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多胡碑について

2016.01.22.Fri.13:56
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金浩さん


皆さん、前回お話しした富岡市の隣町に、吉井町と言う所があります。上信越自動車道を使ってもほんの10km程度の距離です。この吉井町は富岡市同様、渡来人にまつわる街でもあり、大変貴重な史跡がある所でも有名です。今日はこの、吉井町お話をしたいと思います。

この吉井町は、2009年に高崎市編入されましたが、それ以前は多野郡吉井町(たのぐんよしいちょう)と言う地名でした。この吉井町に辛科神社(からしなじんじゃ)が鎮座しておりますが、大変歴史が古く西暦701年頃に創建されたと言われております。
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辛科神社
この神社の境内には大変興味深い石碑のレプリカがあります。この石碑の実物は同じ吉井町の少し離れた所にあり、碑の名前を「多胡碑(たごひ)」と言います。

さて、この多胡碑には6行80文字が刻まれておりますが、碑文の内容は要約すると次のような事が書かれております。「朝廷の命令により、上野國片岡郡、緑野郡、甘良郡から三百戸を分割して新たに郡をつくり、羊を統治者とする。郡名を多胡郡とする。」と言った内容です。
ここに書かれている「羊」は名古屋の「羊神社」を建てた、新羅渡来人「多胡羊太夫(たごひつじだゆう)」の事ですね。
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名古屋の羊神社
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安中市中野谷の羊神社
余談ですが、何故羊太夫と言う名前なのかと言いますと、生まれが未年の未の日だからだそうです。そして多野郡吉井町の「多野郡」はこの「多胡郡」が転訛した地名で、渡来人(胡)が多く住んだと言う意味でこの地を「多胡郡」としたそうです。

さてこの多胡碑、どこがすごいかと申しますと、国指定特別史跡でありいわゆる国宝扱いであり、日本で最も古い石碑の一つとされています。またこの碑文は「続日本紀」にも書かれており、どれだけ重要かと言う事がわかりますね。そんな重要な石碑に刻まれた内容が、渡来人の事柄って考えるとすごい話ですよね。

さて、甘楽郡(かんらぐん)には元々、韓級(からしな)と言う郷がありました。特に加羅渡来人が多く住んだので韓級郷と呼ばれ、多胡郡設立の際に甘楽郡から分割され多胡郡に編入されました。この韓級郷に鎮座していた神社が「韓級神社(からしなじんじゃ)」で、冒頭で述べた「辛科神社(からしなじんじゃ)」の事なんです。加羅系新羅渡来人が祀った神社なんですね。祭神を見ても一目瞭然、新羅渡来神の速須佐之男命(すさのおのみこと)と、その息子である五十猛命(いそたけるのみこと)が祀ってあります。

今日のお話をまとめると、多胡郡 → 多野郡吉井町 → 高崎市吉井町で、韓級神社→ 辛科神社になったんですね。そしてその郡司が多胡羊太夫で、その事を刻んだ石碑が多胡碑と言う事です。分かりになりましたでしょうか?群馬県にはまだまだ渡来人ゆかりの地名がございますが、それはまた、お話しする機会を設けて行いたいと思います。次回は、羊太夫が埼玉県で大変活躍したお話をしたいと思います。

群馬と言ったらだるま弁当に焼きまんじゅうですね。
アツアツの焼きまんじゅうの味噌ダレは、酒の肴やおやつにピッタリ!!
今宵は芋焼酎のお湯割りに、アツアツの焼きまんじゅうでもいただこうかな?
ではまた次回・・・

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