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甲冑王とかみつけの里

2018.02.09.Fri.14:12
嘘みたいな本当の歴史話㉝

皆さん、今から6年前、群馬県渋川市の榛名山(はるなさん)の麓で国道工事に伴う遺跡発掘調査が行われました。そこから大変珍しい古代人の人骨が出土した事はご存知でしょうか?何が珍しいかと言うと、前例のない日本で初めて鉄の甲冑をまとった人骨が出土したからです。では、この鉄の甲冑をまとった人物はいったい何者なのか?武人?貴族?はたまた農民?ここに大きな秘密が隠されておりました。今日はこの人物像のお話をしようと思います。

この人物は男性で、西暦500年代初頭に大噴火した榛名山の火砕流に巻き込まれて亡くなった事がわかりました。規模は長崎雲仙普賢岳で起きた火砕流の30倍とも言われております。では一体どんな人物だったんでしょう?その謎を解くカギがとある古墳にありました。

この遺跡から南に16km離れた所に、「上毛野はにわの里公園(かみつけのはにわのさとこうえん)」がありますが、その公園内に「保渡田八幡塚古墳(ほどたはちまんづかこふん)」と言う大型の前方後円墳があります。この古墳は既に盗掘されており被葬者の人骨はありませんでしたが、発掘調査を行った結果大量の埴輪が出土しました。その埴輪を復元してみると、生前の古墳の被葬者(王様)の生活の姿を現した物であった事がわかりました。

埴輪は狩猟をする王、神事をする王、隊列を組む王、鳥を方にのせた王他、様々な王の生活の場面を表したもので、その服装が極めて珍しく朝鮮半島の騎馬民族スタイルに酷似しており、諸説色々ありますがこの古墳の被葬者は朝鮮半島から来た騎馬民族の王様だった可能性が極めて高いと言う事がわかりました。そしてここには、甲冑をまとった埴輪もありました。関東付近で多く出土する甲冑をまとった武人の埴輪(NHKのはに丸くんや特撮映画の大魔神の様な埴輪)、元々王に仕えた武人と思われておりましたが、鎧が決まって出土するのは古墳の石室、つまり鎧をまとう者は武人ではなく王だと言う事が近年わかりました。つまり鎧をまとった埴輪も王だと言う事です。

では火砕流で亡くなった甲冑男性はと言いますと、古墳の王の埴輪と甲冑がきわめて似ており、男性はやはり武人ではなくこの付近を治めていた王と言う事がわかりました。そしてその後の科学的な調査の結果、この人骨は成人男性で年齢は40代前半、身長は164cmだと言う特徴がわかり、また歯の成分から長野付近で幼少期を過ごした人物、つまり長野県付近で生活経験があった事がわかりました。更に大腿骨が太かった事から馬に常時乗っていた事もわかり、結論からこの男性は、朝鮮半島渡来人で長野付近を経て群馬に移住してきた騎馬民族の王様だったと言う事が判明しました。

実は群馬県には古代、多くの渡来人がやってきて、その痕跡を現代にも多く残してくれております。

いかがでしたか、今日の人骨と埴輪のお話。
信じるも信じないもあなた次第です。
次回は、今話題の旬ネタで「日本、トランプ、相撲と群馬」のお話をしたいと思います。
ではまた次回・・・嘘みたいな本当の歴史話㉝

皆さん、今から6年前、群馬県渋川市の榛名山(はるなさん)の麓で国道工事に伴う遺跡発掘調査が行われました。そこから大変珍しい古代人の人骨が出土した事はご存知でしょうか?何が珍しいかと言うと、前例のない日本で初めて鉄の甲冑をまとった人骨が出土したからです。では、この鉄の甲冑をまとった人物はいったい何者なのか?武人?貴族?はたまた農民?ここに大きな秘密が隠されておりました。今日はこの人物像のお話をしようと思います。

この人物は男性で、西暦500年代初頭に大噴火した榛名山の火砕流に巻き込まれて亡くなった事がわかりました。規模は長崎雲仙普賢岳で起きた火砕流の30倍とも言われております。では一体どんな人物だったんでしょう?その謎を解くカギがとある古墳にありました。

この遺跡から南に16km離れた所に、「上毛野はにわの里公園(かみつけのはにわのさとこうえん)」がありますが、その公園内に「保渡田八幡塚古墳(ほどたはちまんづかこふん)」と言う大型の前方後円墳があります。この古墳は既に盗掘されており被葬者の人骨はありませんでしたが、発掘調査を行った結果大量の埴輪が出土しました。その埴輪を復元してみると、生前の古墳の被葬者(王様)の生活の姿を現した物であった事がわかりました。

