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平野神社

2017.01.11.Wed.16:20
嘘みたいな本当の歴史話⑮
皆さん、昨年末に京都の太秦地区のお話をしましたが、今日は場所を移動して北区のお話をしたいと思います。
京都の観光地で有名な金閣寺のすぐ南側、北区平野宮本町に「平野神社(ひらのじんじゃ)」が鎮座しております。祭神は「今木皇大神(いまきすめおおかみ)」、「久度大神(くどのおおかみ)」、「古開大神(ふるあきのおおかみ)」、「比賣大神(ひめのおおかみ)」で、一見何だかわからない神様だと思いますが、調べてみると意外な事実が隠されておりました。
まず初めに「今木皇大神(いまきすめおおかみ)」ですが、「今木」は「今来」の事で、清水寺の時に説明した百済渡来人「今来の才伎(いまきのてひと)」が祀った祖神なんです。「今来」とは今来たと言う意味で新たに来た渡来人の事、「才伎(てひと)」とは新しい技術の事、つまり新たに入植した最新の技術を持った渡来人の事なんです。またこの「今木皇大神」は江戸時代の文献によると百済の聖明王だと書かれている事から、今来の才伎(いまきのてひと)が百済聖明王を祀った神様ではないかと言われております。
次に「久度大神(くどのおおかみ)」は一般的に竈(かまど)の神、火元の神と言われており、関西で竈を「おくどさん」と言う所から「久度大神」が竈の神様と言われる様になったようです。でもこれも本当の姿ではありませんでした。百済の6代目王を仇首王と言いますが、朝鮮半島の他の文献では仇首王の「首」の文字を「道」と表記した様で、また他の文献には百済の始祖は温祚ではなく「仇台」と記されておりました。「仇道」も「仇台」も同一人物の仇首王の事で、日本読みで「くと」と発音しました。その「くと」が転訛して「久度(くど)」になったそうです。つまり「久度大神」は百済聖明王の祖である仇首王の事だったんです。他にも元々「九度」は竈本体ではなく、その奥の排煙煙突の事を指して言っていたそうで、韓国朝鮮語で煙突を「굴뚝(クルトゥッ)」と言うのでそれが転訛して「クド」となった説があります。ちなみに百済人は竈の神様を崇めたそうなので煙突説もある様です。
次に「古開大神(ふるあきのおおかみ)」は正体があまり知られていない神様で、二人の人物が合わさった神様ではないかと言われております。「古開」は「古関」と書かれる事があり、後者の「古関」では、「古」を百済温祚の兄である「沸流(ふる)」として、「関」は仇首王の父である百済5代王「肖古(しょうこ)」だと言う文件があり、「肖古」は「速古(そくこ)」とも書かれるので「関」の字を充てたそうです。つまり「古開大神」は二人の百済王を表した神様であると言われております。
最後に「比賣大神(ひめのおおかみ)」の事ですが、元々平野神社は三神で、後から「比賣大神」が合祀されました。ではこの神様の正体は誰なんでしょうか?実は第50代天皇である桓武天皇(かんむてんのう)の母「高野新笠(たかののにいがさ)」、もしくは「高野新笠」の母方の祖神ではないかと言われております。この「高野新笠」は父方は百済武寧王の子孫、母方は土師氏(はじうじ)と言う百済渡来氏族と言う生粋の百済渡来氏族なんです。どちらの説にせよ、「比賣大神」は百済系の神様だと言う事がわかりますね。
平野神社の祭神は一見正体のわからない神様ですが、こうやって調べてみると百済色が色濃い神社だと言う事がわかりますね。元々はこの地にはなかったそうで、奈良から遷されてきたそうです。こうやって神様を調べると面白いですね。
今日の平野神社のお話、いかがでしたか?
信じるも信じないもあなた次第!!
ではまた次回・・・


平野神社本殿
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平野神社楼門
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平野神社拝殿
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平野神社裏口の鳥居
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平野神社由来書
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