FC2ブログ

 高取焼窯元へ 

2019.05.29.Wed.14:26
2018年のチャリ旅、九州宮崎県→大阪
4日目その2『大分から福岡県へ』

日田の街を楽しんだ後、私たちは咸宜園から24km北にある、大分県の『高取焼窯元:たかとりやきかまもと』へと向いました。

向っている途中、電話がなりました。壊れた自転車を直してくれているショップからでした。しかし電話の内容は「私の所では部品が無くて直せない」という内容でした。

ド━━━(゜ロ゜;)━━ン!!

しかしこのショップのマスター、部品が無いで終わらず「李さん、実は部品を探すために、九州中を電話をしたんですよ。そしたら李さんが北上する福岡県のノオガタという街の自転車屋さんにあるらしいのです。」と言ってくれました。何と心意気ある方でしょう。私の旅と前途を心配してくれた上で、部品を探してくれたのです。目頭が熱くなりました。
(T-T) ウルウル

マスターに感謝を伝え、ノオガタの電話番号を教えてもらいました。早速、金浩の車の中でノオガタという街のサイクリングショップに電話したところ、部品もあるし取って置くと返事を頂きました。安心した私たちは、次の目的地のことに集中できるようになりました。

ところがそんなハイテンションとは別に、車窓には、崖崩れの跡や巨木が倒れている跡、山が崩れている光景が見えてきたのです。金浩の話だと、今年(2018年)の台風は、広島や岡山の台風被害が取り上げられているが、実は九州も酷い被害だったと聞きました。九州は死者が出なかった事もあり、あまり報道されなかったようですが、九州大分県内陸部の台風被害は、相当なものだったようです。

そんな光景を目の当たりにしながら、とうとう『高取焼き窯元』へと到着しました。

ここは、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、黒田官兵衛と黒田長政(長男)に連れられ『高取八山(初代)』という人物がはじめて焼物を焼き、今現在まで続く伝統ある陶芸家の窯元です。高取焼きというと色んな派閥がありますが、ここが本家本元です。

安土桃山時代から幕末で続いた高取焼きは、明治に一度窯を閉じましたが、孫娘である『高取静山』が努力と研究、そして先代たちの文献を読み重ね、やっとの思いで復活した工芸でもあります。私が恐れ多くもこんな簡単に書きましたが、本当に凄い歴史と、紆余曲折を歩んだ高取静山さんと高取焼き…
彼女の人生は自叙伝『炎は海を越えて』で読む事ができます。

そんな歴史ある窯元は、とても景色良く、さらには風情ある神社、お店、陶芸所が立ち並んでいました。さすが何度も足を運んでいる金浩が、ツカツカと中に入り、挨拶をすると顔なじみでした。家元の奥様のご案内で中を見させて頂きました。

途中、陶芸をする家元と会いましたが、作業中でしたので、静かに横を過ぎていきました。とても静かな場所で、また素晴らしい環境の中で、陶磁器が作られていました。さらに奥へと向うと、陶磁器を焼く立派な朝鮮式登り窯があり、私は圧倒させられました。奥様のご好意で中も覗き、写真も撮らせていただきました。

しかしその後、目にする光景はやはり台風の爪あとが酷く、無残な姿で残っていました。台風が去り、登り窯の2つのうち1つは、完全に土砂に埋もれてしまったのです。ボランティアのお陰で現在は掘り起こされていましたが、まだまだ使えそうに無いとの事でした。また土を細かくする大きな杵も折れ、完全に使い物にならなくなっていました。さらに自宅の横に流れている小さな小川は当時、豪流となり川岸を削り、自宅まで押し寄せようとしたそうです。確かに小川の壁は崩れ、ビニールネットで抑えられていました。

高取焼きの家元と奥様は「大変でしたけど、私たちはここで暮らしていかなくてはいけないのです。でも奇跡的に土砂崩れは、先代やご先祖の墓は壊さなかったのですよ。本当に奇跡でした。それにこれをきっかけに進展もあったんですよ。」と仰り、初代高取八山、そして高取静山のお墓を案内してくれました。

お墓を見た後、小さなかわいい窯も見させてくださいました。現在この窯で多くの作品を作られているとか。しかも時間が短縮されとても良いと仰っていました。

私たちは、ひととおり見た後、何枚かの器を購入しご挨拶の後、別れを告げその場を去っていきました。金浩と実はもっともっと色んな場所に行きたかったのですが、時間も無く縁もたけなわ。別れを惜しみまたいつか会う事を約束し分かれました。

私はその後、また佐伯の町に行き、自転車を解体。そして自転車を輪行バックに積め、自転車の部品があるというノオガタの街に向かいました。途中、電車の中でノオガタと調べると福岡県『直方市:のおがた』と出ました。佐伯駅から直方駅まで185kmもチョンボして北上してしまいました。
((((_ _|||))))ドヨーン

今回は災難と思い、またそのうち、この距離を克服する事を心に誓いました。なので気持ちを切り替え、駅近くのホテルを探しはじめました。1泊4000円の部屋があったので即連絡し予約、後は修理です。残念な事に、私が『直方駅:のおがたえき』に到着したのが、すでに21時を廻ったころでした。自転車屋も閉まり、この日は就寝のみとなりました。

駅に到着して最初に目立ったのが相撲力士の銅像です。暗い中、目を凝らし文字を読むと『大関・魁皇』の銅像だったのです。
Σ(゜Δ゜*) ウォッ!

現在、親方となっていますが、大関魁皇はこの地域の出身者だったのです。知らなかった…この後ホテルにチェックインし、即就寝でした。

(o^-')b To be continued…

①日田から北上し、高取焼き窯元へと向かいました。前からずーと行きたい場所でしたので、嬉しくて仕方ありません。
(☆Д☆)キラリーン♪
60364444_2258517910929136_1106348923653455872_n.jpg
②2018年の台風は九州全土に、大きな爪痕を残していきました。山は削られ、山肌が生々しく見えていました。
60352711_2258517974262463_5858605107100254208_n.jpg
③高取窯元に到着しました。古風な家が建ち、その中に入って行くと『器のギャラリー』と『作業場』、そして『登り窯』があります。
60326987_2258517994262461_9055039293428334592_n.jpg
⑥朝鮮式登り竈。薩摩焼の登り窯も見ましたが、ここの登り窯も立派な物でした。
60328786_2258518077595786_4372826875458748416_n.jpg

スポンサーサイト



素晴らしい咸宜園の教育方針

2019.05.29.Wed.13:57
李創建
5月14日 ·
2018年のチャリ旅、九州宮崎県→大阪
4日目その1『九州の研究者と再会』

河野さんと別れ、この日の予定のために、電車に乗りました。
(◎_◎) ン?
自転車ですか?