埴輪は狩猟をする王、神事をする王、隊列を組む王、鳥を方にのせた王他、様々な王の生活の場面を表したもので、その服装が極めて珍しく朝鮮半島の騎馬民族スタイルに酷似しており、諸説色々ありますがこの古墳の被葬者は朝鮮半島から来た騎馬民族の王様だった可能性が極めて高いと言う事がわかりました。そしてここには、甲冑をまとった埴輪もありました。関東付近で多く出土する甲冑をまとった武人の埴輪(NHKのはに丸くんや特撮映画の大魔神の様な埴輪)、元々王に仕えた武人と思われておりましたが、鎧が決まって出土するのは古墳の石室、つまり鎧をまとう者は武人ではなく王だと言う事が近年わかりました。つまり鎧をまとった埴輪も王だと言う事です。

では火砕流で亡くなった甲冑男性はと言いますと、古墳の王の埴輪と甲冑がきわめて似ており、男性はやはり武人ではなくこの付近を治めていた王と言う事がわかりました。そしてその後の科学的な調査の結果、この人骨は成人男性で年齢は40代前半、身長は164cmだと言う特徴がわかり、また歯の成分から長野付近で幼少期を過ごした人物、つまり長野県付近で生活経験があった事がわかりました。更に大腿骨が太かった事から馬に常時乗っていた事もわかり、結論からこの男性は、朝鮮半島渡来人で長野付近を経て群馬に移住してきた騎馬民族の王様だったと言う事が判明しました。

実は群馬県には古代、多くの渡来人がやってきて、その痕跡を現代にも多く残してくれております。

いかがでしたか、今日の人骨と埴輪のお話。
信じるも信じないもあなた次第です。
次回は、今話題の旬ネタで「日本、トランプ、相撲と群馬」のお話をしたいと思います。
ではまた次回・・


鎧をまとった人骨。
日本で初めて出土した、大変珍しい人骨です。
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「上毛野はにわの公園」内にある「保渡田八幡塚古墳」
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古墳の被葬者である王の日常を表した埴輪
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鎧をまとった埴輪。
騎馬民族の王の埴輪。
出土した「鎧をまとった人骨」と酷似した姿です。
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着飾った騎馬民族の王の埴輪
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王冠をかぶった神事をする王のはにわ
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会議をする王の埴輪
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鳥を肩に載せた王のはにわ(左)
弓を射る王のはにわ(右)
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騎馬民族の証の馬と最後尾は鹿です。
馬具は朝鮮半島の物とそっくりです。
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神事をする王の様子
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これは王に使える武人。
鎧はまとっておらず、盾のみをもっています。
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「車持君」は渡来人

2018.02.16.Fri.08:43
嘘みたいな本当の歴史話㉟

皆さん、群馬県と言ったら何を連想しますか?自分は小さい頃、群馬と言えば大草原に何千頭もの馬が放牧されているそんなイメージでした。それとやはり「かかあ殿下と空っ風(群馬は女性と吹き降しの風が強いと言う意味)」、「国定忠治」ですね。小さい頃、オモニ(母)のスカーフをマントの様に首に巻いて、新聞紙をクルクルクルっと丸めた刀を作って、「赤城の山も今宵限り、かわいい子分の手前達とも・・・」なんて国定忠治を真似てチャンバラごっこした記憶があります。そんな話は置いといて・・・

さて、群馬の県名の由来は、古代この地域を「車評(くるまごおり)」と呼んでいた所に由来します。「評」とは「郡」と一緒で行政区分を表す言葉で、「車評」は後に「車郡」に代わり、この地名は江戸末期まで使われます。明治に入り、「車郡」が「群馬郡」となり、「群馬県」になったわけです。

では「車」とはなにか。それはここを治めていた「車持君(くるまもちのきみ)」と言う人物の名前が由来だと言われております。「車持君」は馬を多く献上したところからその姓を拝領したとあります。そう、「車」とは乗り物、つまり「馬」の事なんです。群馬県一帯の古墳からは多くの馬具や馬骨が出土しており、この地域で多くの馬が飼われていた事がわかっております。更にその馬は渡来人が朝鮮半島から持ってきて、この地で育て増やしたと言われております。一説には「車持君」は渡来人とも言われております。

