からす)川」を越えるための「佐野の渡し」がこの付近にあったといわれる。
当時の日本の事実上の最高権力者、鎌倉幕府先の執権・北条時頼(最明寺殿)は、執権職引退後に、貧乏僧に身をやつしてお忍びで諸国の動静を自ら見て歩いた。
物語によっては、わが子への帝王学教育のために、のちに元寇を撃退する息子・第8代執権北条時宗と旅をしたとも脚色される。
▼ある日、上野国佐野まで旅の僧がやってくると、烏川の渡しを前に大雪で難渋し、一軒のあばら家に一夜の宿を乞うことにした。
その家の主は、御家人佐野源左衛門尉常世(さのげんざえもんのじょうつねよ)と名乗る。
常世はありあわせの粟飯を出したが、薪がないからといって大事にしていた鉢植えの木を切って焚き、僧に暖をとらせ精一杯のもてなしをする。
常世は僧を相手に身の上を話してこういった。
「一族の横領によりこのように落ちぶれてはいるが、一旦ことあらば痩せ馬に鞭を打ち いち早く鎌倉に駆け付け命懸けで戦う所存である」と。
僧は一晩の宿ともてなしに感謝を述べ佐野を去った。
▼しばらくして、得宗家・北条時頼は鎌倉から御家人に召集令を発した。
佐野源左衛門尉常世はあのときの宣言通り鎌倉に馳せ着けた。
時頼は、常世を召し出すと自らの身分を明かし、あのときの宣言どおりの忠勤を賞賛した。
そして、横領された知行地を返してやり、当時もてなしのために焼き捨ててくれた鉢の木にちなんで、それぞれの木の名を冠した領地を改めて常世に与えた。
すなわち、加賀国梅田庄、越中国桜井庄、上野国松井田(松枝)庄がそれである。
後世で言う「情けは人のためならず」とは少しニュアンスが違う。
能楽を確立した観阿弥・世阿弥の作ともいわれるが不詳だ。
▼武士道を讃えるものとして江戸時代に特に好まれ、「いざ鎌倉」の語源となったと伝わる。
佐野常世の屋敷跡とされる場所の片隅に、現在地元の方の手で「常世神社」がまつられ、近くの佐野渡し付近には味わいのある木造橋が保存されている。
ここも「佐野古墳群」の一つに挙げられる小古墳を利用した神社だ。
▼常世神社の下には木造橋の「佐野橋」が佇んでいる。
かつては小舟をつないだ舟橋の態を取っていたが、その話は「シリーズ④」で別途書きたい。
「佐野の舟橋」と呼ばれた渡しは、対岸を通る鎌倉街道から、後に例幣使街道となるこちら側岸の古道とをつないでいたと考えられるている。
なお「佐野」の比定地は下野国(栃木県佐野市)との説もあり、常世の墓と言われるものは佐野の願成寺(栃木県佐野市鉢木町15−1)にある。
▼北条時頼が実権を握っていた治世は、鎌倉幕府が「得宗北条家」の下で最も安定した時期で、時頼自身も撫民(一般民衆を大事にする)政策を心がけたと言われ、このような廻国伝説調の伝承は各地で形を変えて伝えられている。
「鉢の木」は後世室町時代に書かれたと言われるが、モトネタはあながち全くのフィクションということでもないようだ。
この時頼(最明寺殿)の薫陶を受けた息子時宗(第8代執権)が、あの国難・元寇に立ち向かうことになる。(シリーズ③ 以上。)

道路に面しているのは参道入り口の鳥居だけなので、分かりにくい。左側は新幹線の高架が圧するようにそびえている。
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本殿の建つ場所は古墳の墳丘らしい。
右手の掲示板の扉を開けると、「鉢の木」の場面を再現した絵が観られる。ユニークな仕掛けだ。
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佐野の渡し付近。常世神社を背にして、烏(からす)川にかかる木造橋の「佐野橋」から上流を見ると、上信電鉄の鉄橋が夕日に映えていた。
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イメージまでに…。
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〇数字は歴代執権職の就任順。義時・泰時から時頼・時宗そして高時にいたる家系を北条氏のなかでもとくに「得宗」とよばれ、絶大な権力と富を掌握していった家系だ。
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現在の地図に置き換えた鎌倉時代の首都への国道「鎌倉街道」ルート。
古代東山道は板鼻で別れて栃木県の佐野方面に向かっていた。
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