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韓国珍道中⑥

2015.02.28.Sat.14:13
★豊臣秀吉の朝鮮侵略(1592-1598)を
日本では文禄・慶長の役という。
韓国では、壬辰和乱(イムジンワラン)
image秀吉
★京都の耳塚
1597年9月12日
朝鮮人の鼻や耳・首を塩漬けにして
大樽15個が肥前の名護屋城を経由して
京都に送られてきた。
大阪・京都で大樽は車にのせられ、
人びとにまるで凱旋将軍のように
見せびらかせたうえ誇り、
東山方広寺大仏殿に塚を築いて納入された。
大河内秀元は、その著で
「日本の軍勢16万が討ったる
朝鮮人の首は18万5738、
大明人の首数は2万9014、
すべて21万4752個が、
平安城の東なる大仏殿の土中に築籠め、
石塔を立てて、貴賤今にこれをみる」
 ~秀吉の朝鮮侵略と義兵闘争 金奉鉉
21万・この数を何割の国民が知っているだろうか・
しかし、日本側の記録には、約2万人分とするとある。
侵略した側とされた側では
耳塚の記録ひとつにもこの大差。
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★第15代 沈寿官(チンジュカン)
帰りの畿内で、隣りの席になった黄門から
司馬遼太郎の「故郷忘(ぼう)じがたく候」
を薦められて、帰国後、購入し、一気に読了。
秀吉の拉致により、人生を狂わされた
窯元の人々の代々の苦悩を初めて知った。
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★珈琲と陶器の店を経営している友人Sが
「知ってた? 伝統のある窯元ってみんな秀吉が拉致してきたんだよ」
と云ってたのは本当だったんだ。
~唐津、萩、薩摩、有田、上野、高取、伊万里~
文禄・慶長の役は「焼き物戦争」とも言われた。
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★朝鮮通信使
それなのに、江戸時代 
朝鮮通信使を派遣して、鎖国中の日本に
文化の風を吹かせてくれた彼の国の人々よ

黄門が最後に江戸時代に朝鮮通信使に対して
誠心外交をつらぬいた「雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)」
について、歴史学者として、じっくり語ってくれた。

雨森芳洲も
浅川巧(あさかわたくみ)も
安重根(アン・ジュングン)も
尹東柱(ユンドンジュ)も~
何も知らなかった・・・・

日清日露戦争の主な戦場は朝鮮半島だった。
そして1910年から36年間の植民地支配。
我が国の近代化西洋化は朝鮮半島を足場にして
成り立ったのだ。
「1910年日韓国併合」の暗記だけ。
その実態を何も知らなかった。

大河ドラマが「豊臣秀吉」ではなく「雨森芳洲」
になるようでないと本当の民主主義国とは
いえないであろうと黄門は語った。  

今回、チグハグだったけど、
ご老公のおかげで
超ディープな旅をして、
色々な課題をいただいた。
英国熱はスッとんだ。
遙か彼方に・・

チグハグメンバーの皆様に
黄門様に
感謝です。

でも 一言だけいわせて
初老の恋にご用心(笑)
無題2
終わり
ご購読ありがとうございました。
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韓国珍道中⑤

