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高麗山(こまやま)

2015.01.28.Wed.14:36
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                   神奈川県中郡大磯町高麗
★高麗山にビックリ
いつか高麗神社のことを記事にしようと思っていた。
高麗神社にはまって、何度八高線に乗ったことか。
夏休みに高麗川で川遊びしている子供たち・・・
お茶畑を眺めながら、友達を案内した日・・・
彼岸花が盛りの巾着田まで、近所の人とおしゃべりしながら歩いた日・・・

高麗神社を紹介する時は、高麗若光集団が、最初に上陸した
高来神社から書かなければならないと決めていた。

★古代史センサー発動
何日か前「東海道路線バスの旅」を視ていた。
モト冬樹さんが出ていた。
少しウトウトした瞬間
「コマヤマ」というナレーションにビックリ
古代史センセーが発動して、一気に目が覚めた。

神奈川県に「高麗山」があることを初めて知った。
しかも、この山の麓に「高来神社」があったのだ。

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★安藤広重画
「東海道五十三次 大磯 虎ケ雨」の中に描かれている高麗山
~ 奈良時代にこの山側一帯に高句麗からの渡来人が居住し集落を
作ったことから「高麗山」といわれるようになった~
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★残念な改名
高麗山の麓にある高来(たかく)神社
その昔は、高麗神社だった。
明治のなって「高来神社」と改名し現在にいたるそうだ。
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★力強き開拓者集団を
7世紀に高句麗が滅亡し、この一帯に亡命してきた渡来者集団
この付近一帯を開拓し、定住したが、埼玉県の高麗郡に移住していった。
武蔵野の荒野を開拓した高麗若光をいつか記録したい。
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★高麗山よ
渡来の歴史を語る高麗山よ
この名前は永遠に
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志賀の里探検③

2015.01.27.Tue.15:07

★コマでマキ
帰りに、志賀川沿いの小さな商店に寄って、飲み物を買った。
「志賀の里って、古い集落ですね」
「ああそうですか」
「随分、歴史があるように思えるんですけど」
「あそこは、コマですから」
「コマ?」
「そう望月と同じコマなんです」
「コマってなんですか?」
「マキです。」
古代の放牧場だろうか。

コマでマキな小さな宇宙。
志賀の里よ永遠に

志賀の里探検②

2015.01.27.Tue.11:54

★素晴らしい家並み
一本道に沿って車を走らせるとますます隠れ里らしい集落にたどり着く。

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★石垣と蔵の里
石垣が見事、蔵のある家が多かった。

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★村社諏訪神社
村はずれの鎮守の森


山と山に挟まれた忘れ去られたような志賀の里
ひとつの小さな宇宙なのだ。

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★集落の入り口の巨岩
こんな素敵な偶然を伝えることが出来て幸せ(^^♪
ブログを初めて良かった。

志賀の里探検①

2015.01.26.Mon.16:35
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★迷子になって
BSの中山道特集を視ていたら
「小田井宿(おたいじゅく)」
沓掛だった軽井沢の次の宿場町が映し出された。
観光化されていなくて、江戸時代の宿場町の風情が残っている。
「こんな素敵なところがあったのか~
一度いってみたいなぁ」
空気感が江戸時代そのもの。

1月24日の土曜日
半日だけ時間がとれて、急きょ、
でかけることにした。
今年初めての一人探検隊(笑)

車で約一時間、想像した通り小田井宿は、
江戸時代そのままの雰囲気が保ってあり
落ち着いた静かな宿場町だった。
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大満足。
さぁ、帰ろうと 安心モードになったら、道に迷ってしまった。

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★志賀の集落
道なりに続く一本道を走っているうちに、
小さな集落に入ってしまった。
前にも後ろにも山が連なり、
その間を川が流れている。
細長い集落。
一本道に沿って、家並みがある。
志賀城跡、志賀郵便局、志賀小学校跡。
志賀の集落だった。

毎晩眠る前に地図を見ている。
佐久市の地図を見ながら、
「国道254号のひと山越えた
北側に位置する志賀は、きっと
海人族の入植した土地だろうな」
と思いつつ、その集落への入り方が
分からなかった。
そんないつも行ってみたいと
思っていた志賀の集落に
偶然迷い込んでしまったのだ。
嬉しかった。
ワクワク一人探検隊

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★古い家並みに感動
この様な家並みが続き、なんだか歴史が古そうだ。
何の産業で潤ったのだろうか?
この集落の上に大きな牧場がある。
牧場主の家なのだろうか?