はい。実は自転車屋さんに預け、修理してもらう事にしました。大分駅で、知人と会う約束をしてたので、自転車修理を待つには、とても間に合いません。泣く泣く電車で向かう事にしたのです。修理が終わったら戻り、また佐伯から自転車で出発です。

電車が来るまで、近くのスーパーに余って朝食を買い、駅で食べました。その後、電車で大分駅に到着。車で待っていてくれた知人と会い、懐かしい再会に2人で笑いました。

九州の知人とは、金浩です。何年かぶりに再会しました。車で色々散策しようという彼の提案で、早速出かける事にしました。まずは私が行きたかった、日田の街へと向ってもらいました。

日田市は災害の多い街ですが、水の豊富な街でもあります。北九州の道は、すべてこの街に集まるように出来ています。またこの日田の街は今でも江戸時代さながらの形を残しています。日田は江戸時代、九州全域の中で、随一の繁栄を極めた土地なのです。そしてこの街には「掛屋七軒衆:かけやしちけんしゅう」という7つの豪商が居ました。金融業を営み、巨万の富を築き、そして豪華な屋敷を建て、今もその屋敷が街に残るのです。

この街の有名な観光名所は『咸宜園:かんぎえん』跡です。早速、私たちは咸宜園跡に行きました。ここは『広瀬淡窓:ひろせたんそう』が建てた私塾で、その門下生には「蛮社の獄」で処罰された蘭学者・高野長英、長州藩出身で幕末に活躍し上野戦争を終結させた大村益次郎、長崎で写真業を開業した上野彦馬(高杉晋作、龍馬の写真などを撮った)、たくさんの著名人が習いました。塾の最盛期には230人もの塾生がここで学びました。江戸時代の中でも日本最大級の私塾となり、80年間で、ここに学んだ入門者は合計約4,800人に及び、育っていきました。これは江戸時代が終わり、明治30年まで続いたそうです。

この私塾を建てた広瀬淡窓は、次のような言葉を残しました。

「人材を教育するのは、善の大なるものなり」

彼は「教育とは人間社会における最大の善行である」という考えを元に、塾を開いて子弟達を教育する決心しました。そして私塾の名の理由として「咸宜」という言葉は「ことごとくよろし」と読み「咸宜園:かんぎえん」にしたそうです。そこには三つの意味が込められていると言われています。

1つ目は、江戸時代、「士農工商」という身分制度があり、武士以外の階級には学問を学ぶ機会が恵まれない状況にあったのを、彼は「どんな階級の出身者でも学ぶことが出来る」という意味を込め万民に習わせたそうです。2つ目は、学問というのは決して偏って(かたよって)はならない「一つの学問に拘泥して、偏りがあってはいけない。広く様々な学問を学ぶべきである」という意味を込めたそうです。そして、最後の3つ目、彼は塾生の個性を尊重する教育方針を込めて、私塾の名を咸宜園と付けたようです。

こういった話を事前に調べていたのですが、やはり現場に行くとさらに知る事があります。私達2人はひたすら「へー」「ほー」と『トレビアの泉』状態でした。日本の江戸時代から幕末にかけての教育史は本当に素晴らしい時期です。私はこの日田の町を通じ、一人の親として、在日のアボジ会の一人として、そして未来のウリハッキョのために、沢山学び何か得た気がしました。

私達2人は長い時間、日田の町をたっぷり堪能し、そして次なる場所へと向うのでした。

(o^-')b To be continued…

①大分駅から『咸宜園:かんぎえん』跡までの距離。
60333208_2256844911096436_1699695631938879488_n.jpg
⑦金浩と大分駅で再会。ここから2人で、九州・車の散策の旅がスタートしました。
(☆Д☆)キラリーン♪
60161401_2256844804429780_1060766229582577664_n.jpg
⑩『咸宜園:かんぎえん』跡に到着です。昔このような学習塾だったようです。
60354248_2256878147759779_4377027911819984896_n.jpg
⑪『咸宜園:かんぎえん』建物が復元されてたたずんでいました。江戸時代を髣髴させます。
60535312_2256844977763096_2240190620163375104_n.jpg
⑬『咸宜園:かんぎえん』の塾生の名簿が飾られていました。ボランティアのおじさんの話では有名人のオンパレードだそうです。高野長英、大村益次郎、上野彦馬しか分りません。
( ̄∇ ̄;)ハッハッハ
左はここを卒業した生徒の、国(県)別の人数です。
60087086_2256845047763089_1465565548610846720_n.jpg
⑭『咸宜園:かんぎえん』がある日田の街は電線や、電信柱が、まったくありません。これも歴史的史跡を感じられる良い町つくりです。空が広く感じられますね。ー
60453560_2256845057763088_7536837486085931008_n.jpg


現上皇の韓国とのゆかり発言

2019.05.28.Tue.10:21
303.new・結構知られていない日本と朝鮮の歴史
【新しい元号だからこそ、過去も知ってもらいたい】

今から17年前、平成13年(2001年)に、現在の上皇、当時の天皇が誕生日に際し、記者から質問を受けました。3問目の質問に以下の様に答えています。

記者からの問3.
世界的なイベントであるサッカーのワールドカップが来年(2002年)、日本と韓国の共同開催で行われます。開催が近づくにつれ、両国の市民レベルの交流も活発化していますが、歴史的、地理的にも近い国である韓国に対し、陛下が持っておられる関心、思いなどをお聞かせください。

天皇(現在の上皇)の答え.
「日本と韓国との人々の間には、古くから深い交流があったことは、日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や、招へい(頼んで来てもらうこと)された人々によって、様々な文化や技術が伝えられました。

宮内庁楽部の楽師の中には、当時の移住者の子孫で、代々楽師を務め、今も折々に雅楽を演奏している人があります。

こうした文化や技術が、日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは、幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に、大きく寄与したことと思っています。

私自身としては、桓武天皇(第50代)の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く、この時以来、日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また、武寧王の子、聖明王は、日本に仏教を伝えたことで知られております。

しかし、残念なことに、韓国との交流は、このような交流ばかりではありませんでした。このことを、私どもは忘れてはならないと思います。(過去の朝鮮出兵や植民地の事を現している)

ワールドカップを控え、両国民の交流が盛んになってきていますが、それが良い方向に向かうためには、両国の人々が、それぞれの国が歩んできた道を、個々の出来事において正確に知ることに努め、個人個人として、互いの立場を理解していくことが大切と考えます。ワールドカップが両国民の協力により滞りなく行われ、このことを通して、両国民の間に理解と信頼感が深まることを願っております。」

令和だ、なんだと浮かれず、過去の事からしっかりと習って前進して欲しい。
特に永田町の方々に…
宮内庁のページにも載っています。
↓↓↓↓↓↓↓
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h13e.html

お世話になった河野さんと再会 

2019.05.27.Mon.08:19
李創建
5月13日
2018年のチャリ旅、九州宮崎県→大阪
3日目その3『佐伯で災難、再会』

高千穂での散策を終え西に向かいました。15時、私は延岡駅まで戻りレンタカーを返すとまた自転車の旅を再開しました。この日の目標は76km先の『津久見市:つくみし』でした。

