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福井県の百済①

2016.08.19.Fri.07:04
‎金浩‎ ― 한성백제 くだらの道より転写しました。
言葉の語源

さて、今回は福井県の百済のお話をしたいと思います。
福井県越前市と言えば越前和紙と刃物で有名な地でありますね。越前和紙と言ってもピンとこない方、実は皆さんよく知っている所で使われているんです。それは、浅草雷門の赤い大提灯なんです。

さてさて話を戻して、この越前市のはずれには朽飯町(くだしちょう)と言う地に「八幡神社(はちまんじんじゃ)」が鎮座しており地元では「朽飯八幡神社」と呼ばれております。八幡神社自体はあまり珍しくないのですが、この神社の由来に面白い事が書かれておりました。「麻羅宿禰(まらのすくね)の後裔(こうえい)、服部連(はとりのむらじ)が織部司に任ぜられ当地に下向して服部郷と命名し、煩速日之命を八架神に合祀して鎮守としたことに始まるものと伝えられる・・・百済国の怒理使王(ぬりのおみ)の孫で、阿久太(あくた)の子の弥和(みわ)をはじめ、機織りに長じた織姫たちが渡来し、養蚕と絹織りの技術を郷民に教え、そこで生産された絹織物は貢物として朝廷に上納された。」ここで麻羅宿禰と服部連は伽耶系新羅の渡来人、怒理使王は百済の渡来人。つまりこの一帯ははじめ新羅渡来人が治め「服部郷」と呼ばれていた所に、百済渡来人が入植してきた地なんですね。現在もその名残として、ここを服部谷と呼んだり、河川名も「服部川」が確認できます。更に諸説色々とありますが「朽飯」と言う地名、一説には「百済氏(くだらし)」の転訛だと言われております。つまり、地名と歴史のミルフィーユ地帯なんですね。

この越前市、実はもう一つ面白い歴史がありました。それは「継体天皇」が幼少期に育った場所でもあるんです。継体天皇とは日本の第26代目の天皇ですが、現在の皇室の初代天皇と言われております。それ以前の天皇は代が途絶えたり記録が欠落しており、その実在や年代がはっきりしていないんです。なので、確認が取れている実在する天皇としての初代天皇と言われております。

現在の平成天皇が数年前に発表した内容で、自分達には百済の血が流れていると言った事はご存知でしょうか?第50代目の桓武天皇(かんむてんのう)の母方が百済人と言う事を述べておりました。しかし、この継体天皇も多くの歴史学者が百済人ではないかと言っており、沢山の本も出版されております。自分も福井県に行ってそう感じる事が多々ありました。それはこの継体天皇ゆかりの神社をまわれば一目瞭然です。

越前市池泉町には「味真野神社(あじまのじんじゃ)」が鎮座しておりますが、この神社は元々継体天皇が幼少期に過ごした宮居の跡なんです。そしてその案内板にはまっている鬼瓦、じつは百済の建物に使われる物にそっくりなんです。そしてそのわき道を3kmほど東に行くと「五皇神社(ごおうじんじゃ)」が鎮座しております。この神社は元々、継体天皇が幼少期に勉強をした学問所があった場所です。ここの案内板のモニュメントは、百済の蓮の瓦の形をしております。更に更に、ここの看板に描かれている古代の人の服装も、朝鮮半島の服装にそっくりなんです。ある意味、福井の出島と言わんばかりの地でした。これは何を意味するのか?やはり継体天皇は百済人だったのではないかと言う説に信憑性が出てきましたね。

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