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★信州隠れ里
「志賀の里」でネツト検索すると
石川県羽咋市志賀町
京都府綾部市志賀里
が出てくる。
この佐久市志賀は、私が発見した「信州隠れ里」(^^)/

☆志賀という地名、古代海人族については、
カテゴリ「安曇野伝説の魏石鬼岩窟探検隊」にあります。


百済観音菩薩の憂い

2015.01.23.Fri.14:38
◆美の衝撃
高校時代に、修学旅行で法隆寺を訪れた時この仏像に出会った。
人生初、「美の衝撃」を受けた。
なんなんだろう この仏像に秘められた憂いは、一体何処からきているのだ。
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◆狂おしいほどに
飛鳥時代以降の仏像には、この様な「魔力」を感じない。
なぜだろう?
貴族が自分の為、若しくは、自分一門の繁栄の為、
プロの仏師に依頼して創った作品だからだろうか?
完成度が高いな、端正に作ってあるな、と思っても感動はない。
「入魂の衝撃」「秘められた美の衝撃」はない。
飛鳥時代の仏像だけが、私の心をかき乱す。
狂おしいほどに。
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◆滅びの美
「朝鮮の歴史」池明観著 明石書店
を読んでいたら、積年の疑問がユルユルと解けた。
動乱の続く朝鮮三国で、一番仏教が栄えた百済
文化の華も開いた。
~百済は、高句麗の攻撃にあって、次第に南下しながらその国土を縮小させ、さらに新羅からも押されるという運命にあった・・・・政治的・軍事的には敗北に敗北を重ね、悲しみに沈みながら、より情緒的・宗教的に仏教を深め、仏教芸術をもりたてていったことが、ある意味では、東アジア、とくに朝鮮と日本古代文明の花をさかせることになったのではないでしょうか。(抜粋・要約)
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◆入魂の芸術
~国家の運命が危険にさらされていく後期になるほど、芸術的に深みをましていく・・
百済人の芸術には、亡国の民の悲しみ、亡命人のつらさが入魂されている。(抜粋・要約)

百済観音は、法隆寺の立派なガラスケースに入っているより、
今はただ風が吹いているだけの草原のような故郷の廃墟こそ似合うのだ。
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◆廃墟の風を
栄華を誇るもの 華やかなものよりも滅んでしまったものに、強く惹かれてしまう。

栄華が過ぎ去り、今はただ風が吹いているだけの廃墟を、いつか一人歩こう。

針江を探して②

2015.01.23.Fri.09:19
針江生ずの里

かばた(川端)のある暮らし
地域の綺麗な湧き水・伏流水を生水(しょうず)と呼び、生活の中で活かしてきた。
しかし、川下の人のことを常に思いやり、「きれいな水を琵琶湖に戻す」ことを信条に暮らしている。
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太古から続く水のある暮らし
自然から水をいただき、また自然にかえす。
野菜も魚も湧水の中で幸せそうだ。
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かばた文化の守り手
川の掃除・川に繁茂する水草の除去・湖岸の害虫駆除の為の冬のヨシ焼き
きれいな水を守る為、集落の人々の努力の上に成り立っている。
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針江見学ツァー
針江で暮らす人々の生活やかばた見学は、「針江生水の郷委員会」
に事前連絡して、地元ガイドと一緒に歩いてください。

針江を探して①

2015.01.22.Thu.17:12

BSの「琵琶湖特集」を視ていたら、信じられないくらい水の綺麗な集落があり、咄嗟にメモした。  
梅花藻のある「ハリエ」
地図を見ても「ハリエ」はどこにもない。
ネット検索しても当時は何も出てこなかった。
半年後にやっと高島市の針江地区であると判明した。
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きれいな川に憧れる。
あれは、小学校一年生の頃、集団登校をする時、川の中ばかり覗いて歩いていた。
メダカがいたのだ。
川の中は、楽しかった。
「メダカの学校は、川の中~♪」だったのだ。
でも、ママレモンが普及し、川の中の生物は死滅した。
小学校3年生の頃には、生き物はいなくなっていた。
そして、三面張りされたコンクリートの川は、汚水が流れる汚い場所になっていった。
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夏休みなど学校から「川は危険ですから近づかないように」厳重に言われた。
川は、危険で汚い場所になっていった。

・・・ほどほどの豊かさでいいんじゃないか。
川にメダカがいて、夏はホタルが舞うようなあの頃のような社会にもう戻れないのだろうか?
川で遊ぶのは、最高に楽しいのに・・・
子供たちが川で遊ぶような土地に憧れる。

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地球環境の専門家の意見を政治家が訊く日はこないのだろうか?

