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福井県②小浜市若狭彦神社、若狭姫神、神宮寺

2016.04.28.Thu.14:51
金浩さんが4月6日 19:30の写真5件を追加しました。
4月6日 19:30 · ·
言葉の語源 その104
さて皆さん、今回も引き続き福井県小浜市の語源話をしたいと思います。
前回ご紹介した若狭小浜八幡神社から4km程滋賀方面に進むと、遠敷川(おにゅうがわ)沿いに「若狭姫神社(わかさひめじんじゃ)」が、更に1.5km程上流に進むと「若狭彦神社(わかさひこじんじゃ)」が鎮座しております。
この両社は一対でその昔、若狭彦神社と若狭姫神社を併せて「遠敷明神(おにゅうみょうじん)」「上下宮(じょうげぐう)」と称して「若狭一宮上社下社(わかさいちのみやじょうしゃげしゃ)」と扱われておりましたが、明治以降若狭国一之宮、若狭国二之宮と区別されました。
つまり二つの社を持ったひとつの神社が明治以降に区分されてしまったと言う事です。
祭神は若狭彦神社に「彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)」、若狭姫神社に「豊玉姫(とよたまひめ)」が祀られており、この二柱は夫婦であり、日本の初代天皇と言われている、「神武天皇(じんむてんのう)」の祖父母になります。
由来書や伝承によると、この夫婦神は上流にある下根来白石(しもねごりしらいし)に降臨したとあり、新羅渡来人が祀った夫婦神でありますが、その具体的な内容は次回の語源話でお話しいたします。
ちなみに、浦島太郎の竜宮城のお話はこの二人をモデルにした話だと言われております。
さて、日本は古来、神道(神社)と仏教(お寺)を一緒に混合して崇めていた時代があります。
俗に言う神仏習合(しんぶつしゅうごう)と言う時代でした。
当然この若狭彦神社、若狭姫神社もとあるお寺が祀っておりまいた。
それは若狭彦神社から遠敷川を800mほど上流に行った所にある「神宮寺(じんぐうじ)」と言うお寺です。
この神宮寺の由来書によると、朝臣赤麿公が若狭神願寺として創建して、遠敷明神(若狭彦神、若狭姫神)をお迎えして、神仏両道の道場として神宮寺になったとありました。また由来書の冒頭に面白い記述があったのでご紹介します。
「若狭神宮寺由来書 若狭は朝鮮語ワカソ(往き来)が訛って宛字した地名で、奈良も朝鮮語ナラ(都)が訛って宛字されている。
この地方は若狭の中心で白鳳以前からひらけ、この谷は上陸した半島大陸文化が大和(朝鮮語でナラともいう)へはこばれた最も近い道であった。
それは対馬海流にのってきて着岸した若狭浦の古津から国府のある遠敷(おにふ=朝鮮語ウォンフー「遠くにやる」が訛った)や根来(ねごり=朝鮮語ネ、コーリ「汝の古里」が訛った)」と京都や奈良が百キロほどの直線上にあることである。…」
もうお分かりですね。
そう、この若狭と言う地名は韓国朝鮮語の「와가서(往き来)」が語源で、川や神社の名前にもなっている「遠敷(おにゅう:おにふ)」は「원후(遠くにやる)」であり、降臨地の地名「根来(ネゴリ)」は「네고리(汝の古里)」なんですね。
それだけこの地には、渡来人が多くいたと言う証拠ですね。
神宮寺の由来書に、こんなにはっきり書かれているとは驚きです。
さて、次回は遠敷明神と呼ばれた若狭彦神社、若狭姫神社の降臨地についてお話ししようと思います。
ではまた次回・・・
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