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道昭

2016.12.21.Wed.08:54
☆李創建さんのフェイスブックよりシェアしました。

289.続・結構知られていない日本と朝鮮の歴史
【大阪の中の朝鮮.23.大阪と農民に貢献した僧侶】
皆様お久しぶりぶりでございます。
(*- -)(*_ _)ペコリ
学校や仕事の関係で、忙しい日が続き『結構知られていない歴史シリーズ』を怠っておりました。今後ともコンスタントにアップしていきますので、どうぞ皆様、ご愛読の程、ヨロシクお願いいたします。
o(^▽^)o
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さて、本題に入ります。いきなりですが、道昭(どうしょう)というお坊さんをご存知でしょうか?大阪の渡来人や仏教、飛鳥時代を語る時、道昭を忘れてはいけません。彼は現在の大阪、羽曳野市(はびきのし)北部の生まれです。彼の生きた時代というと、朝鮮半島は『高句麗・百済・新羅』の三国時代で、日本は飛鳥時代で『舒明天皇:じょめいてんのう』が君臨し、天皇の宮殿を『百済宮:くだらのみや』と名付けた時代で、日本と朝鮮半島がとても良い政治を行った時代でもありました。
この道昭というお坊様、俗姓は『船連氏:ふねのむらじうじ』という名前で、彼の父は『船 恵尺:ふね の えさか』といい、舒明天皇の曾爺にあたる欽明天皇に仕えて『船史(ふねのふひと、史は姓)』を与えられた氏族です。
また『王辰爾:おうしんに、おうしんじ』の子孫であるといわれ、その王辰爾とは第16代百済王辰斯王の子、辰孫王を発祥とする百済渡来系氏族船氏の祖で、学問に秀で、儒教の普及にも貢献したとされる人物でした。つまり道昭は、朝鮮半島渡来人の血を引き継ぐ、お坊様なのです。
さてさて、話を戻し、彼は24歳の時に唐(中国)に渡り『玄奘三蔵:げんじょうさんぞう(三蔵法師)』に師事し学びます。そうあの西遊記にでてくる三蔵法師を師にしたお坊さまなのです。
(☆Д☆)キラリーン♪
玄奘はこの異国の学僧:道昭を非常に大切にし、同室で暮らしながら指導をしたといわれています。これは三蔵法師がインドで学ぶ時、異国人としていじめられた経験から、自分の弟子は異国の僧であっても、大切に育てようとしたようです。そして道昭はそんな優しいお師匠様から、8年間の学びと修業を受けた末、日本に戻ってきました。
その後、彼は日本の『法相宗:ほっそうしゅう』の始祖となりました。法相宗とは現在の、興福寺、薬師寺の2本山が統括しています。晩年は全国を遊行、特に大阪で土木事業を行い社会事業にもつくす傑出した高僧となり、一般庶民や農民に尊敬を受ける僧侶となりました。
700年に72歳で没した際、遺命(遺言)により日本で初めて火葬に付されます。その記録も『続日本書紀』に現存しています。また彼が亡くなったとき、時の天皇『文武天皇:もんむてんのう』が大変悼み、使者を送って弔意(ちょうい)したエピソードも残るほどです。
そして彼の高弟には、あの奈良の大仏を建てた『行基:ぎょうき』上人がいます。行基についてはまた次回。
((o^-')b
★大阪に道昭が創建した寺★
①佐井寺(さいでら)…大阪府吹田市佐井寺1丁目17-10
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