自転車を国道10号線に走らせながら、山道をアップダウンしていると、段々家が見えなくなってきました。延岡駅から1つ目の駅で、無人駅でしたが、3つ先の『北川駅』では、ほぼ家を見なくなりました。ここから凄いのがほぼ道路に家が無く、約40kmの区間、人と会わなかったのです。車もバイクも自転車も出会わない、静かな道をただひたすら自転車をこいでいました。少し怖かったです。
(;゜曲゜) ブルブル

『佐伯市:さいきし』の近くになり、やっと雑貨屋を見つけパンを三つ購入。少しエネルギーを採ると、また漕ぎはじめました。太陽は段々と沈み、太陽が先に沈むか、私の津久見市へ到着が先か、競争になってきました。佐伯市の中心地まで行ってマップを見た私は、海岸沿いの県道217号でなく国道10号を走る事にしました。

床木川という川沿いを走っていると、すっかり日が落ちてしまいました。周りには民家しかなく、このまま野宿するにも広場がありません。道は当然、街灯は無く真っ暗闇、私は鞄からライトを2個出し、また漕ぎ出しました。

床木ダム手前、完全に民家が無くなり、山道を登り始めた瞬間でした後輪から「カキーン!」と、大きな変な音が鳴ると、ペダルがグリンと軽くなったのです。
(・・。)ん?
私は不思議に思いましたが、どうせチェーンが外れたぐらいにしか思っていませんでした。

自転車から降り、後ろのギアーを見てみると、ギアを支える部品が真っ二つに折れ、ギアーとチェーンが「グリン」と1回転していました。
ド━━━(゜ロ゜;)━━ン!!マジか?!

ライトでチェーンを照らし、直結にするも、まったく漕げず。仕方無しに坂を下り、山道に入る前の、自動販売機の明るい場所まで行きました。修理するのに何分かかったでしょう…約30分は格闘したと思います。結局この夜8時に、お手上げとなりました。私はガックリして、何もヤル気がおきず、自動販売機の前で、虫に刺されるがままとなったのです。
(ノ_-;)ハア…
(((_ _|||) ))) どよぉ~ん。。。

頭の中で「このまま野宿で蚊の餌食か…とほほ…」と考えていた時です。「どうしたんだね?」と歯磨きをしながら、オジサンが目の前にきました。
Σ(゜Δ゜*) ウォッ!
ちょっとビックリしましたが、事情を説明するとおじさんは「うちに泊まっていきなさい」と言ってくれるのでした。

しかし私は、得体の知れないこんな人間(私)を、泊まらせてはいけませんよと断り、おじさんにこの近くにテントを貼れるところは無いですか?と聞きました。しかしやはりそんな場所は無いとの事で、またおじさんは「泊まって行きなさい」と言ってくれるのでした。もう一度お断りをした後に私は「もし宜しければ、おじさんの家の駐車場にテントを張らせてください」とお願いしました。おじさんはOKしてくださり「まずは、シャワーを浴びなさい」と言ってくださいました。

私は御言葉に甘え、シャワーを借り浴びて出ると、おじさんは、すでに広間に布団を引いてくださり、そして切ったスイカやメロン、お菓子やらをテーブルに乗せてくれていました。
ド━━━(゜ロ゜;)━━ン!!

私は申し訳ないですと言いながらも、ずうずうしく私はその御行為に甘える事にしました。

おじさんの名前は河野さん、御歳69歳の大工さんでした。子供たちも皆結婚し、現在は家に1人暮らしだそうです。8時半ごろからはじめた河野さんとの会話は10時半になっても終わりませんでした。大分県の話、この佐伯市の昔話、お子さんや御孫さんの話、道路事情、私の旅話もしました。

河野さんがここで四国の御遍路の話を聞かせてくれました。「義理の兄夫婦と3年間かけて行った『四国御遍路』の旅で、色んな人に良くして貰ったんだ。そのとき私もいつか旅人とめぐり会ったら、親切にしてあげようと思ってたんだ。そんな時に李さんとあったから、これは何かの縁だろうね。」と仰ってくれました。こんな話をするうちにすっかり遅くなり、私たちは就寝しました。

早朝、私は目を覚まし、自転車を押しながら町の中心地まで行き修理をしようと動き出しました。するとやはり大工さんをしている河野さんは早起きで、すぐ起きてこられました。河野さんは「町まで送ってあげるよ自転車屋さんは遠いから。」と言ってトラックに自転車を乗せ、送ってくださいました。本当にいたせりつくせりの対応に頭が下がりました。
(T-T) ウルウル

自転車屋さんに着き、自転車を見てもらい、河野さんとはお別れしました。この話はここで終わらず、私が旅を終えた後も続くのでした。

のちに私が東京に帰ると、いろんな方に御世話になったので、その方々に贈り物をさせていただきました。すると河野さんからも連絡があり「李さん贈り物、来たよ。ありがとうね。今度東京に行くから。」と言ってくれました。ところが2ヵ月もしないうちに、河野さんから、「何日か後に上野店に行くよ」と連絡が入ったのです。

その当日、河野さんは千葉に住む娘さんを連れ、当店の『焼肉・絵のある街』へ来て下さいました。久しぶりの再会に御互い喜びました。

色んな話をしたいたのですが、そのうち黙っていた娘さんが「李さん…実は…うちの父はあまり喋らない人なんですよ。よく話が盛り上がったなと感心しているんです(笑)。そして、もうひとつ話しておかなければいけないのが、その旅の最中に牢屋から逃走した脱獄犯が自転車で旅していたじゃないですか。わたし達兄弟は父から話を聞いて、兄弟でその犯人だったんじゃないか?と思っていたんですよ。でもこうしてお会いできて、その疑問も晴れました。」
ヾ(≧∇≦ )ブハハハ!ヾ(≧∇≦)ブハハハ!( ≧∇≦)ブハハハ!
三人で大笑いしました。

河野さん大変御世話になりました。ありがとうございました。またいつかお会いしましょう。それまで必ずお元気でいてください。

(o^-')b To be continued…


②アプリで車と自転車の距離を計測。合わせてこの日は185km走っていました。
60347336_2255193121261615_5325407934031593472_n.jpg
⑤大分県佐伯市で出会った河野さんとの再会。旅話を中心に色んな話をしました。娘さんには旅の期間に脱走した犯人と間違われたようです。ヾ(≧∇≦ )ブハハハ!ヾ(≧∇≦)ブハハハ!ヾ( ≧∇≦)ブハハハ!ー 場所: 台東区
60333863_2255193444594916_7941704841691136000_n.jpg

郷土歴史家の安在先生と

2019.05.21.Tue.10:18
2018年のチャリ旅、九州宮崎県→大阪
2日目の夜と、3日目の朝

※何人の方々から、会うたびに「旅に行ってたんじゃないんですか?」と聞かれるので、タイトルを少し簡素化しました。
ぺこ <(_ _)>

大分県から車を飛ばし、宮崎県へと戻りました。その間に不思議な景色があったので写真に残しました。キャベツがひたすら続く坂道や、山奥にある木で出来ている家なのに骨組みのような作りの家などでした。勿論、人は一人もおらず、不思議な雰囲気でした。

