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福井県 敦賀の語源話

2016.07.27.Wed.08:22

7月24日
言葉の語源 その106

震災やら大雨やらで忙しい毎日でなかなか書けないでいましたけど、梅雨も明けやっと落ち着いたので、福井県の語源話の続きを書きたいと思います。今日は以前書いた小浜・若狭地方から、舞台を敦賀地方に移して話しいたします。

福井県中央部には有名な敦賀湾があります。朝鮮半島からの渡来人達はこの敦賀湾にも多く渡来してきてその痕跡を残しております。この湾を形成している西側の敦賀半島の先端には、皆さんがよく耳にする高速増殖炉「もんじゅ」があります。その脇に小さな白木漁港有する白木と言う集落があります。そしてそこには「白城神社(しらきじんじゃ)」が鎮座しております。実はここの地名「白木」は元々「新羅」であり、それが転訛して「白木」になりました。さらに「白城神社(しらきじんじゃ)」も元々は「新羅神社(しらぎじんじゃ)」だったそうです。この白木地区の人々は玉子を口にしないそうです。理由ははっきりしていませんが、元々新羅は鶏を神格化して国名も「鶏林」と呼んでいた時代があり、その流れではないかと言われております。

さて、この白木地区から5kmほど南下すると、菅浜(すがはま)海水浴場があり、「菅浜神社(すがはまじんじゃ)」が鎮座しております。この「菅浜」と言う地名、浜があるからそう呼ばれたのではなく、元々「菅窯(すがかま)」と呼ばれておりましたがそれが転訛して「菅浜」になりました。この地区周辺では古代、須恵器(すえき)と言う朝鮮半島伝来の焼物が焼かれておりました。その窯跡は現在わかっているだけでも2千基を超えます。この菅窯は朝鮮半島渡来人が須恵器を焼いた場所なので、「菅窯」と呼ばれたんですね。また、「村」の事を朝鮮半島の古語で「スカ」と言いますが、「菅」は「スカ(村)」の転訛だと言われております。つまり須恵器を焼いた村だから「菅窯」なんですね。
先に述べた菅浜神社、この神社の祭神は「菅竈由良度美(すがかまゆらどみ)」と言う神様であり、天之日槍(あめのひぼこ)七世の孫と伝わっております。天之日槍は日本の古文書に新羅の王(または大伽耶の王)と記されており、菅竈由良度美は王族の子孫なんです。これだけを見てもこの菅浜が古代、新羅との関わりが強かった事がわかります。さらにこの菅竈由良度美は日本の歴史で度々登場する、「神功皇后(じんぐうこうごう)」の祖母でもあります。

菅浜から4kmほど離れた敦賀半島の付け根中央部には、沓見(くつみ)と言う地区があり、そこに「信露貴彦神社(しろきひこじんじゃ)」が鎮座しております。この神社の由来ははっきりしておりませんが、元々は「白木大明神(しらきだいみょうじん)」、「志呂気神社(しろきじんじゃ)」と呼ばれ、「新羅」と同意だそうです。ここで「彦」とは「日子」で男を意味し、新羅の男性を祀った神社であります。またこのすぐ近くには、「久豆彌神社(くつみじんじゃ)」が鎮座しており女ノ宮と呼ばれ、「信露貴彦神社」を男ノ宮と呼び、この二社は夫婦神と言われております。つまり新羅の王族の夫婦を祀った神社なんです。

敦賀はこれだけ見ても新羅との関わりが強く、多くの渡来人が入植した地域だと言う事がわかりますね。
いかがでしたか、今日の語源話。
次回もまた、敦賀のお話をさせていただきますね。

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