FC2ブログ

中山道坂本宿の「白髭神社」②

2016.05.23.Mon.14:53
メイン道路を少し入ると誰もいない白髭神社に着いた。
神社の参道の「白髭神社由緒略記」には
創建 西暦110年とある。
西暦110年とは!
現在は、中山道宿場町としてのイメージでとらえられている坂本宿。
この里にも古代の渡来文化の歴史があることを実感した瞬間だった。

si123.jpg
sirahige12.jpg
shi126.jpg
11.jpg
shi124.jpg
スポンサーサイト

佐賀県有田町「陶山神社」②

2016.05.18.Wed.09:50
当時の有田町では、有田焼300年祭をお祝いして「陶祖李参平之碑」建立が計画されました。建設期間は2年に及ぶ一大プロジェクトであったと言われております。当時この建立計画が持ち上がった時、「日本の神様を祀った陶山神社(当時祭神は応神天皇)を見下ろす場所に、朝鮮人を記念して碑を建てるとは何事だ」と、有田町を二分する程の反対があったそうです。そう、時代は日本が朝鮮を植民地化したいわゆる「日韓併合」の真っただ中で、除幕式があった大正6年は、西暦で1917年だったんです。建設が始まったのが1915年、建立計画はそれ以前のお話。植民地化直後だったんです。
しかしながら、有田焼が300年もの間焼物産業を続けてこられたのは先人たちのおかげだと、深川六助が反対派を一人一人説得して回ったそうです。ちなみにこの深川六助は、有田生れで初代文部大臣森有礼の書生であり、森有礼暗殺後は有田に戻り有田焼に貢献した人物であります。現在の有田陶器市の形態は、この深川六助の考案だと言われております。この深川六助の働きにより、大隈重信(第8、17代総理大臣)が名誉総裁となり、碑は2年間かけて建設され、大正6年5月4日、雨の中200名もの人が山に登り、金ヶ江義平(12代李参平)により除幕されました。それ以来、毎年5月4日には「陶祖祭」が開催されるようになりました。
現在では韓国からの来賓も多く参列する様になり、「陶祖李参平之碑」までの坂道には韓国の国花「ムクゲ」が植えられており、碑は有田の町を一望しながら有田町を見守ってくれております。ちなみに境内にJR佐世保線の線路が横断している由来は、「陶祖李参平之碑」を建設するにあたって、資材運搬のために線路を引き込んだ名残だと言われております。


13087007_10208485404044653_1376370515718318097_o.jpg
13131522_10208485403564641_4093818007788147080_o.jpg
13147423_10208485404524665_1528038762779079836_o.jpg
13173104_10208485404844673_8253263402009157856_o.jpg
13151752_10208485405404687_3347217414694481305_n.jpg

佐賀県有田町「陶山神社」①

2016.05.18.Wed.09:38

佐賀県有田町には「陶山神社」が鎮座しております。地元では「とうざんじんじゃ」と呼ばれておりますが、正式には「すえやまじんじゃ」と呼びます。
この神社は境内に在来線JR佐世保線の線路が走り、「ナニコレ珍百景」にも登場した有名な神社です。
さてこの神社、祀られているのは有田焼陶祖李参平で、他に肥前佐賀藩初代藩主鍋島直茂、そして応神天皇も祀られております。この神社は先ほどの線路の他に、鳥居、狛犬、扁額、そして本殿の欄干、参道の灯篭、柱等が陶磁器で構成されている事でも有名です。
さて、陶山神社では今から99年前の大正6年5月4日、とある祭事が執り行われました。それは「陶祖祭」といい、内容は有田焼300年を祝い陶山神社(すえやまじんじゃ)の裏山の頂に、「陶祖李参平之碑」を建てて、有田焼の陶祖李参平に有田焼産業発展の報恩と感謝、お参りをした除幕式でした。しかし、この碑を建てるにあたっては、大変な苦労があった事はあまり知られておりません。
当時の有田町では、有田焼300年祭をお祝いして「陶祖李参平之碑」建立が計画されました。建設期間は2年に及ぶ一大プロジェクトであったと言われております。当時この建立計画が持ち上がった時、「日本の神様を祀った陶山神社(当時祭神は応神天皇)を見下ろす場所に、朝鮮人を記念して碑を建てるとは何事だ」と、有田町を二分する程の反対があったそうです。そう、時代は日本が朝鮮を植民地化したいわゆる「日韓併合」の真っただ中で、除幕式があった大正6年は、西暦で1917年だったんです。建設が始まったのが1915年、建立計画はそれ以前のお話。植民地化直後だったんです。
しかしながら、有田焼が300年もの間焼物産業を続けてこられたのは先人たちのおかげだと、深川六助が反対派を一人一人説得して回ったそうです。ちなみにこの深川六助は、有田生れで初代文部大臣森有礼の書生であり、森有礼暗殺後は有田に戻り有田焼に貢献した人物であります。現在の有田陶器市の形態は、この深川六助の考案だと言われております。この深川六助の働きにより、大隈重信(第8、17代総理大臣)が名誉総裁となり、碑は2年間かけて建設され、大正6年5月4日、雨の中200名もの人が山に登り、金ヶ江義平(12代李参平)により除幕されました。それ以来、毎年5月4日には「陶祖祭」が開催されるようになりました。
現在では韓国からの来賓も多く参列する様になり、「陶祖李参平之碑」までの坂道には韓国の国花「ムクゲ」が植えられており、碑は有田の町を一望しながら有田町を見守ってくれております。ちなみに境内にJR佐世保線の線路が横断している由来は、「陶祖李参平之碑」を建設するにあたって、資材運搬のために線路を引き込んだ名残だと言われております。


