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福井県③小浜市白石神社

2016.04.28.Thu.15:04
言葉の語源 その105
さて皆さん、前回は若狭彦神社、若狭姫神社、神宮寺のお話をしましたが、今日はその続きをお話しいたします。
さてさて、前回の語源話で、若狭彦神(彦火火出見尊)と若狭姫神(豊玉姫)は下根来白石に降臨したとお話ししましたね。その場所は若狭神宮寺から遠敷川を1.5kmほど上流に向かった場所で、ここの遠敷川の対岸に「鵜の瀬(うのせ)」と言う川が蛇行して淵が出来た岩場がありますが、両神はこの岩場に降り立ったんです。
この鵜の瀬から150mほど離れた所に、「白石神社(しらいしじんじゃ)」が鎮座しておりますが、白石神社の由来によれば、若狭彦神と若狭姫神は、この鵜の瀬に八人の眷族(一族家臣)を従えて白馬にまたがって、白雲に乗って唐人の姿で天下り、その時に二羽の鵜が迎えたと言う事で、この岩を「鵜の瀬」と言う様になったとあります。ここでの「唐人(からびと)」は「韓人(からびと)」であり「加羅人(からびと)」、つまり新羅人のことなんですね。祭神は白石大神(白石明神)、または鵜の瀬大神(鵜の瀬明神)として、若狭彦神と若狭姫神を祀っております。現在白石神社は若狭彦神社の境外社扱いですが、実は若狭彦神社と若狭姫神社の創祀社、つまり両社の元がこの白石神社なんです。外見は社の周りに雪よけの板が張られ、一見古ぼけた物置小屋に見えますが、中を覗くと小さいながら立派な彫り物をした社を構えております。
さてこの白石神社、何故「しらいし」と呼ぶのかと言いますと、その語源はやはり新羅にありました。前回ご紹介した若狭神宮寺、そしてこの白石神社は、新羅渡来人が祀った事により新羅寺、新羅神社と言われていた様で、特にこの白石神社は新羅氏が祀った神社で「新羅氏神社」だったそうです。それが転訛して「白石神社」になり地名も下根来白石になったそうです。ちなみにこの上流には「上根来(かみねごり)」と言う地区があり広峯神社が鎮座しております。祭神は牛頭天王(素戔嗚尊)で新羅渡来神であり、この白石神社と深い関係があるそうです。
この白石神社と神宮寺、実は奈良の東大寺とも深い関係があり、東大寺の二月堂のお水取りと言う行事は、元々鵜の瀬の水を東大寺の二月堂まで運んで行っておりました。
だから東大寺二月堂の周りに守り神として、「遠敷神社(祭神:彦火火出見尊)」と「興成神社(祭神:豊玉姫)」が祀られているんです。
現在鵜の瀬の水は運ばれておらず、若狭神宮寺ではお水送り、東大寺ではお水取りが各々別々に行われております。
更にこの白石神社、大阪藤井寺の「辛国神社(からくにじんじゃ)」、東大寺近くの「漢国神社(かんごじんじゃ)」とも関係が深いと言われております。どちらも新羅の神様を祀っており新羅系の神社です。
いかがでしたか、本日の語源話。
新羅から来た新羅渡来氏族が下根来白石の鵜の瀬にやってきて白石神社を祀り、更に川を下って若狭彦神社上下社(若狭彦神社、若狭姫神社)と若狭神宮寺を祀った。
小浜市一帯は新羅渡来人の王国だったんですね。
次回は敦賀方面の語源話をしたいと思います。
ではまた次回・・・

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