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五條新町から御霊神社へ 

2018.12.14.Fri.09:05
五條市の御霊神社を訪ねてみたいと以前から思っていた。
五條というと とても暗いイメージがあった。
当時の都から遠く離れた場所で、悲劇の主人公 聖武天皇の第一皇女井上内(いがみ)親王と息子の早良(さわら)親王が葬られている。
「怨霊」「祟り」「犠牲者」の葬られた寂しい場所・・・

五條駅で降りて、歩くことにした。
「五條新町」に江戸時代の街並みがそのまま残っているという。
そこを見てから、御霊神社に行ってみよう。
歩いていたら、まず、信号機の地名にビックリした。
「須恵」とは!
「須恵器」を連想する地名ではないか?
なんて素敵な地名なんだと感動。
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車の行き交うメインストリートから吉野川沿いに少し下ったところに五條新町は在った。
見事な家並み!まさに江戸時代の空気感が漂っていた。
それぞれに重厚感のある建物が続いていて、とても気持ち良く歩けた。
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「まちや館」という無料休憩所があって、学芸員さんのような若者と会話した。
何でもこの五條市には、御霊神社が28もあるそうだ。
聖武天皇の第一皇女井上内親王らが葬られたことによって、それ以降、御霊信仰が盛んになり、あちこちに 御霊神社が建てられたそうだ。
五條という地名も 御霊から来ているという説もあるそうで
その説明には、スッキリ納得した。
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「これから御霊神社に 行きたいのですが・・」
学芸員さんにザックリ方向を確認して、
歩いて行ける距離のようなので、御霊神社を目指した。
吉野川を渡り、太平洋戦争で中断された「五新鉄道」を越えて、少し行った左手にあるという。
写真は撮り忘れたけれど智辯和歌山の標識もあった。
吉野川
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五新鉄道の遺跡
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五新鉄道の遺跡
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五新鉄道の遺跡
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御霊神社の標識発見
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※参考文献
怨霊になった天皇
※多少の省略あり

「聖武天皇の第一皇女 井上内親王は、わずか5歳で伊勢斎王に選定され、神亀4年(727)に、11歳で伊勢の神宮に派遣された。
斎王は原則として、天皇の代替わりか近親者の死去があるまで、交代することができない。
井上内親王が、斎王を退いたのは、選定から24年後。(弟の安積あさか親王の喪に入った為)
都に戻った井上内親王は、天智天皇の男系の孫に当たる白壁王と結婚。
当時は天武系が支配する時代で、政権からは遠く無難な結婚のはずであった。
当時としては、驚くべき高齢出産で38歳で酒人(さかひと)女王を45歳で他戸(おさべ)親王を出産。

神護景雲4年(770)皇位継承者不在のまま 第48代称徳天皇が崩御となり、皇統の危機を迎える。
(称徳天皇は、聖武と光明子の間の娘だが、独身で子どもがいなかった)
天武系の男性継承者が一人もいなくなった。
そこで、当時62歳の天智系の皇胤 白壁王に白羽の矢があたった。

そこで、白壁王は、第49代光仁天皇に、井上内親王は皇后に
他戸(おさべ)親王が皇太子になった。
政権から遠かった井上内親王らは、突如として歴史の表舞台に登場したのだ。

ところが、間もなく悲劇が始まる。

宝亀3年(772)皇后井上内親王は巫コ大逆(フコタイギャクザイ)の罪で廃后されたのだ。
その3か月後には皇太子他戸親王が廃太子されてしまった。
巫コ大逆(フコタイギャクザイ)罪とは、天皇を呪詛(じゅそ)呪ったという罪である。

「皇后が天皇を呪詛している」と下級官史が密告したことが事の発端だった。
誰かの策略である。

夫の光仁天皇はすでに、64歳と高齢。あと少し待てば、他戸親王が皇位に就くことは明確であり、わざわざ夫を呪い殺す必要があるとは、到底思えない。
井上内親王が廃后されることによって、利益を得たのは、光仁天皇の第一子の山部親王 後の桓武天皇である。

宝亀4年(773)井上廃后と他戸廃太子は、天皇の妹の難波内親王を呪い殺したとの疑いをかけられ宇智郡(現在の奈良県五條市)に幽閉されてしまう。そして、二年後の宝亀6年(775)4月27日 二人は同日に没した。

同じ日に亡くなるというは、尋常な死に方ではない。
他殺か 自殺が 憤死か

その後の祟りが凄まじい。
怪奇現象が起きていることが「水鏡」や「続日本記」に記されている。

鎌倉時代初期に記された「水鏡」は、井上廃后は、亡くなると現身のままに龍に成ったと記し、その後について、宝亀7年(776)7月には20日間ほど毎夜、瓦・石・土塊が降るという怪奇現象があり、冬には宇治川の水が絶えようとするまで雨が降らなかったと記す。
また、12月には光仁天皇と皇太子山部親王と藤原百川が同時に、甲冑を漬けた者100人ばかりが百川の命を取ろうとする不吉な夢を見、これを廃后と廃太子の霊と思った光仁天皇は、2人の鎮魂のために諸国の国分寺に命じて金剛般若経を転読させたという記述ある。

また正史「続日本記」も同じように、同9月に毎夜瓦・石・土塊が降ったことを記す他、5月には災変が度々起きるので大祓をしたことや 翌年3がつには、宮中でしきりに妖怪が出るので大祓をしたこと、その他にも地震・日照り・暴風雨・内裏への落雷などを記し、さらに宝亀9年(778)井上内親王の墳墓を改葬し「御墓」としたことを伝えている。また他戸親王墓は山陵(みささぎ)と称し、天皇陵と同格にした。

しかし、このような読経や改葬などによっても井上母子の怨霊は治まらなかったと見える。
光仁天皇と皇太子山部親王の不予ふよ(天皇や貴人の病気)が続き、藤原蔵下麻呂・藤原良継・藤原百川らが相次いで命を落とした。
これらも井上母子の祟りであると恐れられた。
なかでも山部親王の不予は深刻で、重度の精神病に陥り、怨霊の勢いを抑えるたるのあらゆる努力の甲斐もなく、一年もの間平癒の兆しが見えず、最後には皇太子自ら伊勢の神宮に行って病気の快復を祈願するに云った。
皇太子の参宮は神宮の歴史においてこれまで洗礼がない。やはり皇太子が遠路遥々参宮した甲斐あったか、健康を取り戻した。

ところが、続けて光仁天皇の不予が悪化し、皇太子に譲位して崩御することになる。
皇太子山部親王が践祚して桓武天皇となり、その同母弟の早良親王が皇太子となった。
兄を天皇に弟を皇太子に据えたのは、父光仁天皇の考えだった。

桓武天皇即位後には、廃后の御墓の近くに井上母子の菩提を弔う霊安寺が建てられた。
ところが井上母子の怨霊はその後も衰えることなく、遷都後の平安京でも暗躍し、怨霊として恐れられたことになる。」

~このような事件と桓武天皇の弟 早良親王も廃太子となり、壮絶な死を遂げて怨霊となり、一緒に祀られている。

そういう怨霊達が眠る里 五條、
28も御霊神社があり、御霊信仰が盛んだった・
五條新町は江戸時代の空気感を漂わせ、吉野川が輝きながらゆっくり流れていた。
御霊神社には、古代の天皇制の犠牲者、政争に巻き込まれた悲劇の犠牲者たちが眠っていて、その歴史を知る人だけが時々訪れているようだ。
一度歩いてみたかった五條、全て歩けたので、大満足でホテルへ帰った。
 









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