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湖北に泊まる⓶

2016.12.29.Thu.16:25
☆ホテルのすぐ目の前に砂浜が
本日は小雨
ホテルの傘を借りて、一人砂浜を歩いた。
静かな琵琶湖
水鳥が群れていた。

浄土のような湖北の美に包まれている幸せ
いつまでも この風景の中にいたかった。
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湖北に泊まる①

2016.12.29.Thu.16:17
あるカルチャーさんの一泊二日の旅をツツガナク終え、午後6時、米原駅解散になった。
これから、福島、鹿児島、千葉、神奈川と参加者は、それぞれの家路に着くのだ。
みんな いい人ばかりだったよ。
お世話になりました。
また、会えるといいですね。
と参加者さんとお別れ。
(ちょっと寂しい~涙)

私はせっかく近江に来たのだから、もう一泊しようと、湖北のマキノにホテルをとった。
1人で湖北に泊まったことがないので、一度、湖北に泊まってみたかったのだ。

地元在住の講師の先生がワレを心配して
「いいかい。山科で乗り換えなならんよ。山科やで」と念を押してくれた。
(講師の先生もピカイチだったわ)

「マキノデノリカエ、マキノデノリカエ」と子どもみたいに何度も呟いたワレ。

基本的にツァーには不向きな人間なので、渡された旅行日程表に「なんで、このコースなわけ」とか「このコースを考えた人って全然わかってないよね」とかインネンをつけたくなるタイプの性格の悪いワレ。

しかし、バスの中で隣の参加者と会話したり、うたたねしても ちゃんとコースをこなして、次々目的地に時間通り連れて行ってくれるというくれるアリガタサはある。
いざ、こうやって、一人になると、全責任はワレにあるわけで、失敗は許されない。
普段のようにボーとしていては、いけない。

11月下旬なので 辺りは もぅ 真っ暗。

山科で乗り換えて、これでやっとマキノに行けると思ったら・・・・
ワレが乗った電車は、ナント!マキノ駅の二駅手前で止まってしまったのだ。
その駅が終点だった電車に乗っていた訳。

後20分待たないと マキノ方面へ行く電車は来ない・・・・

その時、マキノが遙か遙か遠くに思えたワレでした。

それから20分後にやってきた電車に乗り込み、マキノ駅についた。
この先は、ホテルまで何があってもタクシーに乗ろうとそこだけは、はじめから決めていた。
あるカルチャーさんでもらった資料と購入した本で、鞄が重くなっていたからだ。

例え、駅から琵琶湖方面に向かって徒歩15分でも 真っ暗、そして、重い荷物。
普段はケチケチ生活をしているけど、ここだけはタクシーに乗ろうと最初から決めていた。

で、駅を降りてタクシーを探すと 一台もタクシーがなかった・・・・・

恐るべし マキノ駅
ほぼ無人の真っ暗な闇が広がっていた・・・

仕方なく、ホテルに電話して、ナビしてもらった。

人もいない。時々車の通る道路を教えてもらった通り、荷物を担いで歩いたら、ホテルの薄明りが見えた時、
ジンワリ涙が滲んできた。

そして、ホテルの部屋に着き、爆睡。

翌朝、バイキングのモーニング会場に行くと 日本人はワレ一人。
ワレ以外は、全員ツァーの中国人さん!!

はぁ~中国の経済成長ぶりを湖北で体感することになるなんて!!
と一人唸りつつモーニングを食べていたワレ。

目の前に琵琶湖が広がり、なんとも素敵な眺めにウットリ。
この一年で一番幸せな時間でした。
至福タイム満喫。

☆向こうに見えるのは竹生島と葛籠尾(つづらお)半島
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かくれ里君ヵ畑⑧

