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太郎三郎三人様の祠(ほこら) 

2017.02.14.Tue.10:40
還暦直前の探検団で沼田方面を歴史散策中 小さな社を発見
なんだろう?
車を駐めて、フムフムと
「太郎三郎三人様の祠(ほこら)」説明板を読んでみた。

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太郎三郎三人様の祠
慶長19年(1614)大坂冬の陣にあたり、幕府は各大名に出陣を命じた。
それにともなって、村々からたくさんの人夫が集められた。
沼田城主真田信之にも出陣の命令が下り、生枝村からも一人分の人夫をだすことになった。
名主は、村人を集めていくどとなく話し合ったが、誰も応ずる者はなかった。
これでは、殿様に申し訳が立たないと相談の結果、浪人の太郎三郎に話しを持ちかけたところ
村のためになるならと返事をした。
村の人たちは、大阪までの出向いての戦い、しかも相手は豊臣だから生きて帰ってくるまいと思い、
無事に帰って来た時には、生枝の石高(153石)の半分を太郎三郎に与えることを約束して送りだした。

戦いが終わってしばらくして、沼田城主真田の殿様が帰城したいという話しが伝わった。
その話しを聞いて間もなく太郎三郎がひょっこり村に帰ってきた。
さあ、大変だ。
太郎三郎は、村の石高の半分をもらえるわけだから、村は大騒ぎになった。
約束通り村の石高半分をとられると、村は成り立ってゆかなくなってしまう。
そこで、思案の結果、太郎三郎を亡き者にすることを決めた。
かわいそうだが、背に腹は代えられない。

名主の家で、3月3日のお祝いを催した。
太郎三郎は、そのお祝いに招かれて出席してみた。
たけれども辺りの様子に不安を感じ、名主の家を逃げ出した。
計画をさとられた村人たちは、その後を追い、西原で追いつめてよってたかった殺してしまった。
太郎三郎の妻もそれを聞いて覚悟を決め、幼児二人を石うすでひき殺し、自分も自害してはてた。

その後、生枝村では、毎年作物が不作で、村人にも災難がふりかかった。
村人たちは、これはきっと太郎三郎たちのたたりであろうと思い、この地に石の祠と社を建てて、冥福を祈った。
当時造られた社が老朽化したため、平成10年む12月、生枝地区の人々の寄付により、この新しい社が建てられた。
                               白沢村教育委員会



☆あまりの残酷さに、みな、のけぞった!
村人による太郎三郎一家全員皆殺し事件の顛末が記されている。
こういった負の村史を正直に隠さずに残したことは、良いことだと思う。
しかし、この説明板を一文字一文字転写しながら、考えた。

思慮のない行き当たりばったりの発案と行動・人権感覚の欠如・残酷な精神風土は、果たして過去のものなのだろうか?
私達の中に明確に「近代的自我」や「人権意識」が確立されているのだろうか?
私には、さう思えない。
今 安倍内閣が日本会議という極右の勢力に乗っ取られても、本当に怒りの声を上げているのは ごく一部の知的な人々にすぎない。
「近代的自我」や「人権意識」もない普通の人々は、情報操作されたなかで、常にマスコミに騙され続けている。
こんなに愚かでは「北朝鮮が」「中国が」と安倍内閣により簡単に情報操作され、安易に戦争の方向に流さてしまうだろう。

江戸時代の地方の村のこの悲劇を
過去のものとしてすませられない・・・・・
と案ずるのは私だけだろうか?。
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