2015.02.26.Thu.16:53
★別行動の日
いよいよ最後の日
二組に分かれることになった。
森黒木はソウル市内で買い物
ブランド品のバックを買うとか・・・
今回の2人の旅の目的は、ブランド品のバックゲットのようだ。
★景福宮(キョンボックン)へ
ブランド品に興味なしの私は、黄門たちと景福宮を
訪ねることにした。
ソウル市内の5大王宮の中でも12万坪と最大級
建築美の優れた宮殿
     白岳山(ペックァッサン)麓の景福宮全景
     風水地理に基づいてこの場所になった
350px-Korea-Seoul.jpg
★秀吉と日本軍
景福宮の破壊と再建の歴史
1592年 豊臣秀吉の壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の戦火によって全焼した。
1868年 興宣大院君が再建
1895年 閔妃(ミンビ)暗殺事件
1910年 日韓併合により景福宮内の約200の殿閣の
      ほとんどが日本軍により破壊された。
      慶会楼・勤政殿など10棟のみ残る。
1945年 朝鮮総督府により、政府の中央庁舎となる。
1991年 景福宮復元事業開始
                                          景福宮の正殿 
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★国立民族博物館
景福宮の中にある国立民族博物館
見どころ満載
韓民族の伝統と日常を体感できる展示の数々
国立民族博物館
★ビツクリな閔妃(ミンビ)暗殺事件
1895年10月8日
李氏朝鮮の第26代国王・高宗の王妃であった閔妃(ミンビ)が、
三浦梧楼らの計画によって、暗殺された事件。
~全く知らなかった。
あまりの残酷さに、頭痛がした。
でも、現実だ。
逃げないで、受け止めないと。
※事件の背景には、朝鮮王室内の対立、
朝鮮半島を巡る日本・清・ロシアの覇権争いがあり、
日本公使三浦梧楼らの主導による親露派の閔妃を
排除するためのクーデターとする説が定説である。
~日本に帰ってから、友人・知人にこの事件を話したら、
知っている人は、実父以外、一人もいかなった。
無題1
★明成皇后殺害事件
最後に黄門が、閔妃(ミンビ)の惨殺があった
乾清宮(コンチョングン)へ行こうと
提案し、三人で黙とうした。

 ※韓国では「明成皇后殺害事件」と呼ばれている。
無

韓国珍道中④

2015.02.26.Thu.13:39
★別行動の日
昨晩は、ソウルのホテルで宮廷舞踊を鑑賞
その後、カラオケルームでカラオケ
自他共に認める超音痴。
カラオケ苦手な私は義理で二曲歌ったら、
疲れがドットでた。
森・黒木は大フィーバー
エンドレスな盛り上がりをみせる四人に
オヤスミをしてサッサ引きあげ、爆睡。
三日目は、黄門とカクさんはソウルで学会。
森・黒木と私は、歴史学者である黄門の提案で、
ソウルからタクシー飛ばして1時間
天安市の独立記念館へ
別行動の日であった。

★独立記念館
独立記念館には、幼稚園バスや小学生の
遠足のバスが次々やって来た。
子供の頃から、繰り返し、ここにくるようだ。
ここは、市民の公園であり、歴史学習の場所なのだ。
★全国民の募金で
日本政府が侵略の歴史を曖昧にしょうと
方向転換した年(1982年)に危機感を抱いた韓国
の人々は、全国民から募金を集め、
5年間の建設工事の末400万㎡に及ぶ広大な敷地に
7つのテーマからなる展示館のある独立記念館を建てた。
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★姜女史
黄門が特別に通訳を予約しておいてくれた。
通訳の姜女史は、40代の女性だった。
たどたどしい日本語。
でも誠実な人柄が滲んでいた。
「日本語をどちらで学ばれたのですか?」
「この独立記念館で働くこと 一生の仕事にしたい
ナノデ事務の仕事しながら、
毎晩子どもを寝かせてから
勉強しました。
先輩の李さんシンセツ教えてくれました。」
実なまじめな人柄。
★姜女史の挨拶にジーン
「韓国にお越しいただきまして、誠にありがとうございます。
今日一日皆様をご案内させて頂きます。
姜です。
ご存じのように、韓国と日本には、大変悲しい歴史がありました。
でも、その悲しい歴史を乗り越えて、これから隣国として本当の友人になれたらと思います。
ふつつかな案内で恐縮ですが、
宜しくお願いいたします。
一生懸命頑張ります。」
たどたどしい日本語だが実に立派な挨拶。
ジーンときた。
ここは、欠伸などしてられない。
真摯な態度で私達を案内してくれる彼女に
失礼のないよう、彼女の説明を真剣に訊こうと決意。
                                         亀甲船
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★膨大な展示物
姜女史は、実に丁寧にひとつひとつの展示を詳しく
説明してくれた。
古代から現代までの膨大な展示物が陳列してある。
全部見るのはかなりハードだ。
しかし、姜女史との対話が楽しくて、
あっという間に時間が過ぎた。
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★いなくなった2人
気がつくと、森と黒木がいないことが判明。
「どうしたんでしょう?」
姜女史 真っ青
「もしかして、誘拐されたんじゃ」
まっさかぁ~
黒木だけなら、その可能性もあるけど、
森クミも一緒だし・・・・
「日本の人 お金もってるから・・・・」
姜女史の妄想はどんどん悪い方に傾いていった。

