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金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)①

2017.01.15.Sun.13:45
嘘みたいな本当の歴史話⑰
皆さん、京都市左京区に「金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)」と言うお寺があるのをご存知でしょうか?今日はこのお寺についてのお話をしようと思います。
さて、「金戒光明寺」は渡来人とは何のゆかりもないお寺ですが、とある朝鮮人と大変ゆかりのあるお寺であります。このお寺の正式名称は「浄土宗大本山金戒光明寺」で、名称の通り浄土宗最初のお寺であります。またこのお寺は幕末期、「新撰組」発祥のお寺として新撰組が駐屯して本拠地を置いたお寺でも有名です。また、このお寺は会津藩殉職者墓地がある事でも有名で、禁門の変(蛤御門の変)や鳥羽伏見の戦いで戦死した多くの会津藩の人々がここに眠っており、更に「会津の小鉄」として名が知れた新撰組の密偵「上阪仙吉(こうさかせんきち)」のお墓もここにあります。
さて、金戒光明寺の裏手に「西雲院(さいうんいん)」と言う小さなお寺があります。金戒光明寺の若い住職に聞いてみた所「うちとは関係ございません。」と言って何も話してくれませんでしたが、この西雲院は金戒光明寺の山内、つまり境内寺になります。それは西雲院の由来書にもはっきり書いております。この西雲院1616年の江戸初期に「宗厳(そうごん)」によって創建されました。この宗厳と言う住職、実は豊臣秀吉の慶長文禄の役、つまり「壬辰倭乱(イムジンウェラン)」の時に秀吉の家臣「小野木重勝(おのぎしげかつ)」によって朝鮮から連れてこられた人物なんです。
日本に連れてこられた時は既に18歳だったと言われている宗厳は、蜂須賀家政により秀吉の正室(妻)である「北政所(きたのまんどころ)」、通称「ねね」に仕えます。その後、家臣の息女に仕えますが、宗厳30歳の時に息女が亡くなってしまします。世の無常を感じた荘厳は出家の道を選び11年間全国を巡り修行をして、1616年に金戒光明寺の地に戻ってきます。金戒光明寺にある息女の墓の前で荘厳は只々念仏を唱え続けていたら、金戒光明寺第27世「了的」が現れ認められます。そして了的から紫雲石を賜り「西雲院」を創建しました。熱心な宗厳の下には、多くの僧侶が集まり修行をしたそうです。宗厳は1628年10月15日、この世を去ります。現在西雲院の門の脇には、玉子の形をした宗厳のお墓があり、今も西雲院を見守ってくれております。余談ですが現在の住職とお会いして少しお話を聞けましたが、宗厳の事で訪ねてくる方はいないそうで珍しがられました。また住職によると、自分が訪ねた次の日がちょうど命日だそうで、なんだか宗厳に呼ばれたのかなとも感じました。
さて、先に登場した会津の小鉄「上阪仙吉(こうさかせんきち)」はこの西雲院とも縁がありました。明治元年の鳥羽伏見の戦いで会津藩は賊軍扱いされます。そしてそこで殺された人々を路上に放置していたのを、この会津の小鉄は子分200人を引き連れ迫害を恐れず収容して荼毘に付し供養します。その後、この者達のお墓を西雲院の住職たちと死守したと言う逸話が残っております。
いかがでしたか、今日の西雲院と宗厳のお話。
信じるも信じないもあなた次第!!
では、また次回・・・


浄土宗大本山金戒光明寺
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浄土宗大本山金戒光明寺山内 西雲院
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西雲院扁額
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西雲院初代住職 宗厳の墓所
手前から二番目、卒塔婆が三本立っている一番大きい玉子型墓石が宗厳の墓
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宗厳の墓
1628年10月15日没
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