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大酒神社(おおさけじんじゃ)

2017.01.11.Wed.15:45
嘘みたいな本当の歴史話⑬
皆さん、前回は京都の太秦、広隆寺のお話をしましたね。今回もまた太秦のお話をしようと思います。
前回お話しした広隆寺のすぐ脇に小さな神社が鎮座しております。社名は「大酒神社(おおさけじんじゃ)」と言い、祭神は「秦始皇帝(しんのしこうてい)」、「弓月王(ゆんずのきみ)」、「秦酒公(はたのさけのきみ)」の三柱です。実はこの大酒神社、神仏習合で元々は広隆寺の中にありましたが、明治政府の神仏分離政策で現在の場所に遷されました。つまり、この神社も秦氏一族で広隆寺を創建した「秦河勝(はたのかわかつ)」が祀った神社ではないかと言われております。
では何故「秦始皇帝」を祀っているのか?それは秦氏一族のルーツが中国にあり秦始皇帝一族の末裔だからなんです。と言うのは俗説であり、本当は秦の始皇帝の末裔ではなく、おそらく見栄を張っての事と思われます。
昔、百済渡来氏族に「漢氏一族(あやうじいちぞく)」がおりました。この一族はある時に見栄を張って「我こそは『後漢(中国)』の末裔である」と公言しました。でもそれは全くの嘘で、元々百済は高句麗からわかれてできた国であり、漢氏一族は純粋に百済の血を受け継いだ百済からの渡来氏族で、「後漢」とは関係なかったんです。それを聞いた秦氏一族は百済の漢氏一族に対抗して「我こそは『秦始皇帝』の末裔である」と見栄を張ってしまったんです。「秦」の国は「後漢」よりもさらに歴史を遡った歴代中国の国で、秦氏一族の方が漢氏一族よりも優れた歴史ある一族と言いたかったようです。さらに新羅はローマや中央アジアとの交流が盛んだったようで、古墳や遺跡からその辺りの宝物が出土した事で秦氏一族のルーツがローマ辺りにあり、シルクロードを通って中国に移り「秦」を創建した後、国が亡びる時に朝鮮半島に逃げ落ちたと言うストーリーが出来上がってしまったんです。そこになぜか秦氏一族は「ユダヤ教」を信仰していたとの情報が加わり、秦氏関連の神社はユダヤ教の影響を受けているとのストーリーまで出来上がってしまったんです。前回もお話しした様に、秦氏一族の出は現在の韓国慶尚北道蔚珍郡辺りだと言われております。もちろん新羅も高句麗の人たちが南下してできた国です。
さて話を戻して、この「大酒神社」は記録によると元々「大辟神」と書き、ご神体は「石」なんです。日本の神社でご神体が「石」である多くの神社は祭神が「猿田彦」なんです。おそらくこの「大酒神社」も元々、祭神として「猿田彦」を祀ったのではないかと言われておりますが現在は不明です。ちなみに相殿の祭神である兄媛命(呉姫女)は「呉」なので高句麗の「句麗」と思われがちですが、伽耶国の求礼から来たお姫様、弟媛命(漢姫女)は「漢」なので百済のお姫様です。
秦河勝は「大化の改新」の時に自分の命が狙われていると思い、兵庫県の赤穂に逃げてしまいます。そこで自分達の文化と技術を活用し、お酒造りで莫大な富を得ます。そして創建したのが「大避神社(おおさけじんじゃ)」なんです。秦河勝はその地で没し、沖合の生島に埋葬されたと言われており、現在そこは神域として管理されております。
いかがでしたか今日の大酒神社のお話。
信じるも信じないもあなた次第です。
ではまた次回・・・


大酒神社の社
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大酒神社の鳥居
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大酒神社石碑
太秦明神はおそらく「秦河勝」
その下に呉織神、漢織神とあります。
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大酒神社の由来書
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