      ※日帝時代の日本の憲兵・警察による
      残虐な拷問・虐待の現場を蝋人形で
    再現している。
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★寝ていた2人
それにしても、何しているんだろう。
こんなに真剣に姜女史が解説してくれているのに・・・・

2人して、広い会館内を汗だくになり
走りながらさがした。
・・・・そして、ついにみつけた。
トイレ入り口の自動販売機の横のベンチで
寝ている2人を・・・・
その時の姜女史の失望と軽蔑の入り混じった眼差しを
私は忘れない。

韓国珍道中③

2015.02.18.Wed.15:19
★仏国寺(プルグッサ)
7世紀後半に高句麗・百済を滅ぼし朝鮮半島を統一した新羅
仏国寺に代表されるように新羅は石の文化
~仏国寺を築き上げた新羅人は、石ひとつひとつに自らの救済、両親の冥福、
国家と民族の安寧、釈迦の加護に対する切実な思いを込めたと言われています。
~KONEST「仏国寺」より抜粋
仏国寺500
★石窟庵(ソックラム)
やはり石の文化。
円熟した石造文化の最高峰か。
soku400.jpg
★食欲全開の韓定食
ランチはビール付きの韓定食。
なぜ食器が全て陶器ではなく、金物なのか。
黄門が、語ってくれた我が国からの侵略の歴史
日本人として「済まない」という思いにかられた。
毎食、ビールそして、焼き肉。
体重がふえるだろうと心配したが、帰国後に計ったら、なんと2キロも痩せたのには驚いた。
キムチと油を落とした焼き肉と野菜のバランスが良く、代謝が活発になったようだ。
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★火葬反対集会
国道をソウル目指してビュンビュン車はすっ飛ばしていた。
森黒木組は、食事以外は全て寝ていた。
国道に黒い皮ジャンの男たちが拳を振り上げている。
何かの集会をしていた。
韓国通のカクさんに訊いてみた。
「あの人たちは、何を抗議しているのですか?」
「あれは、火葬に反対しているのです」
・・・その当時、徐々に韓国社会にも火葬化が進んだのだが、庶民の間では、
長年の土葬の習慣を守りたいという抵抗があったそうだ。
さすが、カクさん。
image280.jpg
★高層化
ソウル郊外に次々高層住宅が立ち並んでいた。
私は、観光用でない、昔ながらの庶民の家並みを歩けたら幸せなのになぁ~
と思いつつ、少しウトウトした。
つづく(-_-)zzz
道路