2016.12.29.Thu.15:47
ところが、惟喬親王の正史には、一切、君ヶ畑も木地師の業祖であることも出てこない・・・・・
「かくれ里」より
~惟喬親王の伝説も、木地師の生活の中に、生まれるべくして生まれたように私は思う。
時代の推移とともに、自然の樹木を崇めるだけでは、何か不安な物足りない感じが彼らにあって、名もない神像に、人間の魂をこめたくなったに違いない。
だが、山奥には、それにふさわしい人物はいず、神代の物語も伝わってこない。
そこへ突然現れたのが、流浪の貴公子である。
神話はたちまちにして成った。
別の言葉でいえば、彼らは初めて歴史を持ったのである。
神社の入り口に、誇らしげにかかげた「日本国中木地屋之御氏神」の尊称を 
私は少しも大げさな表現とは思わない。

☆木地師の里を流れる御池川の美しさに驚いた。
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☆いつか、また。
今度は、、一人で歩きにきます。
ありがとう。木地師の里
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惟喬親王について、もっと知りたい方は こちらへどうぞ惟喬親王ニュース

かくれ里君ヵ畑⑦

2016.12.29.Thu.14:58

☆大皇器地祖神社本殿
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☆大皇器地祖神社由緒記
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一 祭神 惟喬親王(第五十五代文徳天皇第一皇子)
当郷は惟喬親王の御領地(小椋ノ荘園)であって親王御入山遊ばされ、諸種の民業を振興され就中轆轤を用いて椀器製作の業を伝え給う。或いは、樫の木の実を叡覧ありて、椀器製作の術を感じ給うとも伝えられる。これは、我が国における椀器製作の根本であり、作る職人を木地師と言う。以後全国に木地師として栄え、現在に至りても、木地及び金属の挽物職人として重要な位置にある。
親王は或時、侍臣を召し集め「元慶三年(879)十一月九日を以て入寂の日と定め、たとえ余命あるとも、其の期日を以て縁日とせよ。」と仰せられるに仍って、侍臣藤原光長卿は都に上がり、謹んで旨を清和天皇(文徳帝第四皇子)に奏上、天皇は太皇大明神として守護すべき旨御諡号を賜り、翌年(880)四月三日に神殿の造営なり親王の御神霊が鎮祭される。これが当社の創始された所以である。
白雲山小野宮器地祖大明神と敬拝し奉る。今や諸国より産業の神として崇敬されている。
明治十五年十二月社号を大皇器地祖神社と御改諡になる。
同二十六年、内務所より当社保存金として、金壱百円也を下付される。 以上

かくれ里君ヵ畑⑥

2016.12.29.Thu.11:11
大皇器地祖神社(おおきみきぢそじんじゃ)へ

「かくれ里」より
~村の言い伝えでは、親王は19年間ここに住み、元慶3年53歳で亡くなったが、村人たちの悲しみは深く、皇子の霊を鎮めるために、後に、君ヶ畑に神社を建てた。
それが今に伝わる「大皇大明神」だというのである。

自然も人間も、親王がかくれた頃とあまりかわらないのだろう、静かな山に木を引く音がこだまするだけで、千年の眠りをむさぼってるような村のたたずまいである。
左手の茶畑の向こうに、神さびた森が見え、大皇大明神の社が建っており、入口にある「日本国中木地屋之御氏神」の石標は、彼らの根づよい信仰をそのまま現しているようだ。
この社の杉は見事なもので、千年以上を経た大木が亭々とそびえる景色は、木地師の神の名にそむかないものがある。
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かくれ里君ヵ畑⑤

2016.12.28.Wed.16:52
☆金龍寺の近くにある惟喬親王御陵
小高い岡の上に円墳がある。
19年間 ここに住み53歳で亡くなった惟喬親王の墓と称する石塔が建っている。
(ツァーの人たちは気がつかなかったようで、誰も来なかった・・・・)
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☆隠棲先の村人に轆轤を伝えた親王を慕う村人の祈りの場所であろう。
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☆石門には 十六の菊のご紋章が。
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☆既存の天皇系の御陵には、文化財としての興味しかない私もこの親王の御陵には長く手を合わせ祈った。
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☆惟喬親王の墓と称する墓は、政所八幡、筒井八幡、京都の北山や大原、美濃の山奥にもあると言う。
どれが、本当の墓か・・・ということが重要なのではなく、それだけこの不遇な親王が各地の木地師達から慕われているということだろう。
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かくれ里君ヵ畑④

