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行基が建立した西芳寺

2016.11.22.Tue.12:33
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嘘みたいな本当の歴史話⑧
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皆さん、夏の京都と言ったら大文字焼。大文字焼と言ったらやはり嵐山ですね。今回からは嵐山付近のお話をしようと思います。

さて、阪急嵐山線の松尾大社駅近辺には、有名な神社仏閣が多くあります。その中の一つに、女性に大人気の「鈴虫寺」があります。この「鈴虫寺」から水路を更に5分ほど上流に行けば、「西芳寺(さいほうじ)」と言うお寺があります。西芳寺と言う名前ではあまりピンときませんが、「苔寺」と言えば聞き覚えがあると思います。境内庭園には、敷地いっぱい苔で覆われて神秘的な光景が広がっており、有名観光名所でもありますね。このお寺は「国指定史跡」と「特別名勝」に指定されており、1994年には世界文化遺産にも登録されました。この西芳寺の創建はあまりはっきりしておりませんが、西暦729年~749年に「行基(ぎょうき)」と言う偉い僧侶が建立したとと言う説が有力の様です。

さて、この行基とはどのような僧侶だったのでしょうか?行基は奈良時代の僧侶で、「大僧正(だいそうじょう)」と言う仏教界最高位に初めて任命された人物なんです。あの有名な奈良の大仏(東大寺)を作ったのもこの行基で、大仏建立の総責任者でした。また行基は全国行脚を行い、各地で寺院を建立したり庶民に仏教を広めた事でも歴史に名を残しております。日本の歴史ある寺院の多くが、行基建立のお寺として今でも各地に残っております。実はこの行基、百済の渡来氏族であり、漢字を日本に伝えた「百済の王仁(くだらのわに)」の末裔であります。一説には行基は百済からの渡来人とも言われておりますが、現在は大阪生まれの百済渡来氏族と言うのが通説の様です。

行基が建立した西芳寺、時代が下って1420年6月16日に朝鮮通信使の「宗希璟」と言う人物が訪れた記録が残っております。「宗希璟」はその時の景観を「遊西芳寺」と言う題名の漢詩に残しております。百済渡来氏族行基が建立して、後に朝鮮通信使が訪れ漢詩を残した歴史はロマンを感じますね。

いかがでしたか今日の西芳寺のお話。
現在西芳寺を拝観するには、往復はがきで申し込み、¥3000以上の志納金を納め、写経すれば拝観できるシステムになっております。
自分は知らぬままアポなしで行ってしまったので、拝観できませんでした。
次回行く時は、事前に申し込んで拝観させてもらおうと思います。
では、また次回・・・
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八坂神社

2016.12.02.Fri.13:14
☆金浩さん
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嘘みたいな本当の歴史話⑥

皆さん、日本三大祭と言えば京都八坂神社の祇園祭ですね。京都の夏を彩るお祭りとして有名ですね。今日はこの八坂神社とその周辺のお話をしたいと思います。

清水寺を背にして参道を下り、一つ目の四差路を右折するとテレビやガイドブックでおなじみの産寧坂があり、更にそこを進むと大きな五重塔が目の前に現れます。この五重の塔、通称「八坂の塔」と言われておりますが、正式には「法観寺」といい、かつては「八坂寺」とも言われておりました。この五重塔(八坂の塔)は、西暦678年に建立されたそうですが、建立者が渡来人だとはあまり知られておりません。

実はこの一帯、かつては八坂郷とよばれ「八坂造(やさかのみやつこ)」と言う一族が住んでおりました。この一族、「新撰性氏録(古代氏族名鑑)」に「出自狛国人、之留川麻乃意利佐(しるつまのいりさ)」と書かれております。訳せば「高句麗人、之留川麻乃意利佐(しるつまのいりさ)から出た一族」と言う意味なんです。つまり八坂造は高句麗渡来氏族で、この「八坂の塔」がある「法観寺」は、八坂造が氏寺として建立したお寺だったんです。かつては広大な敷地を有しておりましたが、現在はこの五重塔を残すのみとなりました。

さて、「八坂の塔」から北へ500mほど進むと、「祇園さん」と呼ばれている「八坂神社」が鎮座しております。実はこの八坂神社も、高句麗渡来氏族八坂造が創建した神社であります。由来には諸説色々ありますが、一般的には「西暦656年韓国(からくに)の調進使伊利之使主(いりしのおみ)が来朝し、新羅国牛頭にいる須佐之雄尊(すさのおのみこと)を祀った」と言う事が有力の様です。この「韓国の伊利之」は先に述べた「狛国人意利佐」と同一人物で、「高句麗人である意利佐(伊利之)が八坂神社と八坂の塔(法観寺)を創建した」と言う事なんですね。

