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佐賀県佐賀市唐人町にまつわる話①

2016.01.16.Sat.16:52
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佐賀県佐賀市唐人町にまつわる話①

JR佐賀駅を出て、目抜き通りを県庁の方に少し下って行くと、そこには唐人町と言う町があります。
この町名には、とある朝鮮人商人が深くかかわっている事をご存知でしょうか?
その人の名は、李宋歓。
生まれは現在の、朝鮮民主主義人民共和国、咸鏡北道吉州郡だと言われております。

両班の家に生まれた李宋歓は、天正15年(1587年)家族と共に舟遊びを楽しんでいる最中、突然の暴風雨に見舞われます。
その時家族はすべて溺れ死に、舟は李宋歓を乗せて数日間漂流し、現在の北九州黒崎に漂着します。
その後、大宰府参詣に立ち寄った肥前鍋島藩重臣龍造寺家晴と、その家老成富兵庫茂安に出会い佐賀に連れてこられ、二人の仲介で鍋島藩藩主鍋島直茂と面会します。
その時日本は空前の儒教ブームに沸き、両班出の李宋歓を学問に長け朱子学にも明るいと思われ、鍋島直茂から召し抱えられることとなります。

李宋歓は鍋島藩主に仕えた数年後、再び祖国朝鮮の地を踏む機会を得ます。
しかしそれは喜ばしいことではなく、文禄・慶長の役(1592〜1598)、つまり豊臣秀吉による朝鮮出兵の際に、鍋島藩の通訳としての帰国でした。
鍋島藩はこの時多くの陶工や技術者、儒学者等を連行し日本に連れてきました。
この時に多くの役割を果たしたと、1599年に鍋島直茂は李宋歓に対し、名字帯刀、十人扶持と城下にわずかながらの領地を与え、さらに海外貿易の永代御用達商の免状を与えます。
鍋島直茂はその地を、李宋歓の故郷にちなんで唐人町としました。
李宋歓はこの唐人町に、連れて来られた朝鮮人技術者達を住まわせます。
そして商いでは、日本では珍しい繊維品、陶磁器類、金物、荒物などを多く輸入し、それを扱う商人がこの町に集まり唐人町は栄えていったとされております。

李宋歓は利敵行為をしたため、祖国には二度と帰国ができず、祖国を想い自宅内に石碑を建てて毎日祖国の方に向かって拝んだそうです。
この石碑は唐人塚と呼ばれ現在も残っており、唐人神社の祖神として今でも祀られております。
李宋歓の墓は、唐人町にある鏡円寺の墓地内にあり、一族の墓に囲まれながら今も安らかに眠っております。

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