それからもう一つ、この地には朝鮮半島からの渡来人が多く住み、「呉人(くれびと)が多く住む地」と言うことから「呉人」が「車」になったとの説もあります。「呉人」は朝鮮半島南部の「求礼(クレ)」、もしくは高句麗の「句麗」の事を言います。「車持君」説と「呉人」説、二つの説はかつて国語辞典にも載っておりましたが、県名の由来はどちらか「定かではない」そうです。ま、どちらにせよ、県名の由来は渡来人にまつわるって事ですね。

そうそう、高句麗と言えばこの群馬県にも、高句麗渡来人が来た証が幾つか残っております。代表的な物は高崎市箕郷町下芝にある「下芝谷ツ古墳(しもしばやつこふん)」です。この古墳、榛名山の火砕流で埋もれてしまいましたが、掘り起こしてみると巨大な石積み式の方墳(四角い古墳)でした。実は方墳は高句麗特有の古墳で石積式も高句麗式なんです。そしてここからは馬具類、甲冑、装飾品と言った豊富な副葬品が出土しました。中でも金銅製の「飾履(装飾を施した靴)」は大変珍しく、日本でまだ15例しか見つかっておりません。この靴は足の裏までガラスを埋め込み装飾されており、履いて歩くための物ではなく死者の為に履かせる靴で、古墳の被葬者が大変権力を持った者だと言う事がわかります。この他にも、高崎市にある高崎市立西部小学校隣の剣崎長瀞西遺跡からも方墳がいくつか見つかっており、群馬県には多くの高句麗系渡来人が入植した事がわかります。

いかがでしたか今日の「群馬県」のお話。
ちなみに我がアボジ(父)は生前、「我が家はかかあ殿下で、女房にあたまが上がらんばい。」って言ってました。古代も現代も、朝鮮半島から渡来した女性は強い・・・って事・・・
信じるも信じないもあなた次第です。
ではまた次回・・・


高崎市箕郷町下芝にある「下芝谷ツ古墳(しもしばやつこふん)」
榛名山の火砕流で埋まってしまい、上部が少し見えるだけになってしまいました。
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下芝谷ツ古墳(しもしばやつこふん)の地下を掘って、古墳の発掘調査をした写真です。
これだけ火砕流で埋もれてしまいました。
比較のための人の影が右上にあり、古墳の全景が右下にあります。
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古墳の案内板
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博物館の案内板
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古墳から出土した金銅製の「飾履(装飾を施した靴)」(レプリカ)
日本では15例しか出土しておりません。
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同じく反対側の金銅製の「飾履(装飾を施した靴)」
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金銅製の「飾履(装飾を施した靴)」(復元品)
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飾履の説明板
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高崎市にある高崎市立西部小学校隣の剣崎長瀞西遺跡。
目の前の古墳は剣崎長瀞西古墳。
手前の広場奥に、方墳が数基ありました。
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フェイスブックみんなの声
私    ・この飾履の美意識の高さには、感動ですね。どんな王だったのだろうと想像します。
金    ・自分も古代に思いが馳せります。
      騎馬民族の王様、想像するとワクワクしますね。(≧∀≦)
私    ・現代の私達より、精神的には、豊かだったでしょうね。

S     ・凄いですね〜(o_o)馬がたくさん飼われていて、馬関連の物がたくさん見つかっているという由来は聞いていましたが、        詳細は初めて知りました!(◎_◎;)靴はかなり高価な物のようですね(≧∇≦)
金    ・火山地帯なので農業には適さないけど放牧にはいい所だそうですよ。
       広大な牧草地だったそうです。
      靴は高価で権力と富の証。
      今の時代でいくらくらいするんでしょうかね?

H     ・金さんいつもながら興味深いお話、面白く拝読させて頂きました。
馬といえば、大阪と奈良県を分ける生駒山がありますが、古代は生駒山の裾野で馬を放牧し育てていたところから生駒山と呼ばれるようになったといいます。まだ大阪平野がない頃、生駒の裾野まで河内湖が迫っていました。裾野を走った馬たちは河内湖の水を飲んだと思います。生駒に近い寝屋川市には秦という地名がありますが、渡来人と関係があるかに聞いたことがあります。生駒山に近い、八尾市、東大阪市、大東市、四條畷市、交野市、枚方市の線は古代史に様々残るものがあります。王仁博士などはその一人です。
まだまだ、大阪の古代史まで至りません。近世で精一杯です。🤗👋


