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さきたま古墳群

2016.01.29.Fri.15:24
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皆さん、埼玉県は歴史好きにはロマンを感じる地ですね。今日も引き続き、埼玉県の渡来人のお話をしたいと思います。

埼玉県行田市埼玉(ぎょうだしさきたま)には、大型古墳群の「さきたま古墳群」があります。現在は大型古墳が9基現存しておりますが、かつては40基以上あったと言われており、その大半は湿地の埋め立てや田畑の開墾、そして戦等で破壊されてしまいました。

さて、この古墳群で一番有名なのは、日本最大の円墳である「丸墓山古墳(まるはかやまこふん)」です。直径が108m、高さ18.9mもある驚くほど巨大な古墳ですが、いまだかつて正式な調査が行われていないので、埋葬部分や副葬品がどこにあるかはわかっておりません。この古墳、大きさのみならず歴史的に有名になった古墳でもあるんです。野村萬斎主演の映画「のぼうの城」で上地祐輔演じる「石田三成(いしだみつなり)」が「忍城(おしじょう)」の水攻めで陣取ったうず高い古墳が、この丸墓山古墳なんです。この上からの眺めは2km離れた忍城を一望できるほどで、当時水攻めで築いた堤防(石田堤)の一部は、今でもこの古墳に通づる桜並木道として残っております。ちなみに自分は、古墳に登る事は死者への冒涜と思っておりますので登っておりません。

さてこの丸墓山古墳から200mほど西に行った所に「将軍山古墳(しょうぐんやまこふん)」があります。この古墳は1894年、近隣住民が古墳の石を庭石に使おうと掘っていたら、石室が見つかり、かなり貴重な出土品が確認されました。それは馬冑(馬の兜)と蛇行鉄器(鞍の後ろに付ける、旗立て)です。これらは高句麗の古墳の壁画にみられる馬具で、日本でも出土例がきわめて少なく、馬冑は3例、蛇行鉄器は9例しかなく、さらに古墳の形式が新羅地方によく見られる横穴形式で、朝鮮半島との縁が濃厚であり、古墳の被葬者は渡来人の武人(軍人)ではないかと言われております。明治に入りこの古墳も、湿地の埋め立てに使われてしまい、原形をとどめないほど崩れ落ちましたが、1996年に復旧作業に取り掛かり、現在は埋葬当時の古墳内部の様子が見られる展示館になっております。

同じさきたま古墳群の中に「稲荷山古墳(いなりやまこふん)」があります。この古墳からは鉄剣が出土し、X線で調べてみると文字が刻まれているのが確認できました。この鉄剣は現在、国宝に指定され現物は隣接する「埼玉県立さきたま史跡の博物館」で見る事が出来ます。色々と調べてみるとここもやはり、豪族となった渡来人の古墳だと思われます。

実はこの古墳群、埼玉県の県名の語源になっている事をご存知ですか?ここに埋葬されている被葬者の魂を「人に幸福を与える神の霊魂」と言う意味で、「幸御魂(さきのみたま)」と言いました。「幸」の字は古代「幸ふ(さきはふ)」と読みました。地名の変化を追ってみると「幸御魂(さきみたま)」→「幸御(さきたま)」→「前玉(さきたま)」→「埼玉(さきたま)」→「埼玉(さいたま)」となって行きました。つまり、埼玉県の県名の語源は、渡来人の魂だったんですね。

今日の埼玉県名語源の話はいかがでしたか?
まだまだ引き続き、埼玉の渡来人話をして行こうと思います。
ではまた次回
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