韓国珍道中②

2015.02.18.Wed.14:25
big_39310.jpg
★釜山の市場
釜山空港に着くと
黄門の趣味で昔ながらの庶民の市場を見学した。
魚介類専門の市場 チャガルチ市場
売店の女性がやたら元気。
活気のある市場は、面白かった。
黒木が魚介類の臭いが嫌だと
わがままいって黄門を困らせた。
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★慶州(キヨンジュ)
慶州は、新羅の都
なんといっても古墳が美しかった。
日本と違って、芝を植えてある。
きちんと管理されている。
町の景観にとけこんでいる。
「ああ こういう保存方法があったのか」
韓国の人の美意識に感動した。
※韓国の寺院の大半は、豊臣秀吉の朝鮮侵
(1592~98年)で焼き尽くされた。
再建された寺も日韓併合(1910年)で
神社に変えられた。
これだ
★慶州のホテルで知るカクさんの実力
カクさんは、ハングルペラペラだった。
この珍道中は、カクさんの語学力あればこその旅。
ホテルの売店で,カクさんが買い物をした後、
ショップの女店員がキャーキャー言って騒いでいた。
各さん
(イメージ)
★美男子カクさん
女店員達に呼び止められた。
「あの、先ほどの方とご一緒のツァーの方ですか?」
たどたどしい日本語
-Yes
「あの人は日本人ですか?」
-Yes
「信じられません。
あんな微妙な韓国人しかわからない音を
ちゃんと発音できるなんて。
初めてです。あんな人。それに美男子。
私達みんな、あの人のファンになりました。」
・・・カクさんの実力を初めておもい知らされた。
移動の車の中で、その件をカクさんに伝えると、
そもそも、映画からテレビドラマまで、
韓国の最新ものを個人輸入しているとのこと。
人生の時間とお金を、全て
麗しの韓国文化の為に費やしているそうだ。
2001年といえば、まだ冬ソナブームも起きぬ頃
カクさんの語学力とその徹底ぶりに凡人の我は脱帽

韓国珍道中①

2015.02.18.Wed.13:18
新古代史
★韓国へ
2001年突然、
韓国に行くことになった。
ある人の紹介で・・
その頃、ココロはイギリス。
リンボウ先生の英国シリーズにはまっていた。
植物分野でも突然オールド・ローズ
イングリッシュ・ローズに恋して、
英国熱真っ盛り。
しかし、韓国かっ・・興味ないけど、お隣りだし、
まっ一回くらいいいかっ
的な乗りで、その話にのることにした。
無題
★二冊の本
そこで、事前学習に、本屋で目にした二冊の本を
買ってみた。
茨木のり子「ハングルの旅」
金 達寿(キム・タルス)「古代朝鮮と日本文化」
それらを読了し、いざ韓国へGOヽ(^o^)丿
Departure_lobby_of_Tokyo-Narita_Airport_Terminal_2.jpg
★成田空港集合
空港に集合したのは、
大学の教授60代男性その弟子30代男性
40代女性3人(私も含めて)
全くの初対面
大学の教授とその弟子は、
水戸黄門とカクさんのような師弟関係
40代女性はこの教授の知り合いと
その友人らしかった。
一人は森クミコに似ていて、太っていた。
もう一人は、女優で言えば黒木瞳。
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(イメージ)
フェロモンでまくりで気持ち悪かった。
しかし、この気持ち悪い黒木に内心まんざらでもない
ご老公の黄門が、
~なにか2人じゃあねぇ~
という恥じらいから、このような
ちぐはぐなメンバーのツァーが企画されたこと
瞬時に察知。
たった4日間です。
余分なことには関わらないで、見るものを見て、
食べるものを食べれば、
それでよしと「おまけ」の我は悟った。
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★いざ 釜山へ
こうして、ちぐはぐなメンバーによる韓国珍道中は
スタートした。



 総社町古墳群散策②

2015.02.16.Mon.14:07
★王山古墳  総社町総社  6世紀初頭
ペコちゃんの不二家から撮影♪
王山古墳
★蛇穴山(じゃけつざん)古墳 総社町総社  7世紀末
宝塔山古墳
★天狗岩用水
前日、山王廃寺撮影中、ウォーキングしている女性と会話した
「どちらに行かれるのですか?」
「秋元さまの天狗岩用水まで」
といい、颯爽と去っていった
カッコイイ~
秋元さまも天狗岩用水のことも何もしらなかった(~_~;)
400年以上たっても総社領主秋元長朝(あきもとながとも)の偉業をたたえ、地域の歴史を継承している前橋市民の存在が、何だかまぶしかった
天狗岩
★愛宕山古墳 総社町総社   7世紀前半 方墳
八綱田王(豊城入彦命の子)の墓説あり
 愛宕山800
★二子山古墳 総社町植野  6世紀末 前方後円墳
前方部頂上に「豊城入彦命」(崇神天皇第一皇子)の碑がある
※大室公園の前二子古墳にも、豊城入彦命の墓といわれるものがある
二子山