13123211_10208485405004677_7238004046909253673_o.jpg
13119963_10208485403644643_540485271868053090_o (1)
13122919_10208485404164656_10020283680152477_o.jpg
13087007_10208485404044653_1376370515718318097_o.jpg
13131389_10208485404244658_8715002801802088830_o.jpg

中山道坂本宿の「白髭神社」①

2016.05.18.Wed.08:37
以前から気になっていた場所がある。
中山道の坂本宿の道路際に「白髭神社」の文字が・・・・
金 浩さんの記事を読んでいたら「白髭神社」は新羅の神ではないか・・と思うようになったきた。
確か 昨年 近江を一人旅した時も 「白髭神社」があった。
石塔寺へ行く途中の集落に「白髭神社」があったのを記憶している。

しかし、湖北の琵琶湖に浮かぶ白鬚神社には、残念ながら行けなかった。
いつか、行ってみたいな  
白髭神社・・・・

この群馬にもその「白髭神社」があったのか・・・
今日は、車を停めて白髭神社の周辺を散策しようと思い立った。
自宅から車で30分以内のプチ散策。


中山道 坂本宿
2014-06-15 15-02-54
1234.jpg
07_R.jpg
04_R.jpg
01.jpg

いろんな人の中山道坂本宿のブログを拝読したが、何故かこの「白髭神社」に言及している人は誰もいなかった。
つづく





佐賀県有田町の高麗神

2016.05.02.Mon.09:32
佐賀県有田町の上有田には、初代李参平が見つけた陶石の石切り場があります。
元々大きな山でしたが、400年近く切り崩され、その山は陶磁器となり全世界に広まって行きました。
その石切り場に、石場神社があります。
13119832_10208471890626826_9067348152753031382_o.jpg
※初代李参平が見つけた陶石の石切り場。
400年もの歳月をかけて、ひと山が削り取られ、陶磁器に変身して全世界に広がって行きました。
現在有田では、熊本の天草陶石を使っておりますが、14代目李参平さんが400年祭に向けて、昨年からここの陶石を使用し、器を作っております。


そこには初代李参平の像が祀られている事は、観光マップにも乗っており広く知れ渡っております。
13116327_10208471889946809_8371917883316029239_o.jpg
※初代李参平像
石場神社境内

でも、この神社の脇に「高麗神」と言う石碑が祀られているのは、あまり知られておりません。
この石碑はいつごろ祀られたかは不明でありますが、1809年皿山祖廟八幡宮祭礼の際、氏子達が“皿山が不景気になったのは先祖の祭りを疎かにしたためである。高麗踊りを復活させてほしい”と藩に願い出たと記録に残っております。また有田地区の別な場所の窯跡の上にも「高麗神」の祠があり祀った名残があり、高麗墓と言う名も無き陶工の墓も残っております。
有田陶工の心の奥底には、いつもご先祖様と窯の神を「高麗神」として崇めていたんですね。
さて、今週からまた、止まっていた福井の語源話を再開しますね!!
こうご期待!!

13086909_10208471890586825_4226183616698077230_o.jpg
※高麗神の碑
有田の陶工が先祖を祀った石碑
石場神社境内