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八坂神社

2016.12.02.Fri.13:14
☆金浩さん
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嘘みたいな本当の歴史話⑥

皆さん、日本三大祭と言えば京都八坂神社の祇園祭ですね。京都の夏を彩るお祭りとして有名ですね。今日はこの八坂神社とその周辺のお話をしたいと思います。

清水寺を背にして参道を下り、一つ目の四差路を右折するとテレビやガイドブックでおなじみの産寧坂があり、更にそこを進むと大きな五重塔が目の前に現れます。この五重の塔、通称「八坂の塔」と言われておりますが、正式には「法観寺」といい、かつては「八坂寺」とも言われておりました。この五重塔(八坂の塔)は、西暦678年に建立されたそうですが、建立者が渡来人だとはあまり知られておりません。

実はこの一帯、かつては八坂郷とよばれ「八坂造(やさかのみやつこ)」と言う一族が住んでおりました。この一族、「新撰性氏録(古代氏族名鑑)」に「出自狛国人、之留川麻乃意利佐(しるつまのいりさ)」と書かれております。訳せば「高句麗人、之留川麻乃意利佐(しるつまのいりさ)から出た一族」と言う意味なんです。つまり八坂造は高句麗渡来氏族で、この「八坂の塔」がある「法観寺」は、八坂造が氏寺として建立したお寺だったんです。かつては広大な敷地を有しておりましたが、現在はこの五重塔を残すのみとなりました。

さて、「八坂の塔」から北へ500mほど進むと、「祇園さん」と呼ばれている「八坂神社」が鎮座しております。実はこの八坂神社も、高句麗渡来氏族八坂造が創建した神社であります。由来には諸説色々ありますが、一般的には「西暦656年韓国(からくに)の調進使伊利之使主(いりしのおみ)が来朝し、新羅国牛頭にいる須佐之雄尊(すさのおのみこと)を祀った」と言う事が有力の様です。この「韓国の伊利之」は先に述べた「狛国人意利佐」と同一人物で、「高句麗人である意利佐(伊利之)が八坂神社と八坂の塔(法観寺)を創建した」と言う事なんですね。

さて、八坂神社の祭神は「素戔嗚尊(すさのおのみこと)ですが、日本書紀に「新羅の曽尸茂利(そしもり)に降臨してその地に住んだ後に日本に来た」と書かれております。なぜ高句麗人が新羅の神様を祀ったのか?おそらく後から祀られたようで、最初は高句麗の祖神を祀るために八坂神社を創建して、高句麗の祖神のお祭りとして「祇園祭」が行われたのが、後に新羅渡来氏族が入り新羅の神様を祀ったようです。「曽尸茂利」とは牛の頭を意味する「소머리(ソモリ)」であり、韓国の春川、牛頭山の事です。さらに曽尸茂利は都と言う意味の古語「徐伐(ソブル:新羅の首都)」と同意語で現在の「ソウル」の語源でもあります。

八坂神社の境内には沢山の摂社がありますが、そのほとんどが朝鮮半島渡来神ばかりでした。代表的なのは韓神(からかみ)と呼ばれている「大国主命(おおくにぬしのみこと)」「少彦名命(すくなびこな)」。韓神は天皇が京都にいた頃宮中に祀られていた神様です。またえびす様として親しまれている渡来神「事代主命(ことしろぬしのみこと)」も祀られており、その他にも沢山渡来神が祀られておりました。これらの祭神は新羅や伽耶に関係ある神様たちばかりです。

今日の八坂のお話、いかがでしたか?
高句麗渡来人達の居住地八坂、そしてその高句麗渡来人が創建したお寺や神社。
面白いですね。
信じるも信じないもあなた次第です。
では、また次回・・・
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