FC2ブログ

古代史の先生みぃ~つけた!

2016.01.13.Wed.12:29
日本の地図をジーと見ていると畑・波田・羽田・幡多という地名がよくある。
実はあて字で「秦」だったんじゃないかなといつも思う。
白洲正子さんの著作を読んでいたら、白洲さんが全く同じことを疑問に思っていたのには驚いた。
興味のある土地を歩き尽くした白洲さんの素直な疑問に共感・感動した。
ますます白洲正子に魅せられていった。

古代に秦氏が入植したであろう土地を古代を想像しながら歩くのが好きだ。

※以下はFacebookで知り合った金浩さんのタイムラインから転写いたしました。
1525134_10202300036574332_73006284_n.jpg
金浩さん

★言葉の語源


さてさて、前回は大分県宇佐市にある、宇佐神宮のお話をしました。
宇佐一帯の秦氏一族は、朝廷の命令により鹿児島県の大隅国(現霧島市)に移住をさせられますが、今日はそのお話とそれにまつわる語源話をしたいと思います。

秦氏一族(辛島氏)主な移住の理由は、隼人族の征伐でした。この隼人族、実は以前お話しした「熊襲(くまそ)」なんです。熊襲は九州連合に属さず、後に朝廷にも従わず激しく抵抗します。秦氏一族は、戦術にもたけて高度な製鉄での武器製造技術を持っていたことと、同じ渡来人同士なので、熊襲が話し合いに応じるのではないかと思われ、征伐に駆り出されたと言われております。

この秦氏一族の移住数は、200戸(約5000人)と言う記録があります。移住した秦氏は、同地域の隼人が激しく抵抗するために、大隅国の稲積山に城を築く事になりました。実は、宇佐郡辛国宇豆高島の別名が稲積山と言い、秦氏(辛島氏)の聖なる山でした。つまり大隅地方の稲積山は宇佐同様、移住した秦氏が聖なる山と定め、地名も稲積山として稲積城を築いたとされています。そしてこの山を、宇豆高島の意味である「宇豆峯(うずみね)」呼び、山頂に神社を祀り信仰して行く事になります。この神社の名前は、「韓国宇豆峯神社(からくにうずみねじんじゃ)」と言い、後にこの山の麓にうつされました。
その事を「宇佐記」には、「欽明天皇三十二年(571)、豊前国宇佐郡菱形池の上の小椋山に祀られたのを当地宇豆峯の山頂に遷座され、さらに国司の進言により永正元年(1504)、現在地に奉遷した。」と書かれております。これは宇佐神宮(小椋山)から宇豆峯山頂(高宇都:現名称)に神様を遷し、後に国司の進言で現在の地に遷したと言う事です。秦氏が移住と同時に宇佐から神様を遷した神社だと言う事がわかります。神社の由来書にも、豊前国から遷したと記されております。

ここで言う「韓国」は、現在の大韓民国の事ではなく「加羅国」を言い、また宇豆峯の宇豆は韓国朝鮮語の「우두머리(ウドゥモリ)」で一番と尊称を表す言葉であります。この地に現在も残る「宇都(うと)」地名は、「宇豆」つまり「ウドゥモリ」が語源であります。

移住した当時、一帯の地名を大隅国囎唹郡志摩(島)郷(おおすみこくそおほのこおりしまごう)と定められ、秦王国が形成されて行きます。
ここの北には霧島山峰があり、その最高峰は「韓国岳」と言います。「宇佐宣言集」と言う書物に、「日州(日向)の辛国城(稲積城)、蘇於峯(そほだけ)これなり。蘇於峯は霧島山の別号なり」、また「続日本書紀」には788年の霧島大噴火の事を「大隅国贈於(そほ)郡曽乃(その)峯」と記述しています。つまり、稲積山と韓国岳は同じ名前、「韓国(加羅国)」で、その語源はソウル(韓国の首都)と語源と同意の「ソフリ」が語源だと言う事であります。補足ですが、大隅国囎唹郡志摩(島)郷の志摩(島)は、辛島氏の島とマフィアが使う縄張りと言う意味のシマ(領土)を意味します。

さてさて、秦氏一族(辛島氏)は大隅国囎唹郡と、数キロ離れた大隅国桑原郡と言う2カ所に住んだとされます。この大隅国桑原郡には、鹿児島神宮(正八幡宮)が鎮座しておりますが、このお話はまた次回にさせていただきます。

鹿児島と言ったらやはり芋焼酎。
こんな寒い夜は、黒豚のしゃぶしゃぶをつつきながら、薩摩の芋焼酎のお湯割りでも飲みたいですね。
なんか、いつも〆の言葉がお酒と名産になっている今日この頃…
また次回、お楽しみに~~~!!

1555571_10202438779642822_446193472_n.jpg
スポンサーサイト



コメント

管理者にだけ表示を許可する