宮崎県に入り19時に『高千穂:たかちほ』に着きました。ここは朝鮮半島とのかかわりもある町であり、また高千穂峡などでも有名な観光地です。この日は高千穂にある温泉に入り、その後コンビニの駐車場で車中泊でした。

次の日の4時に起きると、コンビニの駐車場から西南に『二上山:ふたがみやま』が見えました。二上山は神が降りし山、信仰の山となっています。標高1060mの山頂は男岳と女岳の2つの峰に分かれ、ここ高千穂町から遠望する姿は、2つの峰がそびえ立つ綺麗な山です。

伝説では、神『ニニギノミコト』は、大勢の神々を引き連れて、この山に天下ったと伝えられています。その時の神話を簡単に書くと…
【『天照大御神:あまてらすおおみかみ』が自分の息子に言った。「雲の下に美しい国がある。そこを収めてくれないか」と。すると息子は「分かりました。孫の『瓊瓊杵尊:ニニギノミコト』が良いでしょう」そして『瓊瓊杵尊:ニニギノミコト』は、大勢の神々を引き連れて、この二上山に天下り、おおいに稲穂をもたらした】という話です。

『瓊瓊杵尊:ニニギノミコト』とは神であったのでしょうか…渡来人であったのでしょうか…またロマンが広がります。
(☆Д☆)キラリーン♪

車中泊し、起床後、私はコンビニで洗顔をしようと外に出ると、小雨が降ってきました。この日に会う予定の『アンザイ先生』に会うまでは時間があったので、とりあえず近くの高千穂宮と、高千穂峡に向いました。

先ほどの話とゆかりある『瓊瓊杵尊:ニニギノミコト』を祀る神社が『槵觸神社:くしふるじんじゃ』です。全国88カ所にある高千穂神社の総本社でもあります。そしてこの神社のある場所に神が降り、伝説が始まり、日本が始まったのです。

今回は時間つぶしだったので、槵觸神社まで行かず、近くの高千穂神社に行きました。槵觸神社という本社があるのに、わざわざその近くに高千穂神社作るのは何故なのでしょう…高千穂神社に入ると狛犬がありましたが、とても変わった形でした。

高千穂神社からずーと坂を下っていくと、高千穂峡に着くのですが、その前に公園と池があります。この池には何故かキャビアでも知られる『チョウザメ』が何十匹も泳いでいました。池を見た後、朝は無料の駐車場に車を止め、歩いて1分の『高千穂峡』に行きました。

さすが宮崎県が誇る名称地です。谷間に細い川が流れ、瀧がこぼれ落ち、なんとも神秘的な景色が広がっていました。時間も忘れて高千穂峡を歩いて散策しました。

雨もすっかり止み、高千穂峡を後にする頃には虹が掛かり、今後の旅で良いことが起きるような予感さえしました。

朝9時に待ち合わせの『高千穂みちの駅』に行き『アンザイ先生』を待ちました。このアンザイ先生ですが、実はこの地元の郷土歴史家であり、先生との出会いには、こんなエピソードがありました。

今回の旅に行く前に、文献などで調べていると、高千穂峡の近くに『豊臣秀吉の朝鮮出兵』で連れられた人たちがこの近くにも住んでいたという情報を、私は得たのです。その後、宮崎県の高千穂峡観光案内所に電話を入れ、歴史に詳しい方が居ないかを聞きました。

昔、福井県の織田町を調べる際も、土地の歴史に詳しい郷土歴史家を探したのですが、高齢のため亡くなっていました。過去の記憶から今回も高千穂の歴史家はご存命か心配でした。しかし観光協会の方から再度連絡をもらい、郷土歴史家のアンザイ先生が居ること、さらにアンザイ先生に許可を得て、電話番号まで知る事ができたと教えていただきました。本当に高千穂観光協会の方、ありがとうございました。

アンザイ先生の連絡先を聞いた私は、早速連絡を取りました。すると即電話に出られた先生は快く受け入れてくださり、こちらに来た際は会おうとまで仰ってくれたのです。この際電話で、漢字の名前を聞くと『安在』と書くことを知りました。

先生に私は「高千穂峡の近くに『高麗人夫婦の墓』があると聞いたのですが、ご存知でしょうか?」と聞くと、勿論知っているし、案内も出来ると仰ってくださいました。さらに「李さん、それ以外に『諸塚山:もろつかやま』の近くにも行きましょう。あまり知られていない歴史もそこにはあるんですよ」と仰って下さったのです。

この会話が、約2ヶ月前の話でした。この日、とうとう高千穂峡郷土歴史家『安在』先生と会える事になりました。そしてこの後、ネットにも文献にも無い、歴史的発見をする事となるのです。

(o^-')b To be continued…


①宮崎県のはんぱない山奥にあった、人の歩くスペースも無い、キャベツがひたすら続く坂道。本物です。合成ではありません。ヾ(≧∇≦ )ブハハハ!ヾ(≧∇≦)ブハハハ!ヾ( ≧∇≦)ブハハハ!
s59994417_2251955131585414_4555649502807064576_01n.jpg

②はんぱない山奥にあった、木で出来ている家なのに骨組みのような作りの家。勿論、人影もありません。
s59953920_2251955244918736_2142311828770783232_06n.jpg

s59841615_2251955124918748_6172531061403156480_03n.jpg

⑧高千穂神社の総本山『槵觸神社:くしふるじんじゃ』の入口
s60037160_2251955954918665_3070435917631062016_08n.jpg

⑩『槵觸神社:くしふるじんじゃ』の本殿
s60055880_2251955961585331_9005859529887318016_10n.jpg


⑫『槵觸神社:くしふるじんじゃ』の狛犬変わった形をしています。
s60017244_2251956891585238_2506210161354342400_12n.jpg

⑭高千穂峡と地域案内の図。
s60139004_2251956921585235_6989552133091622912_14n.jpg

⑰高千穂峡。その1
s60284050_2251972918250302_3955458356113571840_019n.jpg

㉓.高千穂郷土歴史家『安在』先生。本当にお世話になりました。
\(^o^)/
s60303450_2251961591584768_8349938498173665280_23n.jpg


※写真は、かなり省略してあります。

百済から渡来した一寸八分観音像の蓮城寺

2019.05.17.Fri.10:45
九州宮崎県→ひたすら北へ・チャリ旅キャノンボール
(2018.8/23~8/31、2000km)
2日目の⑥大分県

神門の百済の村から北へ約110km、一気に突っ走り、やっと大分県三重町(みえまち)に到着しました。こんな山奥に?!と言うくらい、ものすごい山奥にあるお寺でビックリします。家もあまり無い修行のためのお寺?とまで思ってしまう山寺です。名前を『蓮城寺:れんじょうじ』と言い、朝鮮半島渡来人に、深く関わりがあるお寺です。

