FC2ブログ

かくれ里君ヵ畑へ①

2016.12.27.Tue.11:12
白洲正子の「かくれ里」を読むと素直に「行ってみたい~」と思う。
でも、実際には気楽に行けないような場所ばかりなのだ。
車以外は交通手段がない場所とか山奥の県境とか。
観光地としてwelcomeしてくれる場所は一つもない。
女一人旅のワレには、危険を感じるような場所ばかり・・・・
君ヵ畑という「木地師の村」へも きっと一生いけないだろう・・・
と諦めていたら・・・・
416RY2CVZ1L122155jpg.jpg
あるカルチャーさんからお知らせが届いた。
白洲正子が愛した近江の「美」を訪ねて~かくれ里・君ヵ畑と近江山河抄の世界を旅する~
(55000円)
一日半で55000円って、高~
絶対に高いよ。
(「シラスマサコ」トイエバ、オバサンガ、ヨロコブトオモッテ!!)
でも、行きたい~

今回の滋賀県在住の白洲正子研究者の講師の著作を読んでいたのて、やっぱり行きたい・・・・
仕方なく お高い受講料を入金し、急きょ念願の「君ヶ畑行」決定!となった。

ちょうど 今年の仕事もメデタク無事完了したので、気分転換してこよう。
(この一年で家族が5回も入院したのです。超お疲れ~なワレ)

2016年11月25日 午前11半 米原駅集合
関東から行く場合、正直 米原駅集合は、しんどい。

24日隣町の夜行バスステーション発「11時59発の京都6時30分着」のチケットを購入した。

ところが、なんたる悲劇!!
24日は朝から大雪!!
ありえない!!
また、あの悲劇の再来か
(山の辺の道を歩こうと思い奈良の某ペンションに予約した。台風がきたので、キャンセルしようとしたら、何回かけても電話がでない。キャンセルはメールやFAXではダメ。電話のみとのこと。結局全額を払わされた悲劇)

車のタイヤがスタッドレスに履き替えてない!
ど~しょう。
普通に仕事して、夕飯を作り食べて、入浴。
ゆっくり仕度して荷物を揃え家族も寝静まった11時20分くらいにマイカーで家を出ようと予定していたのに。

まさかの雪。
キャンセルするとカルチャー旅行代・夜行バス往復・湖北ホテル一泊代等合計約10万円の損失は正直痛い。

地元タクシー会社に電話すると
「今日は予約は受け付けてません。」

あるカルチャーさんも夜行バスも予定通り決行・運行とのこと。

これは、行くきゃない!

仕事を中断して自宅へ帰り、家族の夕食にカレーを作った。
(サラダもね)
それから、いつもの旅行グッズを一気に旅行鞄に詰め込んで、隣町へGO!
2時ころ雪が止んだ。
この隙にノーマルタイヤのマイカーで峠をゆっくりと越えた。

そして、夜行バスの発車する場所を確認し、午後2時半から11時半までエンエン9時間ガストにいた。
エンエン9時間ガストにいたのは、これが人生初。
でも、関連本三冊を読んだり、スマホの写真整理をしたら、何とか時間が潰せた。

そして11時20分に「少し早いけど、夜行バスステーションに行こう」としたら、なんと!
マイカーのフロントガラスが凍ってワイパーが動かない。
ど~しょう!
焦った。
約10分くらい温風を出して、やっとフロントガラスの氷が溶けた。
良かった~

夜行バスステーションに着き、石油ストーブで温まっている受付係のおばさんにマイカーの鍵を渡したら
「お客さんはバスが来るまで、待合室にいてください。」
と言われた。
ストーブのない冷たい待合室にいる間、背筋がゾクゾクして、身体が一気に冷えてしまった。
(早く来るんじゃなかった~)
11時55分になって、夜行ハ゛スが来たときは、何より安堵して、薄っすら涙が滲んでいた。

そして、やっとやっと夜行バスに乗り込んだのです。
いつものことだけど、夜行バスは、ほとんど眠れない。
トイレ休憩には全部参加したワレ。
アラレモナイ姿で爆睡している若者達が実に羨ましい~
でも、最後のトイレ休憩から京都駅に着くまでの間30分くらい、うっすら眠れたようだ。
(これでも ワレにしては上出来な方)

京都駅のSUBACOでいつものモーニングのバイキング。
(この場所大好き♪)
近くのトイレで着替えたり、身支度を整えた。
(このトイレが旅人にとっては、京都駅で一番ありがたい優良トイレ♪)