生駒の方は確か百済の渡来人達が馬を飼っていたと聞きました。
現在の大阪は、地名や歴史に百済の渡来人の痕跡が沢山ありますね。
寝屋川市の秦は新羅渡来人秦河勝由来の地名と聞いたことがあります。
確かお墓もありますね。
大阪は時代とともに、百済、新羅、高句麗と言った渡来人が沢山いたそうですよ。
百済は大阪でも古い土地で、百済駅もあり、街中です。
河内湖が生駒山近くまで迫り、裾野を馬たちが走る姿を想像すると、なんとも言えないロマンを感じますね🤗👋

H 四條畷市の歴史資料館には、生駒山の裾野から出土した、木棺に入った完全な遺体、馬の化石が保存されています。渡来人だったかもしれません。
私は何度も見ています

上野三碑(こうずけさんぴ)

2018.03.02.Fri.09:21
嘘みたいな本当の歴史話㊱

皆さん、群馬県高崎市には昨年、ユネスコの世界の記憶(世界記憶遺産)に登録された古い三つの石碑があるのをご存知ですか?以前「多胡碑(たごひ)」のお話をしましたが、それを含めた3つの石碑の事です。今日はこの世界遺産の石碑のお話をしようと思います。

さて、この三つの石碑はまとめて「上野三碑(こうずけさんぴ)」と言います。古代群馬県は「上野國(こうずけのくに)」と呼ばれていた所からそう名付けられました。三つとも半径2kmの範囲内にあり各々碑には名前があります。吉井町は「多胡碑(たごひ)」、山名町は「山上碑(やまのうえひ)」、「金井沢碑(かないざわひ)」と言います。

この三碑、何がすごいのかと言うと、日本には古代碑が18柱ありますが、その中でも最古級な古代碑がこの「上野三碑」なんです。そればかりではなく、この「上野三碑」の記録形態が朝鮮半島渡来人がもたらした物、つまり朝鮮半島渡来人が作った石碑なんです。これは高崎市の上野三碑のホームページにも書かれている事実です。

「多胡碑(たごひ)」は711年に建てられましたが、そこには「朝廷の命令により、上野國片岡郡、緑野郡、甘良郡から三百戸を分割して新たに郡をつくり、羊を統治者とする。郡名を多胡郡とする。」と刻まれております。「羊」とは名古屋の「羊神社」を創建した、新羅渡来人「多胡羊太夫(たごひつじだゆう)」の事なんです。「胡」は渡来人と言う意味でここで言う朝鮮半島渡来人の事、「多」は文字通り多いと言う意味、「郡」は行政区分の名称、つまり朝鮮半島渡来人が多く住んだと言う意味でこの地を「多胡郡」としたそうです。

「山上碑(やまのうえひ)」は日本最古の石碑で681年に建てられました。形式は新羅形式で新羅の石碑と酷似しております。内容は「放光寺(ほうこうじ)」の僧侶「長利(ちょうり)」が母「黒売刀自(くろめとうじ)」のために建てた事と、父方、母方の家系が刻まれております。系譜の名前からして、どうも渡来系の氏族の様です。そしてこの石碑の隣には古墳がある事から、この古墳は「黒売刀自」の古墳ではないかと思われております。しかし古墳の年代が石碑よりもやや遡る事から、元々「黒売刀自」の先代が眠る古墳に「黒売刀自」が追葬(後からさらに埋葬)されたのではないかと思われております。

「金井沢碑(かないざわひ)」は726年に三家(みやけ)氏が先祖と一族の繁栄を願って建てた石碑で、内容は先祖の系譜と一族の説明が刻まれております。この系譜を見ても渡来氏族の名前が出て来る事から、これを建てた人物も渡来氏族かその末裔だった事がわかります。

世界遺産に認定された三つの古代石碑が、朝鮮半島の形態で渡来人の事を刻んでいた。いかに多くの渡来人が群馬に渡って来たのかがわかりますね。何だか悠久のロマンを感じますね。
群馬のお話は、これで一旦終了します。
また群馬を散策した時にでも、続きを書こうと思います。

いかがでしたか、今日の「上野三碑」と渡来人お話。
信じるも信じないもあなた次第です。
では、また次回・・・

多胡碑
西暦711年に建てられました。
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山上碑
西暦681年に建てられました。
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金井沢碑
西暦726年に建てられました。
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山上古墳(やまのうえこふん)
山上碑の真横にあります。
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山上古墳案内板
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トランプと日本と相撲

2018.03.02.Fri.09:31
嘘みたいな本当の歴史話㉞

皆さん、世界の注目の人物と言ったら、アメリカのトランプさんですね。今日は旬ネタ、トランプの人物像の「嘘みたいな本当の歴史話」でもしようかと思います。

前回お話しした「保渡田八幡塚古墳(ほどたはちまんづかこふん)」の王の埴輪達。よく見ると共通するいでたちだと言う事、おわかりでしょうか?埴輪をよく見ると、首の周りの丸い物(宝石)、腰の派手なベルト、長い剣、そして王冠や派手なかぶり物。古代の王は権力の象徴としてこれらを身にまとって着飾っていたと言われております。そしてアメリカのトランプのみならず、全世界のトランプのキング(王様)の図柄もこれに似ていると思いませんか?