中学校の理科授業ではありませんが、鉱物から不純物を取り除くのに欠かせないのが石灰岩。この地域は石灰岩の宝庫だそうです。古代朝鮮は鉱物、特に青銅を作る技術が高く、大分に渡った渡来人たちは石灰岩を求め、この地に来たと思われます。

その証拠に、この『蓮城寺』は『蓮城法師:れんじょうほうし』という渡来僧がやってきて寺を開き、とてもありがたい観音像を安置したようです。名前は『一寸八分観音』といい、とても小さい観音像のようです。私が訪れた際、ちょうど住職様とお会いし話を伺えました。

一寸八分観音像は、秘仏で、朝鮮半島との関わりがある『百済観音』だそうです。毎年1月10日のみ、戸が開かれ、見れるそうです。また本堂の千手観音像も百済との関連があると仰ってました。住職様も「そこの戸の隙間から見えますよ」と仰ってくださったので、私は本堂に行き、ふすまの隙間から覗くと確かに千手観音増も見れました。ラッキーでした。説明文にも百済からの像だと書いてありました。

大分県の人里離れた山奥の山寺まで来た甲斐がありました。ここからまた宮崎県にトンボ帰りです。今夜は宮崎県の高千穂で一泊です。

『蓮城寺:れんじょうじ』
↓↓↓↓↓
住所:〒879-7124 大分県豊後大野市三重町内山527
TEL:0974-22-0598

(o^-')b To be continued…


①大分県の超山奥にある山寺『蓮城寺:れんじょうじ』に到着しました。ここに約千年も昔に百済から来た観音像があるそうです。
60347037_2250781558369438_8022348676649189376_01n.jpg
②階段を上がると『蓮城寺:れんじょうじ』の本堂が見えます。まるでジャングルの中にあるお寺という感じです。
( ̄∇ ̄;)ハッハッハ
59863968_2250781575036103_6042443511393943552_02n.jpg
③『蓮城寺:れんじょうじ』本堂の中にある千手観音像です。これも百済との関連があると住職様が仰っていました。
(☆Д☆)キラリーン♪
60010572_2250781535036107_7014282481767546880_03n.jpg
④『蓮城寺:れんじょうじ』の本堂から約一分、川を挟んで小さなお堂が見えます。向かいます。道は綺麗なコケで埋め尽くされています。
59713125_2250781701702757_8533777868834996224_04n.jpg
⑤お堂までの途中、橋から見える小川。めちゃめちゃ澄んでいました。
60307951_2250781728369421_7331087790735622144_05n.jpg
⑥橋を渡りお堂に到着。このお堂中に百済から伝わりし『一寸八分観音』があるのです!
(☆Д☆)キラリーン♪
s59785778_2250781735036087_7916892467729793024_06n.jpg
⑦お堂の横に『一寸八分観音』の説明文がありました。((φ(◎。◎‐)フムフムフム
((φ( ̄ー ̄ )メモメモ
s59809263_2250781798369414_1107043162167181312_n07.jpg
⑧『一寸八分観音』のあるお堂は毎年1月10日のみ、戸が開かれ見れるのだそうです。この日は中も観音像も見れず…
(|||_|||)ガビーン
s59747718_2250781821702745_7232999473658462208_08n.jpg
⑨百済一寸八分観音の立て札。
s59908916_2250781851702742_3908634214630686720_09n.jpg
⑩中をガラス越しに撮影すれど、金庫のしか見れず…
(x_x;)シュン
s59906983_2250781935036067_8966304989920100352_10n.jpg
⑪黒痣(くろあざ)が消えるらしいです。ホクロも??ヾ(≧∇≦ )ブハハハ!ヾ(≧∇≦)ブハハハ!ヾ( ≧∇≦)ブハハハ!
s59765510_2250781955036065_1044388883627769856_11n.jpg
⑫『蓮城寺:れんじょうじ』を正面にし右側に、大きなお堂がありました。札を見るとなにやら…
s59695165_2250781978369396_2415071500794068992_12n.jpg
⑬『蓮城寺:れんじょうじ』を正面にし右側に、大きなお堂がありました。札を見るとなにやら…千体薬師像があるとか!素晴らしい!京都の三十三軒堂のミニバージョン?!
s60020693_2250782048369389_6165486035137462272_n13.jpg
⑭もうひとつ説明版が!
s60019100_2250782078369386_7003916402104991744_14n.jpg
⑮中に入ると!
オォォーーー!! w(゚ロ゚;w(゚ロ゚)w;゚ロ゚)w オォォーーー!!
これは凄い!大分県のこんな山奥に、木造とは言うものの金箔を貼られた千体薬師像がありました。
何とも神々しい!素晴らしい!
s60095333_2250782091702718_5229825180615835648_n15.jpg
⑯いやーこれだけ素晴らしいものを見させてもらい感動です!しかも無料です。
ヾ(≧∇≦ )ブハハハ!ヾ(≧∇≦)ブハハハ!ヾ( ≧∇≦)ブハハハ!
s60246569_2250782145036046_7698786477886406656_16n.jpg

宮崎の百済の里へ

2019.05.15.Wed.10:11
九州宮崎県→ひたすら北へ・チャリ旅キャノンボール
(2018.8/23~8/31、2000km)
2日目の⑤宮崎県

『内陸レンタカー300kmの旅』の途中『道の駅』に寄り、地元の美味しい物も食べました。レンタカーでの移動ルートは以下のとおりとなりました。

宮崎県延岡→神門『百済の里』→大分県三重町→宮崎県高千穂峡→唐人夫婦の墓→郷土歴史家『安在さん』訪問→『諸塚山:もろつかやま』→延岡(レンタカーを返す)→またここから自転車の旅

宮崎県には観光名所となっている場所がいくつかあります。鬼の洗濯板に囲まれた『青島神社』、渓谷にいくつもの滝が降り注ぐ『高千穂峡』、そして神門地区の百済の里です。今回、青島神社や鬼の洗濯板は9年前に行ったので、今回メインとして向かうのは、39km離れた神門『百済の里』でした。

車を走らせると至る所に『百済の里』の案内標識がありました。さらに山奥へと入っていくと『美郷町:みさとちょう』に着きました。この美郷町が『百済の里』のある街なのです。美郷町と見て思い出すのが鹿児島県の陶磁器の町『美山:みやま』です。あそこは多くの朝鮮被虜人が連れられた場所でありましたが、美しい山と記されていました。ここ美郷町も「美しい郷(さと)」と書き、時代は違うとも共通点を感じました。

百済の里に入る手前の、川の名を『水清谷川』というのですが、その橋まで朝鮮式の飾りで作られていました。いったい、この百済の里とはどんなところなのでしょうか…
ウーン (Θ_Θ;)

アクセルを踏みどんどん山の中へと進んでいきました。そして片道39kmの『神門』へやっと到着しました。

ここは神の門と書き『神門:みかど』と読みます。『神門:みかど』という地名は全国に島根県、千葉県にあり、それぞれ『島根県・神門かんど』『千葉県・神門ごうど』と言います。また、島根県は地名だけでなく人名でもあり、全国ランク1位に『神門』という苗字を持つ方が多いようです。

さて、ここ神門は『百済の村』があることで有名な町です。
事前に調べたところ、昔百済の王族たちが新羅の者達に追われ海を渡り、この山の奥地に移り住んだそうです。しかし追いかけてきた暗殺者に命を奪われ、王も息子達も絶命。その後、哀れに思った村人達の手で、百済王と王子達を祀ったお祭りをな、な、な、なんと!1300年間、絶えず年末に行われてきました。単純計算しても年に1回なので、1300回以上絶えず、行われてきたのです!何とも素晴らしい話です!
<(T◇T)>うぉぉぉぉぉ!!!