さて、八坂神社の祭神は「素戔嗚尊(すさのおのみこと)ですが、日本書紀に「新羅の曽尸茂利(そしもり)に降臨してその地に住んだ後に日本に来た」と書かれております。なぜ高句麗人が新羅の神様を祀ったのか?おそらく後から祀られたようで、最初は高句麗の祖神を祀るために八坂神社を創建して、高句麗の祖神のお祭りとして「祇園祭」が行われたのが、後に新羅渡来氏族が入り新羅の神様を祀ったようです。「曽尸茂利」とは牛の頭を意味する「소머리(ソモリ)」であり、韓国の春川、牛頭山の事です。さらに曽尸茂利は都と言う意味の古語「徐伐(ソブル:新羅の首都)」と同意語で現在の「ソウル」の語源でもあります。

八坂神社の境内には沢山の摂社がありますが、そのほとんどが朝鮮半島渡来神ばかりでした。代表的なのは韓神(からかみ)と呼ばれている「大国主命(おおくにぬしのみこと)」「少彦名命(すくなびこな)」。韓神は天皇が京都にいた頃宮中に祀られていた神様です。またえびす様として親しまれている渡来神「事代主命(ことしろぬしのみこと)」も祀られており、その他にも沢山渡来神が祀られておりました。これらの祭神は新羅や伽耶に関係ある神様たちばかりです。

今日の八坂のお話、いかがでしたか?
高句麗渡来人達の居住地八坂、そしてその高句麗渡来人が創建したお寺や神社。
面白いですね。
信じるも信じないもあなた次第です。
では、また次回・・・

伏見稲荷大社

2016.12.02.Fri.14:25

嘘みたいな本当の歴史話⑦
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皆さん、京都の中でもとかく中国、韓国の観光客に人気なのが伏見稲荷大社ですね。朱塗りの鳥居や社が多くあり、朱は縁起が良いとの事で人気があるそうです。今日はこの伏見稲荷大社のお話をしようと思います。

伏見稲荷大社は西暦711年に創建されたとされております。全国3万社ある稲荷神社の総本社であり、祭神は現在5柱(5人の神様)を祀っておりますが、元々稲荷山の三峯をご神体として「宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)」を中央の下社、「佐田彦大神(さたひこのおおかみ)」を北の中社、「大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)」を南の上社に祀った事が始まりとされております。創建者は新羅渡来氏族「秦氏(秦一族)」の「秦伊呂巨(はたのいろこ)」であります。「秦伊呂巨」は他の伝承記には「秦伊呂具(はたのいろぐ)」とも書かれております。

さて、ここの祭神はもちろん新羅系の渡来神であります。「宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)」は新羅神素戔嗚尊の息子であり、「宇迦」とは食物と穀物の事を言い、食べ物の神様として崇められております。「佐田彦大神(さたひこのおおかみ)」は別名「猿田彦命(さるたひこのみこと)」で前回お話しした韓神なんです。猿田彦の「猿」は動物の事を言うのではなく、韓国朝鮮語の「米」である「쌀(サル)」を意味するものと言われております。つまり「猿田彦」は「米田彦」で農耕の神様だったんですね。さらに「大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)」は別名「天細女命(あめのうずめのみこと)」と言い、「猿田彦命」の妻でありました。「稲荷」とは「稲がなる」と言う意味でも、この「伏見稲荷大社」は元々新羅の農耕の神として崇められていた事がわかります。

さて、稲荷神社と言えば狛犬の代わりに対のお狐様がいますね。伏見稲荷大社の狐様、夏の風物詩の語源になっている事はあまり知られておりません。
その昔江戸時代に江戸の花火師が都見物のため京都を訪れました。その花火師は自分の屋号をまだ決めておりませんでした。花火師は伏見稲荷大社にお参りに来た時に、ふと左手にあるお狐様が目に留まりました。その狐は鍵をくわえており、それを見た花火師は「これだ!!」と思いました。花火師は早速江戸に帰って自分の屋号を「鍵屋」にしました。打ち上げ花火をあげる時の掛け声「かぎや~~~!!」は屋号であり、発祥が伏見稲荷のお狐様がくわえていた鍵だったんですね。