米原駅に11時半に着いた時は、(旅行に費やすべき)大半のエネルギーを使い果たし、ヨレヨレの状態でした。

でも、この後は、あるカルチャーさんの用意してくれたバスに乗り込みさえすれば、君ヶ畑まで行けるので、もう大丈夫。
やれやれ。

☆米原駅から全国から集まった23人を乗せて、湖東三山(西明寺・金剛輪寺・百歳寺)を次々に通過し永源寺に。
永源寺湖が見えてきた。
この後は、切り立った崖のような細い林道をひたすらクネクネとバスは進んだ。
skim01.jpg
☆同じくバスから見えた永源寺湖 紅葉がきれい。
skimi02.jpg
☆永源寺から40分。リアル君ヶ畑集落 ~ついについに着いた!!
skimi04.jpg
☆20分くらいで、全て歩けそうな小さな集落。
skimi004.jpg
スポンサーサイト



かくれ里君ヵ畑⓶

2016.12.27.Tue.11:14
☆君ヶ畑の集落にバスが着くと一人の青年が案内役で現れた。
青年は、高齢化と過疎のこの村をなんとかせねばと移住してきた志ある人。
この村の語り部になって、この村の歴史と木地師の里の生活と文化を後世に伝えようとしている。
高齢化している村人もこの志ある青年を中心に、木地師の里の村おこしに取り組んでいるようだった。


☆惟喬親王(これたかしんのう)の金龍寺と高松の御所
文徳天皇の皇子。母は紀名虎の娘静子。初め,父天皇によって皇太子になる予定であったが,母が紀氏の出であったことと,嘉祥3 (850) 年に右大臣藤原良房の娘明子に惟仁親王 (のちの清和天皇) が生れたためならず、この地に隠棲。
金龍寺を建てて住居とした。村人達に、「高松の御所」と呼ばれている。

skimi06.jpg
skimi05.jpg
skimi07.jpg
skimi08.jpg

かくれ里君ヵ畑③

2016.12.27.Tue.11:26
☆この学芸員のような青年から
「今日はわざわざ全国から集まった白洲正子さんのファンの皆様に ト・ク・ベ・ツに 特別に白洲さんも肉眼では見れなかった村の御神体で、お祭りの時にしか拝見できない能面をお見せいたします。」と言われるとツァーの紳士淑女は、ドドッとガラスケースににじり寄り、一斉にカメラとかスマホで撮影ラッシュに。
~必死になったり、人を押しのけてまで撮影するのは、なんだか気が進まないワレ~
~高貴な白洲さんの「かくれ里」のイメージからどんどん離れていくようで・・・・~
でも、後でブログにする時用に必要かも・・・思い直し・・・撮影ラッシュが終わった後に結局必死になって撮影したワレでした。


skim001.jpg
skim002.jpg
skim003.jpg
skim006.jpg
skim004.jpg

かくれ里君ヵ畑④

2016.12.27.Tue.11:27
skim0005.jpg

skim004112.jpg



この能面について「かくれ里」より
P144
神社には、能面もあった。
ただしこれは御神体で、お祭りの時にしか拝見できない。
さいわい私は、能面研究家の中村保雄氏から、その写真を見せて頂くことができたが、
これこそ木地師が打ったと思われるもので、まるで伎楽面のようなおおらかな表情をしている。
ここにあげたのは、一つは翁、一つは延命冠者(えんめいかじゃ)で、親子を現わしているらしく、彩色をまったくほどこしていない。
翁に特有な切顎(顎の所を切って紐でつないである)もない。
こうした古風な面に接すると、室町時代の名人は、少なくともその大部分は、木地師の出身ではないかと思いたくなる。
そして、伎楽や舞楽が輸入される以前から、彼らの祖先たちは、山奥の木地小屋で、黙って神の顔を彫りつづけていたのだろう。


かくれ里君ヵ畑⑤

2016.12.28.Wed.16:52
☆金龍寺の近くにある惟喬親王御陵
小高い岡の上に円墳がある。
19年間 ここに住み53歳で亡くなった惟喬親王の墓と称する石塔が建っている。
(ツァーの人たちは気がつかなかったようで、誰も来なかった・・・・)
skore01.jpg
☆隠棲先の村人に轆轤を伝えた親王を慕う村人の祈りの場所であろう。
skore04.jpg
☆石門には 十六の菊のご紋章が。
skore06.jpg
☆既存の天皇系の御陵には、文化財としての興味しかない私もこの親王の御陵には長く手を合わせ祈った。
skore03.jpg
☆惟喬親王の墓と称する墓は、政所八幡、筒井八幡、京都の北山や大原、美濃の山奥にもあると言う。
どれが、本当の墓か・・・ということが重要なのではなく、それだけこの不遇な親王が各地の木地師達から慕われているということだろう。
skore05.jpg