祭りの名は『師走祭り:しわすまつり』と言い3日間かけて行われるのだそうです。最終日の神社前では、大きな櫓の炎が40基も出て、王の魂と王子達の魂、そして妻の魂も会わせるのだそうです。宮崎県の観光名所地にもなっており、宮崎県のパンフレットにも『百済の里、百済の村』として堂々と書かれ、案内されています。

そしてなんと!
宮崎到着後の初日に、私がたまたま見つけた『百済の母』の墓がある『大年神社:おおとしじんじゃ』は、この神門神社に祀られている百済王の、妻・王妃を祀った神社だったのです。この神門神社の王は『禎嘉王:ていかおう』であり、息子である長男は『福智王:ふくちおう』、次男は『華智王:かちおう:次男』といい、王の后は『之伎野:しぎの』と言われています。

私はこの神門神社に入り、宮司さんと色んな話を聞く事ができました。宮司さんは何ともカジュアルな方で、私が東京から来た在日三世だと言うと、とてもフレンドリーにしてくださり、そこで働く女性たちにもご紹介してくださり、何でも聞いて何でも見て何でも習っていってくれと親切にしてくださりました。さらにこの宮司さん本当に面白い方でした。「このあと、近くの温泉に行きなさい。ん?今日は休みか。また来なさい!あ!でも東京からだったね。一泊していきなさい!」一人突っ込み一人ボケの連続でした。
ヾ(≧∇≦ )ブハハハ!ヾ(≧∇≦)ブハハハ!ヾ( ≧∇≦)ブハハハ!

この百済の王族の話は深すぎるのと情報が多すぎるので、またの機会にアップいたします。そんな素敵な方々との出会いと、百済を堪能できたひとときでした。

(o^-')b To be continued…

60036197_2248614658586128_6784391140318642176_n01.jpg
①神門神社の宮司さんとワンショット。とってもカジュアルな人でした。
60021552_2248615055252755_498273737422929920_n02.jpg
②神門神社の入口にある碑
60081566_2248615385252722_2119689024841973760_n03.jpg
③百済の里『神門神社』に向う途中。
59669447_2248617821919145_5707141315880288256_n04.jpg
④またも神門神社の宮司さんと撮影。今度は売店のお姉さんも入ってワンショット。
59621351_2248615708586023_2050356617618128896_n05.jpg
⑤百済の里がある『美郷町:みさとちょう』。神社まであと少し。
59780910_2248615691919358_4278037806229487616_n06.jpg
⑥とうとう来ました!宮崎県の中の『百済の里』へ!
60235579_2248615825252678_3868568543490473984_n001.jpg
⑦百済の里の横に流れる川『小丸川』。
59972223_2248615835252677_7852822834257592320_n002.jpg
⑧宮崎県『奥日向:おくひゅうが』のマップ。
59915599_2248615978585996_2606159586545106944_n03.jpg
⑨百済の里の横に流れる『水清谷川』に架けられた橋には五重の塔が!しかも…
59775324_2248615968585997_625322920192770048_n04.jpg
⑩宮崎県『百済の里』の横に流れる『水清谷川』に架けられて橋には五重塔が!しかも『百済の里』という文字がハッキリと!
59977042_2248616118585982_3190168202705371136_n05.jpg
⑪ついに百済の里に到着!バス停の名前も『百済の館前』とは、何とも嬉しい。
o(^▽^)o
59745048_2248616131919314_84609511406436352_001n.jpg
⑫『神門神社:みかどじんじゃ』の入口にある鳥居と、師走祭りの説明文。
60091423_2248616195252641_7504604297695330304_002n.jpg
⑬師走祭りの説明文
60067172_2248616955252565_8201902219704926208_003n.jpg60109996_2248617008585893_5816061381564170240_n004.jpg
⑯帝神社へ向う階段途中に、百済の館があります。
59942828_2248616991919228_4483616342838083584_n005.jpg
⑰帝神社参拝の案内。参拝の相手である神様は、勿論『百済王』です。
(☆Д☆)キラリーン♪
59760266_2248617065252554_9130261732902567936_n17.jpg
⑱百済の王様を祀る『神門神社:みかどじんじゃ』へ到着。質素であり、木漏れ日の中にひっそりとたたずむ深い味わいのある神社です。
59888209_2248617115252549_7797176997452447744_n18.jpg
⑲神社の横に神社の説明文。
59734457_2248617131919214_6027936237149487104_n19.jpg
⑳百済王を祀る『神門神社:みかどじんじゃ』の中
59889657_2248617185252542_5429870193029414912_n20.jpg
㉑.百済王がこの地に逃れ、暗殺にさらされる危機のとき、村の7人集が助けた話が、今も伝わっています。
59927837_2248617255252535_907375741803429888_n21.jpg
22.百済王がこの地に逃れ、暗殺にさらされる危機のとき、村の7人集が助けた話が、今も伝わり、子孫がこの碑を立てたと書かれています。
59991161_2248617268585867_7389006657377796096_n22.jpg
23.百済王がこの地に逃れ、暗殺にさらされる危機のとき、村の7人集が助けた話が、今も伝わり、碑がたちます。
59730556_2248617321919195_2677700796665036800_n23.jpg
24.神門神社から帰りの階段を下ると『百済の館』の全貌が見れます。
59698087_2248617345252526_7102472939336892416_n.jpg
25.西の正倉院。見事なつくりです。
59762987_2248617355252525_2042927956283621376_n02.jpg
26.西の正倉院の説明文。奈良の正倉院との違いは?
60003952_2248617385252522_4271026796104777728_n03.jpg
29.百済王や神門神社の話が新聞に!①
59780417_2248617951919132_2270260751354560512_n05.jpg
29.百済王や神門神社の話が新聞に!②
59738828_2248617981919129_3636642766227767296_n06jpg.jpg
30.百済王や神門神社の話が新聞に!③
60223655_2248617998585794_5957219398757384192_n07.jpg
31.朝鮮半島と日本の関係性
59771669_2248618068585787_7641500792502878208_n08.jpg
32.百済王や神門神社の話が写真に!
60264948_2248618101919117_3735051543699783680_n09.jpg

