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熊倉先生の講義

2018.03.16.Fri.09:12


第35回高崎わたしばなし
〜熊倉 浩靖さん(群馬県立女子大学 教授)〜
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トランプと日本と相撲

2018.03.02.Fri.09:31
嘘みたいな本当の歴史話㉞

皆さん、世界の注目の人物と言ったら、アメリカのトランプさんですね。今日は旬ネタ、トランプの人物像の「嘘みたいな本当の歴史話」でもしようかと思います。

前回お話しした「保渡田八幡塚古墳(ほどたはちまんづかこふん)」の王の埴輪達。よく見ると共通するいでたちだと言う事、おわかりでしょうか?埴輪をよく見ると、首の周りの丸い物(宝石)、腰の派手なベルト、長い剣、そして王冠や派手なかぶり物。古代の王は権力の象徴としてこれらを身にまとって着飾っていたと言われております。そしてアメリカのトランプのみならず、全世界のトランプのキング(王様)の図柄もこれに似ていると思いませんか?

実はこの姿、朝鮮半島の王様の姿なんです。この王の着飾った姿は朝鮮半島を南下して渡来人と共に日本に伝わり、もう一方ではアジアを経て風俗と共にヨーロッパに伝わりました。古代西洋の王は王冠はかぶってはおらず着飾ってもおらず、朝鮮半島の王の絢爛豪華な服装が段々と西へ伝わり、西洋の王は世界で使われているトランプのキングの様な王の姿になったそうです。ちなみに余談ですが、トランプのキングは四種類ですが、4人の実在する歴史的王をヨーロッパ調に模した姿なんです。

さて、続きまして今話題の相撲界。相撲っていつからあるのかと言うと、そのカギが埴輪にありました。埴輪の中に一体の力士の埴輪があります。この埴輪、よく見るとあるものに酷似ている事はご存知でしょうか?それは現在の朝鮮民主主義人民共和国黄海南道安岳郡にある「安岳三号墳(あんがくさんごうふん)」、韓国朝鮮名で「안악제3호무덤(アナッチェー3ホムドム)」と言う高句麗時代の古墳の壁画に描かれた「シルム(朝鮮相撲)」の格好にそっくりなんです。相撲は中央アジアで生まれた神事的拳術と言われ、朝鮮半島に伝わり発展して日本には古墳時代に渡来人と共に伝わったと言われております。ちなみに古墳の力士の埴輪は、邪悪な力から被葬者を守る魔よけのために置かれたのではないかと言われております。

さて、最後にお話しするのは「日本」です。中国の唐が滅亡した後、唐の建国から滅亡までを書いた「旧唐書(くとうじょ)」と言う古文書が書かれました。そこには朝鮮半島の事や日本列島の事まで書かれておりますが、日本列島には「倭國(わこく)」と「日本國」と言う別々の国があったと記されておりました。「倭國」は言わずと知れた近畿圏を中心とした古代の国の名前ですね。では「日本國」はどこにあったのか?旧唐書には「日本國は元々小国であり日のいずる方角にある」とありました。つまり倭國よりも東の方角にあると言う事です。以前この事をテレビで特集していたんですが、大型古墳が数多く存在する事で、場所は群馬県と埼玉県北部(行田市)にまたがる地域ではないかと言っており、渡来人の王国であったとも言っておりました。この旧唐書は解釈によっては見解が色々ありますが、埼玉、群馬を中心とした王国が古代日本國だと言う事は興味がひかれるお話でしたし信憑性もあったと思います。
こんな角度から歴史を見ると、とても面白いですね。

いかがでしたか今日の「トランプと日本と相撲」の嘘みたいな本当の歴史話。
信じるも信じないもあなた次第です。
次も群馬ネタで・・・
では、また次回・・・
王の埴輪の共通点。
・派手な王冠や被り物
・首回りの丸い物(宝石)
・派手なベルト
・長くまっすぐな剣
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王の埴輪とトランプのキングの共通点
・王冠
・宝石
・派手なベルト
・長くてまっすぐな剣
これらは朝鮮半島の王の姿が伝わった物です。
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力士の埴輪
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朝鮮民主主義人民共和国黄海南道安岳郡にある「安岳三号墳(あんがくさんごうふん)」、韓国朝鮮名で「안악제3호무덤(アナッチェー3ホムドム)」と言う高句麗時代の古墳の壁画。
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群馬県高崎市にある大型古墳(前方後円墳)
保渡田八幡塚古墳(ほどたはちまんづかこふん)
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埼玉県行田市にある大型古墳(円墳)
丸墓山古墳(まるはかやまこふん)
映画の「ぼうの城」にも登場した古墳です。
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埼玉県行田市にある大型古墳(前方後円墳)
将軍山古墳(しょうぐんやまこふん)
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読者 つまり相撲は朝鮮が発祥の地ってことなのかな?