総社町古墳群散策①

2015.02.16.Mon.13:17
★異空間バランス
この門の辺りから、空気が違う
総社町総社
初めてこの町を訪れた時は驚いた
古墳と巨大寺院と保育園・公民館が
古代と中世と現代が、不思議なバランスを保っている異空間
まさに古代の成都だった
光厳寺
★秋元氏の菩提寺 光厳寺
今も前橋市民から慕われている秋元長朝の菩提寺
寺内に「力田遺愛碑」がある
江戸時代に25Kmにわたる天狗岩用水をつくり農民から敬慕された総社領主
光厳寺左手
★力田遺愛碑(りきでんいあいのひ)
「今も秋元侯が愛される5つの理由」の一つに
~天狗岩用水の造営
領民に対し3年間の年貢を免除し、水利の乏しかった総社領内に他領から用水を引き、領民の生活を豊かにした
石碑cut
★宝塔山古墳  総社町総社  7世紀末 方墳
P1010814.jpg
★宝塔山古墳 秋元氏歴代の墓所
蛇穴山古墳
※尾崎喜左雄氏の説
宝塔山、蛇穴山は最末期のすばらしい古墳
その築造と並行して建立されたと思われるのが山王廃寺跡と今よんでいる豪華な寺院跡
そして、これらは大豪族でなければ造れない
有馬君よりほかに想像できない
有馬君というのは、この土地の西北の榛名山の麓の有馬地帯に住んでいたが、7世紀初めの榛名山の噴火でこの辺りに移り住んだものだろう
上毛野君の一族で、その祖先は上野毛君の祖荒田別の弟 賀袁乃真稚(かおのまわか)であると言っている
おそらく馬を飼って、それによって権力と財力を得ていたものであろう。
総社あたりにこの有馬君が移り住んでいたので、大宝律令などによって郷がきめられ、もと住んでいた土地を有馬郷といい、この土地を群馬郷となづけたのではあるまいか「群馬の地名・上」より

町の中に古墳・・・・というよりは、古墳の回りに、古墳を保存しつつ寺院が建ち、小学校が建ち、
公民館が建ったのだろう
今回もこの不思議なバランスに感動しつつ、散策したい

発見ヽ(^o^)丿 神明宮(じんめいぐう)

2015.02.16.Mon.11:38

★今はなき「総社資料館」
2007年総社古墳群を歩いた時 当時は個人の養蚕農家に「総社資料館」があった。
そこで、資料をいただいて、いつもの習慣で紙袋に入れて、
押し入れに保管しておいた。
今回、国分寺跡散策の為に取り出して、フムフム読んでするうちに、
「ここには、絶対行かねばならぬ」という場所が出てきた。

★「元総社・東の文化財めぐり」前橋市教育委員会発行
⑬神明宮(じんめいぐう)
豊城入彦命(トヨキイリヒコノミコト)
(崇神天皇の皇子)が東国遠征の時、しばし戦いをやめ、身体を休めたとの言い伝えられる場所。

庚申の信仰は江戸時代に庶民の間で流行し、さかんに塔が造られました。
ここにある庚申塔はほとんどが文字庚申ですが、中には青面金剛像を彫った立派なものもあります。~

★豊城入彦命(トヨキイリヒコノミコト)
は崇神天皇(スジンテンノウ)の皇子で上毛野君、下毛野君の始祖。
Wikipediaによると
~『日本書紀』によると、崇神天皇48年に天皇は豊城命(豊城入彦命)と活目尊(いくめのみこと、後の垂仁天皇)に勅して、共に慈愛のある子でありどちらを後継者とするか決めがたいため、それぞれの見る夢で判断すると伝えた。豊城命は「御諸山(みもろやま:三輪山)に登り、東に向かって槍(ほこ)や刀を振り回す夢を見た」と答え、活目尊は「御諸山に登り、四方に縄を張って雀を追い払う夢を見た」と答えた。その結果、弟の活目尊は領土の確保と農耕の振興を考えているとして位を継がせることとし、豊城命は東に向かい武器を振るったので東国を治めさせるために派遣されたという。~

