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佐賀県有田町「陶山神社」①

2016.05.18.Wed.09:38

佐賀県有田町には「陶山神社」が鎮座しております。地元では「とうざんじんじゃ」と呼ばれておりますが、正式には「すえやまじんじゃ」と呼びます。
この神社は境内に在来線JR佐世保線の線路が走り、「ナニコレ珍百景」にも登場した有名な神社です。
さてこの神社、祀られているのは有田焼陶祖李参平で、他に肥前佐賀藩初代藩主鍋島直茂、そして応神天皇も祀られております。この神社は先ほどの線路の他に、鳥居、狛犬、扁額、そして本殿の欄干、参道の灯篭、柱等が陶磁器で構成されている事でも有名です。
さて、陶山神社では今から99年前の大正6年5月4日、とある祭事が執り行われました。それは「陶祖祭」といい、内容は有田焼300年を祝い陶山神社(すえやまじんじゃ)の裏山の頂に、「陶祖李参平之碑」を建てて、有田焼の陶祖李参平に有田焼産業発展の報恩と感謝、お参りをした除幕式でした。しかし、この碑を建てるにあたっては、大変な苦労があった事はあまり知られておりません。
当時の有田町では、有田焼300年祭をお祝いして「陶祖李参平之碑」建立が計画されました。建設期間は2年に及ぶ一大プロジェクトであったと言われております。当時この建立計画が持ち上がった時、「日本の神様を祀った陶山神社(当時祭神は応神天皇)を見下ろす場所に、朝鮮人を記念して碑を建てるとは何事だ」と、有田町を二分する程の反対があったそうです。そう、時代は日本が朝鮮を植民地化したいわゆる「日韓併合」の真っただ中で、除幕式があった大正6年は、西暦で1917年だったんです。建設が始まったのが1915年、建立計画はそれ以前のお話。植民地化直後だったんです。
しかしながら、有田焼が300年もの間焼物産業を続けてこられたのは先人たちのおかげだと、深川六助が反対派を一人一人説得して回ったそうです。ちなみにこの深川六助は、有田生れで初代文部大臣森有礼の書生であり、森有礼暗殺後は有田に戻り有田焼に貢献した人物であります。現在の有田陶器市の形態は、この深川六助の考案だと言われております。この深川六助の働きにより、大隈重信(第8、17代総理大臣)が名誉総裁となり、碑は2年間かけて建設され、大正6年5月4日、雨の中200名もの人が山に登り、金ヶ江義平(12代李参平)により除幕されました。それ以来、毎年5月4日には「陶祖祭」が開催されるようになりました。
現在では韓国からの来賓も多く参列する様になり、「陶祖李参平之碑」までの坂道には韓国の国花「ムクゲ」が植えられており、碑は有田の町を一望しながら有田町を見守ってくれております。ちなみに境内にJR佐世保線の線路が横断している由来は、「陶祖李参平之碑」を建設するにあたって、資材運搬のために線路を引き込んだ名残だと言われております。


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