金さん 発祥はモンゴル付近ですよ。
日本に伝えたのが朝鮮半島の渡来人って事です!!

上野三碑(こうずけさんぴ)

2018.03.02.Fri.09:21
嘘みたいな本当の歴史話㊱

皆さん、群馬県高崎市には昨年、ユネスコの世界の記憶(世界記憶遺産)に登録された古い三つの石碑があるのをご存知ですか?以前「多胡碑(たごひ)」のお話をしましたが、それを含めた3つの石碑の事です。今日はこの世界遺産の石碑のお話をしようと思います。

さて、この三つの石碑はまとめて「上野三碑(こうずけさんぴ)」と言います。古代群馬県は「上野國(こうずけのくに)」と呼ばれていた所からそう名付けられました。三つとも半径2kmの範囲内にあり各々碑には名前があります。吉井町は「多胡碑(たごひ)」、山名町は「山上碑(やまのうえひ)」、「金井沢碑(かないざわひ)」と言います。

この三碑、何がすごいのかと言うと、日本には古代碑が18柱ありますが、その中でも最古級な古代碑がこの「上野三碑」なんです。そればかりではなく、この「上野三碑」の記録形態が朝鮮半島渡来人がもたらした物、つまり朝鮮半島渡来人が作った石碑なんです。これは高崎市の上野三碑のホームページにも書かれている事実です。

「多胡碑(たごひ)」は711年に建てられましたが、そこには「朝廷の命令により、上野國片岡郡、緑野郡、甘良郡から三百戸を分割して新たに郡をつくり、羊を統治者とする。郡名を多胡郡とする。」と刻まれております。「羊」とは名古屋の「羊神社」を創建した、新羅渡来人「多胡羊太夫(たごひつじだゆう)」の事なんです。「胡」は渡来人と言う意味でここで言う朝鮮半島渡来人の事、「多」は文字通り多いと言う意味、「郡」は行政区分の名称、つまり朝鮮半島渡来人が多く住んだと言う意味でこの地を「多胡郡」としたそうです。

「山上碑(やまのうえひ)」は日本最古の石碑で681年に建てられました。形式は新羅形式で新羅の石碑と酷似しております。内容は「放光寺(ほうこうじ)」の僧侶「長利(ちょうり)」が母「黒売刀自(くろめとうじ)」のために建てた事と、父方、母方の家系が刻まれております。系譜の名前からして、どうも渡来系の氏族の様です。そしてこの石碑の隣には古墳がある事から、この古墳は「黒売刀自」の古墳ではないかと思われております。しかし古墳の年代が石碑よりもやや遡る事から、元々「黒売刀自」の先代が眠る古墳に「黒売刀自」が追葬(後からさらに埋葬)されたのではないかと思われております。

「金井沢碑(かないざわひ)」は726年に三家(みやけ)氏が先祖と一族の繁栄を願って建てた石碑で、内容は先祖の系譜と一族の説明が刻まれております。この系譜を見ても渡来氏族の名前が出て来る事から、これを建てた人物も渡来氏族かその末裔だった事がわかります。

世界遺産に認定された三つの古代石碑が、朝鮮半島の形態で渡来人の事を刻んでいた。いかに多くの渡来人が群馬に渡って来たのかがわかりますね。何だか悠久のロマンを感じますね。
群馬のお話は、これで一旦終了します。
また群馬を散策した時にでも、続きを書こうと思います。

いかがでしたか、今日の「上野三碑」と渡来人お話。
信じるも信じないもあなた次第です。
では、また次回・・・

多胡碑
西暦711年に建てられました。
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山上碑
西暦681年に建てられました。
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金井沢碑
西暦726年に建てられました。
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山上古墳(やまのうえこふん)
山上碑の真横にあります。
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山上古墳案内板
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