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かみつけの里を歩く③

2017.01.31.Tue.13:57
保渡田古墳群の中で一番最初に造られた井手二子山古墳。
5世紀第3四半期ごろの築造
最新の発掘調査から、被災者がヤマト政権や朝鮮半島との強いつながりを持っていたことが判明した。
そして、その中で得た先進技術により、水路を造って地域を開拓したり、馬の生産をおこなったりして、地域の開発産業の更新に多大な業績を残していたことが判明。
副葬品は、繰り返し受けた盗掘によりほとんど失われていると考えられていた。
ところが、主体部周辺の土を水洗いするなどの丹念な調査から、金属の装飾具、金銅の馬具、金銅製の冠または飾履(しょくり)、雲母製の装身具などの破片が発見された。
出土品には貴重な朝鮮半島製品が含まれていることから、この被葬者は朝鮮半島とのつながりを持っている人物であるという考えかたが主流になっている。
この古墳から県内で最も多く人物埴輪が採用された。
主要なものは、藤岡市にある本郷・猿田埴輪窯で生産されたものと考えられ、保渡田古墳群の築造を機に本郷・猿田埴輪窯の築造が開始された可能性が高いという意見もある。


s二子山01
二子山古墳も、本来は八幡塚古墳と同じように葺石と埴輪で飾られていた。
しかし、1500年という膨大な時の流れを経た古墳の姿を八幡塚古墳と見比べてもらう為にそのままの形で保存してある。
現在は、一面笹でおおわれている。
s二子山02
s二子山04
s二子山04 (2)
後円部頂上の1m地中に実物の舟形石棺が保存されている。
ここでは、実物大の石棺写真が見学できる。
s二子山03
最後に これは、この古墳を造った人のお墓・・・・
名のなき人々の一生をかけた労働の集積が1500年の時を経て私達に伝えようとしていることとは・・・・
王の墓よりもこの小さなお墓に
私はうたれた。

s二子山05

s二子山06

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