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車持神社周辺

2017.08.17.Thu.09:24
☆柳生さんのフェイスブックよりシェアしました。
※26枚写真があるので、後日upします。
8月11日 21:52 ·
2017年8月11日(金) まだ迎え盆前だし…仏教じゃないしな。
【グンマのルーツは「車」にあった】
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▼盆休み直前に西国の信頼するお方から「預言書」をいただいた。
グンマの光彦は古代史がよくわからない。
が、群馬に何の縁もないお方が詳細に書き留められたメモなのでおろそかにできない。ひとまずそのコアな部分にかかわる神社などを実地に歩いてみることにした。

▼藤原京(694~710年)の時代の資料によると、現在の群馬県の中に「車評(くるまのこおり)」(「評」は大宝律令によって「郡」となる)と呼ばれていた地域があったとされる。

▼奈良時代に入るとすぐ、和銅6年(713年)の諸国の風土記編集の勅令により、「国・郡・郷名はその土地にあった漢字二文字で表すこと」とされ、国名「上毛野国(かみつけのくに)」は「上野国(こうずけのくに)」に、郡名「車(くるま)郡」は「群馬(くるま)郡」に改められた。

▼『和名類聚抄』は「久留末(くるま)」と訓んでおり、藤原宮木簡でも、「車評(くるまおこほり)」である。現在も高崎市高浜町に久留馬小学校の校名が残る。
そして、昭和時代まで群馬郡には久留馬村(高崎市に合併前の榛名町東部)・車郷村(くるまさとむら)(高崎市に合併前の箕郷町西部)が存在していた。「クルマ」が本来の名だったのだ。
私の柳生の家は昭和前期まで 「車郷村」であり、その後行政合併で箕郷町から高崎市へと編入された。

▼群馬県の県名が初めて使われるようになったのは、第1次群馬県が成立した明治4年。これは、廃藩置県を受けて、高崎・前橋の大部分を含み大郡であった群馬郡を県名とすることがふさわしいと判断されたことによる。(群馬県の公式見解)
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①車持神社(高崎市十文字町289番地)
▼『上野国神名帳』に「従五位上 車持大明神」とある神社。
車持の社号は、車持公を祀るため。雄略天皇の頃、乗輿を作り献上したことにより、「車持」の姓を賜ったという車持氏は、上毛野君豊城入彦命(かみつけのくにのとよきいりひこのみこと)の後裔である射狭君の末裔で、榛名山東麓一帯を統治していたという古代の豪族だそうだ。
ちなみに、『竹取物語』でかぐや姫に求婚する5人の貴公子の1人に車持皇子がいる。母が車持氏出身の皇子=藤原不比等がモデルとされる。
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②群馬の松(高崎市箕郷町上善地)
▼「車川」を渡り上善地駒寄地区に向かう。雨の後で榛名山から大量の水が流れ下っている。
榛名山へ上る県道沿いに路側余地がある。そこから土佐に多い「沈下橋」で車川を渡河して右へ100mほど歩いた奥まった場所にある。
「霊木 群馬の松」は現在は7代目の若木が継いであるが、そもそもは第2代目は樹齢800年余り、3代目は樹齢250年余りの双幹の大樹だったという。
明治39年にこの松をめぐって、十文字地区と駒寄善地地区で境界争いが発生した。
同41年、松の古木は静かに倒木した。霊木が身をもって「和の心を訴え、自らの生命を終えた」姿に村人たちは学ぶところがあり、平成13年にいたって正式に両地区は和解したそうだ。
…すいません。説明書きを読んでも趣旨が良く分からないので、そのように解釈しました。
マムシも熊も出そうなので早々に引き上げた。
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③駒寄神社(高崎市箕郷町上善地駒寄地区)

▼群馬の松から数百メートル榛名山方向へ県道を上った反対側にある。
入り口に路側余地があるのが目印だが、ここは何度か迷った。鳥居が奥まっていて目立たないのだ。駒寄集会所の駐車場(普段は進入止めされている)わきに鳥居が建っている。
「治尾の牧」(官牧)が上中下の善地一帯にあって、車持氏の後裔・勘解由が管理したことと関係がありそうだが、詳細は書いてなかった。
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④月波神社(高崎市箕郷町善地1641番地)

▼車持氏の子孫は「風の三郎」を名乗り、善地の地に住んだ。
勘解由として、屋敷を善地入田に構えた。 勘解由とは、国司が交代するときに、安全を管理する役目である。
延暦年間、征夷大将軍坂上田村麻呂に従った三郎は、上野勢の総帥として活躍し、戦功により、「善知」の姓を賜った。やがて「善地」という地名となったという。
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⑤榛名若神子神社(高崎市箕郷町松之沢371-1)

▼榛名山へ上る県道154号線の「ローランド ゴルフ倶楽部」のやや下の道端にひっそり佇んでいる。
鳥居の右側には大きな杉が二本あり目を引く。拝殿前に切り株で作った賽銭箱が置かれていて珍しい。
榛名山信仰に関連しているようだが、説明書きもなく、手元に箕郷町誌もないので詳細は分らない。
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若はんにゅ

▼5時を回って天気も悪く、山の中腹は薄暗くなってきた。
「預言書」には高崎一帯のたくさんの地名や史跡の名称が書き込まれている。
また後日、アプローチを変えて歩いてみたい。    (終)
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