さらに数年後、鍵屋からのれん分けしてもらった別の江戸の花火師が、都見物のため京都を訪れました。その花火師も自分の屋号をまだ決めておりませんでした。花火師は伏見稲荷大社にお参りに来た時に、ふと右手にあるお狐様が目に留まりました。その狐は玉をくわえており、それをみた花火師は「これだ!!」と思いました。花火師は早速江戸に帰って屋号を「玉屋」にしました。打ち上げ花火をあげる時の掛け声「たまや~~~!!」は屋号であり、発祥が伏見稲荷のお狐様がくわえていた玉だったんですね。
江戸の打ち上げ花火の掛け声が、思わぬところで渡来人とつながりましたね。

ここには他にもいくつか渡来人の伝承がありますが、マニアックすぎて難しく、長くなるので割愛させていただきました。
おいおい、お話ししようかと思います。

今日の伏見稲荷大社のお話、いかがでしたか?
信じるも信じないもあなた次第です。
ではまた次回・・・

法輪寺界隈①

2016.12.21.Wed.09:53
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嘘みたいな本当の歴史話⑩
皆さん、前回お話しした松尾大社を南へ400mほど下ると「月読神社(正式名称は葛野坐月読神社:かどのにますつきよみじんじゃ)」が鎮座しております。また阪急嵐山線松尾大社駅の次、終点嵐山駅のすぐ近くには、櫟谷・宗像神社が鎮座しております。今日はこの2社についてのお話をしたいと思います。
さて、月読神社ですが元々はこの場所にあったのではなく川沿いにありましたが、度重なる川の氾濫によりこの場所に遷されたようです。創建は不明ですが、この神社は長崎県壱岐市(壱岐島)の月読神社が元宮であります。古代壱岐には、「壱岐県主(いきあがたぬし)」が治める王国があり、その壱岐県主が祀ったのが月読神社でした。また月読神社は日本の道教の元祖、つまり日本の神社の元祖でもあるんです。壱岐県主と言えば朝鮮半島南部にあった伽耶系の渡来人集団だと言われております。京都の月読神社は、秦氏一族が長崎の壱岐から勧誘した神社と思われ、松尾大社の神職努める秦氏一族が代々月読神社の神職を兼任していました。
さて、松尾大社の神職努める秦氏一族が代々神社の神職を兼任していたと言えば、櫟谷・宗像神社もそうなんです。場所は嵐山の名所、渡月橋のたもと、モンキーパークの入り口に鎮座しております。この神社の元宮は、福岡県宗像市にある宗像大社なんです。宗像大社と言えば新羅とのつながりが深く、国宝の新羅の指輪も出土した神社で新羅渡来人秦氏一族が祀った神社です。また宗像大社の近辺には「ハタ」と名の付く地名が沢山あり、秦氏の居住地であった事を物語っております。
古代渡来人達は、朝鮮半島南部から日本の対馬、壱岐、九州のルートで渡来しました。そしてその航海の安全を祈願して神様を祀りました。だからそのルートには歴史ある古い渡来人が祀った神社が多いんです。
さてさて、まだスペースがあるのでもう一話。
京都嵐山には素晴らしい眺めが見下ろせる法輪寺と言うお寺があります。ここは元々「葛井寺(かどのいでら)」と呼ばれていましたが、創建者が「嘘みたいな本当の歴史話⑧」でもご紹介した、百済渡来氏族の高僧「行基」なんです。またこのお寺も秦氏一族と関連が深いんです。西暦829年、秦氏出身の僧侶「秦道昌(はたどうしょう)」が師である空海の教えにより100日間修行をして、その後虚空蔵菩薩を彫り上げ葛井寺に安置しました。この時に葛井寺は法輪寺と名を改めたそうです。この秦道昌と言う僧侶、もっとすごい偉業を残しておりますが、それは後日ご紹介いたします。
余談ですが最後に、虚空蔵菩薩とは漆、工芸の守護仏として崇められておりました。その信仰を日本に広めたのも秦氏一族で、更に漆塗りの技術を日本に伝えたのも秦氏一族と言われております。
いかがでしたか今日の神社とお寺のお話。
信じるも信じないもあなた次第です。
まだまだ嵐山のお話は続きます。
では、また次回・・・

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法輪寺の門
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法輪寺本殿
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法輪寺仏舎利塔
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法輪寺由来書

法輪寺界隈⓶

2016.12.21.Wed.10:16
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月読神社鳥居
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月読神社本殿
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月読神社案内板
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月読神社由来書