ナント! 初代・樋口家の妻は、朝鮮から連れられた被虜人だった。

2019.05.14.Tue.09:26
九州宮崎県→ひたすら北へ・チャリ旅キャノンボール
(2018.8/23~8/31、2000km)
2日目の④宮崎県

9時55分に『馬ケ背:うまがせ』を観光後、出発しました。行く先を元の北に戻し延岡に戻りました。

延岡は1692年、徳川幕府は九州の布石に、延岡藩に譜代大名を置きます。日本最南端の譜代大名・内藤家です。この延岡藩の役目は、熊本や薩摩藩などの外様対策でした。その藩が拠点にしたのが、中州の中にある延岡城でした。その中州の北側を流れるのが『五ヶ瀬川:ごかせがわ』です。この川は宮崎県北部を流れ、延岡市から日向灘に注ぐ一級河川です。この川から、徳川幕府と綿密な関係である大名として、将軍に収めた献上物が『鮎』でした。

300年の伝統を誇る延岡市流域一帯の鮎梁『鮎のやな漁』は秋の風物詩として有名です。そして河原で鮎を焼く香ばしい香りは、環境省の『日本のかおり風景100選』にも選定されています。『鮎のやな漁』は、川の真ん中に逆すべり台のような、斜めに竹を並べ、川を登ってきた鮎がそのままつかまる仕組みです。マンガ釣りキチ三平でも紹介された漁法です。

江戸時代、延岡藩11代藩主婦人・繁子(しげこ)が参勤交代時に、漁の様子を物語る絵を描き、今もその絵が残っているようです。しかし今、この300年続いたこの伝統漁も引き継ぐ人がめっきり少なくなり、現在は『高橋 生矢:たかはし せいや』さんという方が、1人で守っているだけなのです。

話を戻し、延岡藩は代々続き幕末を迎えるまで残る藩でした。幕末の頃の藩主は、第12代目・内藤政義(ないとうまさよし)という人でした。このお殿様、実は彦根藩から延岡藩の養子に入った人物です。ここで歴史好きの人は、

(◎_◎) ン? と思うでしょう。

そうです『桜田門外の変』で暗殺されて有名な、井伊直弼の実の弟なのです(母が別)。

この内藤政義が、延岡藩へ養子に入り12代目藩主になりますが、のちに子供が生まれません。そこで掛川藩太田家から養子をもらいます。その子が『内藤政挙:ないとうまさたか』と名を改め、幕末を向かえ、延岡藩の最後の13代目お殿様となるのです。

そんな延岡藩最後の藩主・内藤政挙は76歳で死を迎えますが、それまで教育にとても熱心な人でした。彼自身、明治維新後に県知事になり、時代の流れにより解雇されましたが、その後は、慶應義塾に通い熱心に勉強をしたそうです。慶應義塾に通うも、眼病であえなく退塾しますが、その後、元延岡藩の藩士を多く慶應義塾に送りました。

また、延岡にある学校の基礎は現在、彼が作ったと言っても過言ではありません。また彼は、サムライ時代であり封建社会の中で育ったお殿様でしたが、女性を学校へ通わせ、女性の知識向上や、女性の社会進出に力を注いだ、素晴らしい人でした。そんな江戸時代末期、延岡藩に国学者が現れました。名前を『樋口種実:ひぐちたねみ』といいます。1794~1864の71歳で亡くなっています。

この人の系図を遡ると、初代・樋口家の妻は、朝鮮から連れられた被虜人だったようです。つまり豊臣秀吉の『朝鮮出兵』の際に連れられた人物なのです。また樋口家の覚書にも「妻は高麗国人と申し候」とあるのです。


(o^-')b To be continued…
59729552_2247231718724422_2723751908459151360_n.jpg
59636374_2247220912058836_7859167557515739136_n.jpg
59653178_2247219692058958_3485686279364935680_n.jpg
59632844_2247219705392290_6908229822149820416_n.jpg
59670973_2247220392058888_265921439842959360_n.jpg
59734667_2247258855388375_2247215017701146624_n.jpg59767985_2247220365392224_1633480473323765760_n.jpg
・毎日、勉強になります_φ(・_・
創建さん、私が知っている在日の方や本国の方が使わない句点「、」を私より的確に使われておられ、脱帽ものです)^o^(

・李創建 ありがとうございます。そんなに褒められると照れます。
(///o///)ゞテレッ

・創建さん、とっても面白く拝見しています。ここにも朝鮮半島からの犠牲者が〰️😭
これからも楽しみにしています。

・李創建  秀吉の朝鮮出兵は悲劇的な事実ではありますが、その後、日本の方々に良くしてもらっていたり、自分の人生を切り開いている方もいらっしゃいます。
自力で出世したり、自分の才能を生かして日本に定着なされた方もいらっしゃいます。
戦争と被虜人という運命を生きながらも、彼らの生き方に学びがあり、人生の教訓として心の糧になります。
私はそんな彼らから恨みというより、凄くポジティブさを感じながら教えとして習い、そして今後の日朝友好に役立てたらな〜と思っております。
ぺこりm(_ _)m

・ありがとうございます。
現在の政権は、歴史から学ぶことを拒否して、憲法を変え戦争への道を歩もうとしているように思えてなりません。
私はこれ以上悪さをしないように、命尽きるまで声をあげ続けていきたいと思います。
李さんのメッセージに元気をいただきました😉

・金浩 樋口家の話は初耳だったよ‼️
知らなかった・・・
宮崎はノーマークだったけど、これから散策しないとな。

・李創建 金浩 、宮崎で回りきれなかった場所まだまだあるから、また行ってみるよ。その時もまた北上して色々散策しましょう。
(☆Д☆)キラリーン♪


名勝地 馬ケ背

2019.05.14.Tue.09:04
九州宮崎県→ひたすら北へ・チャリ旅キャノンボール
(2018.8/23~8/31、2000km)
2日目の③宮崎県

9時20分にレンタカー『N-BOX』を借りてアクセルを踏み、車を一旦南に向けました。

実は『日向市駅:ひゅうがしえき』を通り過ぎてしまったので、一旦戻り、日向市駅に向いました。太陽の登る方角を「ひむか」と言います。そこで着いた土地の名前が「日向:ひゅうがの国」と言われています。海岸線は北から南にまっすぐ伸びて陽射しを浴びることで、古くから太陽に恵まれた国という言われがあるようです。

そんな宮崎の海岸線に『馬ケ背:うまがせ』という名勝地があるというので、行ってみました。到着してすぐに分ったのが、凄い波の音でした。階段を登り、まずは灯台展望台へ行くと、馬ヶ背が見えました。この灯台の説明があり、読んでみると「古く江戸時代からあり、海を照らした。しかし明治になり焼失」と書かれていました。そして灯台の左に日差しをしのぐ東屋があり、そのベンチには我もの顔で猫が一匹寝ていました…
(−_−;)