2016.12.27.Tue.11:27
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この能面について「かくれ里」より
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神社には、能面もあった。
ただしこれは御神体で、お祭りの時にしか拝見できない。
さいわい私は、能面研究家の中村保雄氏から、その写真を見せて頂くことができたが、
これこそ木地師が打ったと思われるもので、まるで伎楽面のようなおおらかな表情をしている。
ここにあげたのは、一つは翁、一つは延命冠者(えんめいかじゃ)で、親子を現わしているらしく、彩色をまったくほどこしていない。
翁に特有な切顎(顎の所を切って紐でつないである)もない。
こうした古風な面に接すると、室町時代の名人は、少なくともその大部分は、木地師の出身ではないかと思いたくなる。
そして、伎楽や舞楽が輸入される以前から、彼らの祖先たちは、山奥の木地小屋で、黙って神の顔を彫りつづけていたのだろう。


かくれ里君ヵ畑③

2016.12.27.Tue.11:26
☆この学芸員のような青年から
「今日はわざわざ全国から集まった白洲正子さんのファンの皆様に ト・ク・ベ・ツに 特別に白洲さんも肉眼では見れなかった村の御神体で、お祭りの時にしか拝見できない能面をお見せいたします。」と言われるとツァーの紳士淑女は、ドドッとガラスケースににじり寄り、一斉にカメラとかスマホで撮影ラッシュに。
~必死になったり、人を押しのけてまで撮影するのは、なんだか気が進まないワレ~
~高貴な白洲さんの「かくれ里」のイメージからどんどん離れていくようで・・・・~
でも、後でブログにする時用に必要かも・・・思い直し・・・撮影ラッシュが終わった後に結局必死になって撮影したワレでした。


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かくれ里君ヵ畑⓶

2016.12.27.Tue.11:14
☆君ヶ畑の集落にバスが着くと一人の青年が案内役で現れた。
青年は、高齢化と過疎のこの村をなんとかせねばと移住してきた志ある人。
この村の語り部になって、この村の歴史と木地師の里の生活と文化を後世に伝えようとしている。
高齢化している村人もこの志ある青年を中心に、木地師の里の村おこしに取り組んでいるようだった。


☆惟喬親王(これたかしんのう)の金龍寺と高松の御所
文徳天皇の皇子。母は紀名虎の娘静子。初め,父天皇によって皇太子になる予定であったが,母が紀氏の出であったことと,嘉祥3 (850) 年に右大臣藤原良房の娘明子に惟仁親王 (のちの清和天皇) が生れたためならず、この地に隠棲。
金龍寺を建てて住居とした。村人達に、「高松の御所」と呼ばれている。

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かくれ里君ヵ畑へ①

2016.12.27.Tue.11:12
白洲正子の「かくれ里」を読むと素直に「行ってみたい~」と思う。
でも、実際には気楽に行けないような場所ばかりなのだ。
車以外は交通手段がない場所とか山奥の県境とか。
観光地としてwelcomeしてくれる場所は一つもない。
女一人旅のワレには、危険を感じるような場所ばかり・・・・
君ヵ畑という「木地師の村」へも きっと一生いけないだろう・・・
と諦めていたら・・・・
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あるカルチャーさんからお知らせが届いた。
白洲正子が愛した近江の「美」を訪ねて~かくれ里・君ヵ畑と近江山河抄の世界を旅する~
(55000円)
一日半で55000円って、高~
絶対に高いよ。
(「シラスマサコ」トイエバ、オバサンガ、ヨロコブトオモッテ!!)
でも、行きたい~

今回の滋賀県在住の白洲正子研究者の講師の著作を読んでいたのて、やっぱり行きたい・・・・
仕方なく お高い受講料を入金し、急きょ念願の「君ヶ畑行」決定!となった。

ちょうど 今年の仕事もメデタク無事完了したので、気分転換してこよう。
(この一年で家族が5回も入院したのです。超お疲れ~なワレ)

