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かみつけの里を歩く④

2017.02.17.Fri.13:09

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全国で多数、巨大古墳が発掘されても、豪族の居館の遺構は発見されなかった。
それが、1981年に・・・
上越新幹線建設にともなう発掘調査で群馬町大字三ツ寺・井出地区周辺の「島畑(しまばたけ)」を掘ってみたら・・・
「島畑(しまばたけ)」を掘る
その地点は、猿府川という小河川がちょうど屈曲する部分にあたり、川が形成した狭小な谷底平野には水田が営まれていた。
水田の中には、一辺90m、高さ2mほどの方形の高まりがあり、畑や桑畑として利用されていた、地元の人たちはそこを「島畑(しまばたけ)」と呼び慣わしていた。
中略
すなわち、大規模な掘をめぐらせた中に90m四方ほどの人工的な高まりを設え、その上に建物、柵、祭祀の施設などを有機的な関係をもって配した類型のない巨大遺構であることが明らかとなったのである。
調査担当者は、こうした計画的な大規模施設を古墳時代のと首長(豪族)にかかわる居所や祭祀の場所と考えるほかにないとの結論に達した。
「わが国ではじめての古墳時代の豪族居館」として三ツ寺Ⅰ遺跡の発見は大きく報じられた。
「古墳時代の地域社会復元・三ツ寺Ⅰ遺跡」若狭徹著より

新幹線高架下の三ツ寺Ⅰ遺跡案内板
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ブルーシートで覆われている残念な現状・・・・
この豪族居住跡も是非復元して欲しい。
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三ツ寺1遺跡
古墳の主と思われる豪族の館
保渡田古墳群から南東約1キロ付近では、上越新幹線の建設に伴い、豪族の館が発掘されました。一辺が86メートルの方形を取り囲む、幅30メートル、深さ4メートルの堀を持つ巨大な邸宅跡は古墳時代のものと考えられ、保渡田古墳群に葬られた王族の館だといわれています。5世紀後半に隆盛を極めたこの王家は、榛名山の2度の噴火によって、転居もしくは衰退したと思われます。
(高崎市HP)


☆小さな猿府川
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☆すぐ近くに唐沢川
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