灯台の高台から左の『馬ケ背』が見えます。観光シーズンからズレている事もあり、観光客0だったので雄大な景色を一人貸切でした。

9時30分、灯台から『馬ケ背』の先端へと向いました。断崖絶壁の素晴らしい景色と聞いていましたが、本当に素晴らしい自然風景でした。さらに奥『馬ケ背の先』へと向かいました。馬ヶ背は、名前のとおり、馬の背のように尖り、その上を歩いて渡れるようになっていました。

波の音が暑さを癒してくれます。また、そそり立つ岩肌と荒れる波、270度の贅沢な景色を堪能しました。

(o^-')b To be continued…
59918435_2245489228898671_1530015939523772416_n.jpg
59528657_2245489158898678_7385122761401696256_n.jpg
59550091_2245489142232013_3165908225962803200_n.jpg

・ 記憶力がいいんですかね。去年のことを細かいところまで,すごいです。

・李創建  ありがとうございます。一応、日記アプリと、携帯のボイスレコーダーで旅の記録を残しているので書けるのです。さらには細かい性格もあり、家に帰ってからは写真と記憶と、記録したアプリやボイスレコーダーで写真アルバムも作っております。
(☆Д☆)キラリーン♪
そのうち子供や孫が見てくれればと願い残してあるので、Facebookにも書き込めるようになっております。
ぺこりm(_ _)m

・李創建  追伸ですがアプリは『ポケット旅行記』というアプリで、無料でダウンロードが出来、さらには自分がどの道を辿ったか、写真を撮って、そのアプリにアップする事も出来る優れものです。どれだけ歩いて、もしくは走ってが一目瞭然で分かる品物です

・仕事終わってからこんな時間に書き込んでいるですね。ありがとうございます。疲れているはずなのにフォローしている皆さんのためにいつもこうしているんだ。感心しました。これからはより感謝の心を込めて読みます。

・더운날씨에 수고많으셨습니다

・李創建 장년이야기야.
ヾ(≧∇≦ )ブハハハ!ヾ(≧∇≦)ブハハハ!ヾ( ≧∇≦)ブハハハ!

旭化成の前身とは

2019.05.14.Tue.08:44
九州宮崎県→ひたすら北へ・チャリ旅キャノンボール
(2018.8/23~8/31、2000km)
2日目の②宮崎県

5時55分自転車を走らせていると、一度立ち寄ってみたかった駅に到着しました。メイン通りの裏にあったのでグルッと回りましたが『土々呂駅:ととろえき』に着きました。

早朝すぎて誰も居ません…
もちろん小学生のサツキと、妹のメイも居ません。
ヾ(≧∇≦ )ブハハハ!ヾ(≧∇≦)ブハハハ!ヾ( ≧∇≦)ブハハハ!

土々呂駅を過ぎ、しばらく自転車を走らせていると、不思議な家を発見。家の周りに堀があり、ここに水を溜めていたのでは?と思える家でした。「大雨が降ったら、舟で行かないとこの家に入れないかも…」と思ってしまうような不思議な、お家でした。
ウーン (Θ_Θ;)

6時30分に延岡市に入りました。『大瀬川:おおせがわ』が見えました。この大瀬川の向こうに見えるのが『五ヶ瀬川:ごかせがわ』です。この川の間に中州があります。そしてこの中州が市の中心地となっており、3つの見所があるのです。

そのひとつ『延岡城跡』には、ある石をはずすと一気に石が崩落し、その石で一度に千人の敵を殺すことができるという、『千人殺しの石垣』があります。

そして二つ目の『国指定史跡 浄土寺山古墳』は、全長58m、直径38m、高さ4.6mある大きな古墳です。1500年前の物と指定されています。竪櫛、鉄剣、鉄刀、鉄鉾、鉄鏃、などなど多くの出土品が発掘されており、製鉄技術の発掘から、渡来人との関わりが考えられています。

最後に『野口記念館』ですが、千円札の野口英世ではなく、『野口遵:のぐち したがう』の会社『株式会社旭化成』がここで発展したことから、これを記念し30周年に建てられた建物です。野口遵と旭化成は1960年には『サランラップ』を開発、これが皆さんも知るように大ヒットします。

彼は日本の経済産業に多くの貢献をしてきました。しかし裏の顔として彼の履歴を遡ると、公害病で熊本の人たちを苦しめ、朝鮮植民地時代に『朝鮮半島の事業王』とまでアダ名されるほど、朝鮮で事業を拡大し、大儲けした人物でもあります。旭化成の前身は、日本公害病のひとつ『水俣病:みなまたびょう』の原因となった『日本窒素肥料(現在チッソ)』なのです。

7時30分に中心地の中州を過ぎ、延岡駅に着きました。さてここからは自転車から、レンタカーに乗り換えて宮崎県と大分県の『歴史散策300kmの旅』の出発となりました。

実は今回の旅計画を立てている間、宮崎県と大分県の内陸にどうしても行きたい場所があったのですが、自転車ではとても行けない山道なので、レンタカーを2日間借りる事にしたのです。金額は何と2日間で4900円!車中泊をする事で、ホテル代を浮かせると、とても激安でした。車は軽のホンダN-BOXが2日間の足となり、ペダルからアクセルへの変更で出発しました。

59306027_2244048759042718_8068769293069713408_n.jpg

・金浩 真っ黒クロスケもいなかったんだね‼️
。゚(゚^∀^゚)゚。ギャーハッハッハッハッハッハハッハッハッハッハッハ !!
日本窒素肥料は本当に大きな負の歴史だね。
未だ八代海沿いの人達は、この海には未だ水銀が混ざってるって言ってるしね。
水俣病、こっちでは未だに特別番組が放送されるよ。


・李創建 金浩 、熊本にいって水俣病資料館に行った時の衝撃は半端なかったよ。あれは完全な人災であり、無知からなる差別だね。公害病なのに、伝染病と勘違いして、日本人がしかも隣同士が差別し、物まで売らず、隔離したり、あんな悲劇を互いに繰り広げるとは、想像を絶したよ。でも今では水俣の海は埋め立て、世界に誇れるくらいの綺麗な海になってたね。珊瑚礁まで育った素晴らしい海だったよ

・旭化成そうだったんすか。
今年2月に小さく勝利しました!!!(^ ^)


・李創建  九州は古代から現代まで歴史がどっさりで、観て回りきれなさ過ぎる。
( ̄∇ ̄;)ハッハッハ
でもほんと、歴史の宝庫だね

・自転車旅の途中、レンタカーも借りる。柔軟な発想がいいですね。その間、自転車はどこにおかれていたのでしょう。

・李創建  ありがとうございます。昔の若い時期なら、ガンガン上り坂や山道に対応して行ったのですが、なんせもう50のアラフィフな者ですから、レンタカー車中泊に切り替えてみました。自転車🚲はレンタカー屋さんの駐車場に置いておけるとの事だったので、ご好意に甘え2日間駐輪させてもらいました。
(o^-')bグッ!!