2016年11月25日 午前11半 米原駅集合
関東から行く場合、正直 米原駅集合は、しんどい。

24日隣町の夜行バスステーション発「11時59発の京都6時30分着」のチケットを購入した。

ところが、なんたる悲劇!!
24日は朝から大雪!!
ありえない!!
また、あの悲劇の再来か
(山の辺の道を歩こうと思い奈良の某ペンションに予約した。台風がきたので、キャンセルしようとしたら、何回かけても電話がでない。キャンセルはメールやFAXではダメ。電話のみとのこと。結局全額を払わされた悲劇)

車のタイヤがスタッドレスに履き替えてない!
ど~しょう。
普通に仕事して、夕飯を作り食べて、入浴。
ゆっくり仕度して荷物を揃え家族も寝静まった11時20分くらいにマイカーで家を出ようと予定していたのに。

まさかの雪。
キャンセルするとカルチャー旅行代・夜行バス往復・湖北ホテル一泊代等合計約10万円の損失は正直痛い。

地元タクシー会社に電話すると
「今日は予約は受け付けてません。」

あるカルチャーさんも夜行バスも予定通り決行・運行とのこと。

これは、行くきゃない!

仕事を中断して自宅へ帰り、家族の夕食にカレーを作った。
(サラダもね)
それから、いつもの旅行グッズを一気に旅行鞄に詰め込んで、隣町へGO!
2時ころ雪が止んだ。
この隙にノーマルタイヤのマイカーで峠をゆっくりと越えた。

そして、夜行バスの発車する場所を確認し、午後2時半から11時半までエンエン9時間ガストにいた。
エンエン9時間ガストにいたのは、これが人生初。
でも、関連本三冊を読んだり、スマホの写真整理をしたら、何とか時間が潰せた。

そして11時20分に「少し早いけど、夜行バスステーションに行こう」としたら、なんと!
マイカーのフロントガラスが凍ってワイパーが動かない。
ど~しょう!
焦った。
約10分くらい温風を出して、やっとフロントガラスの氷が溶けた。
良かった~

夜行バスステーションに着き、石油ストーブで温まっている受付係のおばさんにマイカーの鍵を渡したら
「お客さんはバスが来るまで、待合室にいてください。」
と言われた。
ストーブのない冷たい待合室にいる間、背筋がゾクゾクして、身体が一気に冷えてしまった。
(早く来るんじゃなかった~)
11時55分になって、夜行ハ゛スが来たときは、何より安堵して、薄っすら涙が滲んでいた。

そして、やっとやっと夜行バスに乗り込んだのです。
いつものことだけど、夜行バスは、ほとんど眠れない。
トイレ休憩には全部参加したワレ。
アラレモナイ姿で爆睡している若者達が実に羨ましい~
でも、最後のトイレ休憩から京都駅に着くまでの間30分くらい、うっすら眠れたようだ。
(これでも ワレにしては上出来な方)

京都駅のSUBACOでいつものモーニングのバイキング。
(この場所大好き♪)
近くのトイレで着替えたり、身支度を整えた。
(このトイレが旅人にとっては、京都駅で一番ありがたい優良トイレ♪)

米原駅に11時半に着いた時は、(旅行に費やすべき)大半のエネルギーを使い果たし、ヨレヨレの状態でした。

でも、この後は、あるカルチャーさんの用意してくれたバスに乗り込みさえすれば、君ヶ畑まで行けるので、もう大丈夫。
やれやれ。

☆米原駅から全国から集まった23人を乗せて、湖東三山(西明寺・金剛輪寺・百歳寺)を次々に通過し永源寺に。
永源寺湖が見えてきた。
この後は、切り立った崖のような細い林道をひたすらクネクネとバスは進んだ。
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☆同じくバスから見えた永源寺湖 紅葉がきれい。
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☆永源寺から40分。リアル君ヶ畑集落 ~ついについに着いた!!
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☆20分くらいで、全て歩けそうな小さな集落。
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