針江をみんなで見学して、本当の豊かさってなんだろうと考える日があってもいいと思う。

太郎坊宮を登る

2015.01.22.Thu.15:50

どうしても行ってみたかった「太郎坊宮」(八日市小脇市)
関東では、あまり知られていない。
近江八幡から近鉄八日市線に乗って四つ目の駅「太郎坊宮前」で降りる。
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私達の他、誰も降りなかった。
同行者は、午前中に安土城を登り、
~あぁ疲れた もう今日はいいよね~
みたいな「お疲れ様モード」に勝手に突入している。
なんせ新幹線に乗ってきたので、もう一頑張りしないともったいない。

八日市の駅を降りと、そこから「太郎坊宮」への参道になっていた。

子供たちが、川遊びをしていたので、
「何が獲れるの?」と聞くと
ナント!(^^)!
「亀」にはビックリ!
小さな亀が何匹もいた。
まさに、神の棲む里。
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太郎坊宮は、赤神山の中腹にある。
やっと人が一人通れるくらいの裂けた巨岩の夫婦岩が屹立する。
同行者には、この様な巨岩があることは内緒。
突然現れた巨岩に、
安土城をよじ登ったお疲れもぶっ飛んだようだ。
「今日は、ビールを奢ってあげる」と言うと
「一日二回も山登りしたから、ビールが旨いだろな」だって(笑)
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太郎坊宮の社殿から蒲生野を一望する。
蒲生野は、憧れの地だ。
しかし、一回で全部制覇するのは、困難。
湖東三山ばかりの旅行会社のツァーでは、面白くない。
仕事三昧の夫を誘って時々歩こう。
いつも、ありがとう。感謝。

秦氏を追って①

2015.01.15.Thu.15:36

万古渓谷入口の「万古隧道」
長野県下伊那郡泰阜村「秘境中の秘境」

「秦氏の秘教 シルクロートから来た謎の渡来人」
菅田正昭著Gakken出版より
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~作家で元長野県知事の田中康夫氏が、知事をしていたころ、ここに住民登録をしようとして長野県から拒否されたことで知られる秘境スボットである~(抜粋)

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(イメージ)
~奇岩怪石が連なる万古川の片隅には、旧・万古集落の鎮守・小鷹神社が忘れ去られたように、ひっそりと鎮座していて、その社殿の奉納札を見ると、そのほとんどが、「秦」姓だった。・・・・・そこには、社殿を修理した際の「秦」姓の寄進者の名前が連なっていた。なんで、こんな山奥の隠れ里のような、現在は無人集落化している秘境まで、「秦」氏を名乗る人々がやってきたのであろうか。・・・・~(抜粋)

この奉納札が見たくて、見たくて・・・・
夢にまでみた「秦」氏の奉納札・・・・・・

いつか栢森(かやのもり)を歩く日

2015.01.15.Thu.10:06

明日香村から飛鳥川に沿って歩く。
稲淵を過ぎると奥飛鳥「栢森」の小さな集落に着く。

韓日の古代史にハマった私にとって、「栢森(かやのもり)」には、悩ましい響きがある。
何故かというと「かや」という音韻から
朝鮮半島の南端にあった~伽耶(かや)~を連想してしまうからだ。
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・・・・村史にも残らないほど昔、天皇家ルーツ説もある伽耶、新羅に滅ばされた伽耶から渡来した人々が、静かに、隠れるように、営々と棲んでいるのだろうか。
この森に・・・・

生まれも育ちも職業も別々の国境を越えた三人の友情

「古代日本と朝鮮」座談会 司馬遼太郎 上田正昭 金達寿(キム・タルス)編 中公文庫
日本政府の植民地化政策により、生活が困難になり、10歳で、玄界灘を超えてきた金。
貧しさと差別の中から、自分の力だけで這い上がり作家の地位を築いた金が、栢森(かやのもり)の音韻にそそられて、次々論証しようと試みる。
金へのリスペクトを秘めつつ、その必至さに、おかしみをこらえながらの碩学の作家と学者の対談は、何度読んでも楽しい。

国境もない頃の古代の人々の交流に想いを馳せる三人。
少年のココロの三人の会話に、たまらない魅力がある。

しかし、金達寿も司馬遼太郎もすでに鬼籍の人。
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私に古代史という生きがいを与えてくれた三人に、感謝しつつ、
いつか栢森を一人歩こう。
この本をリックに入れて。