実はこの姿、朝鮮半島の王様の姿なんです。この王の着飾った姿は朝鮮半島を南下して渡来人と共に日本に伝わり、もう一方ではアジアを経て風俗と共にヨーロッパに伝わりました。古代西洋の王は王冠はかぶってはおらず着飾ってもおらず、朝鮮半島の王の絢爛豪華な服装が段々と西へ伝わり、西洋の王は世界で使われているトランプのキングの様な王の姿になったそうです。ちなみに余談ですが、トランプのキングは四種類ですが、4人の実在する歴史的王をヨーロッパ調に模した姿なんです。

さて、続きまして今話題の相撲界。相撲っていつからあるのかと言うと、そのカギが埴輪にありました。埴輪の中に一体の力士の埴輪があります。この埴輪、よく見るとあるものに酷似ている事はご存知でしょうか?それは現在の朝鮮民主主義人民共和国黄海南道安岳郡にある「安岳三号墳(あんがくさんごうふん)」、韓国朝鮮名で「안악제3호무덤(アナッチェー3ホムドム)」と言う高句麗時代の古墳の壁画に描かれた「シルム(朝鮮相撲)」の格好にそっくりなんです。相撲は中央アジアで生まれた神事的拳術と言われ、朝鮮半島に伝わり発展して日本には古墳時代に渡来人と共に伝わったと言われております。ちなみに古墳の力士の埴輪は、邪悪な力から被葬者を守る魔よけのために置かれたのではないかと言われております。

さて、最後にお話しするのは「日本」です。中国の唐が滅亡した後、唐の建国から滅亡までを書いた「旧唐書(くとうじょ)」と言う古文書が書かれました。そこには朝鮮半島の事や日本列島の事まで書かれておりますが、日本列島には「倭國(わこく)」と「日本國」と言う別々の国があったと記されておりました。「倭國」は言わずと知れた近畿圏を中心とした古代の国の名前ですね。では「日本國」はどこにあったのか?旧唐書には「日本國は元々小国であり日のいずる方角にある」とありました。つまり倭國よりも東の方角にあると言う事です。以前この事をテレビで特集していたんですが、大型古墳が数多く存在する事で、場所は群馬県と埼玉県北部(行田市)にまたがる地域ではないかと言っており、渡来人の王国であったとも言っておりました。この旧唐書は解釈によっては見解が色々ありますが、埼玉、群馬を中心とした王国が古代日本國だと言う事は興味がひかれるお話でしたし信憑性もあったと思います。
こんな角度から歴史を見ると、とても面白いですね。

いかがでしたか今日の「トランプと日本と相撲」の嘘みたいな本当の歴史話。
信じるも信じないもあなた次第です。
次も群馬ネタで・・・
では、また次回・・・
王の埴輪の共通点。
・派手な王冠や被り物
・首回りの丸い物(宝石)
・派手なベルト
・長くまっすぐな剣
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王の埴輪とトランプのキングの共通点
・王冠
・宝石
・派手なベルト
・長くてまっすぐな剣
これらは朝鮮半島の王の姿が伝わった物です。
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力士の埴輪
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朝鮮民主主義人民共和国黄海南道安岳郡にある「安岳三号墳(あんがくさんごうふん)」、韓国朝鮮名で「안악제3호무덤(アナッチェー3ホムドム)」と言う高句麗時代の古墳の壁画。
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群馬県高崎市にある大型古墳(前方後円墳)
保渡田八幡塚古墳(ほどたはちまんづかこふん)
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埼玉県行田市にある大型古墳(円墳)
丸墓山古墳(まるはかやまこふん)
映画の「ぼうの城」にも登場した古墳です。
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埼玉県行田市にある大型古墳(前方後円墳)
将軍山古墳(しょうぐんやまこふん)
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読者 つまり相撲は朝鮮が発祥の地ってことなのかな?

金さん 発祥はモンゴル付近ですよ。
日本に伝えたのが朝鮮半島の渡来人って事です!!