★崇神天皇(スジンテンノウ)
Wikipediaによると
~崇神天皇(すじんてんのう/すうじんてんのう、開化天皇10年 - 崇神天皇68年12月5日)は、『古事記』『日本書紀』に記される第10代天皇(在位:崇神天皇元年1月13日 - 同68年12月5日)であり、現代日本の学術上、実在可能性が見込める初めての天皇であると言われている。~

★眩暈
凄い・・・ 凄すぎる。
眩暈がした。
豊城入彦命(崇神天皇の皇子)が東国遠征の時、身体を休めた場所・・・・
約1700年~1800年らい前か・・・
冷たい空っ風の吹く日曜日
一枚の資料片手に 石倉町を目指した。
石倉寺

★石倉城跡
何となくこの辺りかなと検討をつけて、
車を降りたら、そこは石倉城跡の公園だった。
付近を歩いていた住民の方に
「すみません。あの神明宮は、どちらでしょうか?」
と尋ねると
「・・・聞いたことないですね。でも、向こうの通りに大きなお寺がありますよ」
と教えてくれた。
神仏習合でその大きなお寺の中にあるのだろう。
多分そこだなと思い、大きなお寺に行った。
林倉寺
★林倉寺
大きなお寺はよく通る道路に面した「林倉寺」だった。
車を停めて、寺内を散策したけれど、神社らしきものはなかった。
近辺を散策しよう。
北方向に、住宅地に不釣合いな巨木発見。
前回国分寺跡散策の時「宮鍋さま」は、地図にある店が
すでに閉店していて、大変困難だった。
が、住宅地に不釣合いな巨木を目指していったら、行き着けた。
前回の教訓から、巨木を目指して歩いた。
神明宮
★発見 神明宮
1700年の時を経て、この石倉の地に今も残る
古代の開拓者の足跡に胸が熱くなった。
寄進者を記した石碑はあったが、
この神社のイワレを記したものは何もなかった。
神明宮800
★郷愁
そこは、子供の頃よく遊んだ前橋市の
亡母の実家の裏の神社に似ていて郷愁が湧いた。
掃除が行き届いていて、地元の人により、
大切に維持管理がなされていることがよくわかった。
イワレは忘れ去られても・・・・

高麗の里散策③幻の高麗郡石灯篭

2015.02.12.Thu.15:49
★小間神社の道路を隔てて、反対側に、小間の集落の墓地があった。
墓地の入り口に佇む石仏
すとし800
★石仏群から小間の集落をみる。
くまの800
★ほんだか、ほっこりして、温かい感じがした。
水への感謝があり、祈りがあり、ここも一つの小宇宙
古代に入植した人々を「コマ」の二文字で言い伝え、
今は静かな時が流れているだけ
石造
★小間公民館前で、手編の帽子を被ったおばあちゃんと出会った。
「どこから来たん? なんの写真撮ってるんだい?」
ニコニコしながら話しかけてくる。
すぐ近くです。高麗郡石灯篭を探しているのですが・・・・と答えた。
「石灯篭ねぇ そうねぇ。あそこにもここにもいってみな」と親切にいろいろ教えてくれた。
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★そして、おばあちゃんの教えてくれた場所に行ったら、なんと!
あった!ありました。
「高麗郡石灯篭」
発見ヽ(^。^)ノ
コロンブスがアメリカ大陸を発見したくらい嬉しかった。
「桂昌寺にある」と勝手に思い込んでいた「高麗郡石灯篭」
帰って資料を確認したら、何処にあるとは、一言も書いてなかった。
一人で万歳三唱し記念撮影して大満足。
何にも代えがたい達成感があった。
あなたも
ほっこりしたくなったら、訪れて、村の人と対話すると、きっと行き着けますよ。
高麗郡石灯篭に
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