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高野山 金剛峯寺より

2017.01.15.Sun.13:16
☆高野山 金剛峯寺 Koyasan Kongobujiさんのフェイスブックよりシェアしました。

年末年始は穏やかな好天にめぐまれ、多くの参拝に賑わった高野山も今週末は本格的な積雪となりそうです。

世間に目を移すと明日はセンター試験が行なわれます。寒波の到来により全国的に天候が心配されますが、受験される全ての皆さまが普段どおりの力を発揮されるよう遠く南山よりお祈り申し上げます。

奥深い伽藍の森に懐かれ、凛として佇む西塔。伽藍堂宇の展開において、西塔は大塔と対をなし、金胎不二を構成します。
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常夜灯は迷いの闇を照らしています。
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御影堂では毎日、欠かすことなく塔頭寺院住職が祈りをささげています。
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大師の入定千百五十年遠忌にあわせて建てられた東塔。
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モノトーンの世界に大塔の朱が映えます。
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奥深い伽藍の森に懐かれ、凛として佇む西塔。伽藍堂宇の展開において、西塔は大塔と対をなし、金胎不二を構成します。
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この季節、伽藍の堂宇は静寂のモノクロに閉じ込めらます。
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昔の人は、なぜ不便な山村に暮らしていたのか?

2017.01.20.Fri.09:06
2015年05月11日 (月)
昔の人は、なぜ不便な山村に暮らしていたのか?
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NHK甲府放送局、山岳カメラマンの米山悟です。
車で山奥の景勝地や登山口に向かうとき、なんでこんな山奥に人が住んでいるのだろう、と思う事はありませんか?買い物に不便、通学に不便、大雪や台風で孤立、と良い事が全然無い。現代都市部の暮らししか知らない大多数の人から見れば、そんな風に思えるはずです。実際若い人は出て行ってしまい、住んでいるのはだいたい昭和も戦前生まれまでのお年寄りばかりです。
続きはこちらへ

きょうは【天神様が左遷された日】

2017.01.25.Wed.15:24
☆柳生さんのフェイスブックよりシェアしました。

2017年1月25日(水)
おはようございます。きょうもおすこやかに。

きょうは【天神様が左遷された日】
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▼「九州大宰府権帥(だざいふごんのそち)を命ず」という左遷命令が、菅原道真に発令されたのが、旧暦 延喜元(901)年の1月25日のこと。

菅原道真(845-903年)といえば、当代きっての天才学者で宇多天皇の信任を得て手腕を振るった政治家(右大臣)でした。
政治改革で藤原一族の既得権にメスを入れたため、政敵藤原時平にはめられ、濡れ衣を着せられて道真は弁明の機会も与えられず、妻子と別れ九州大宰府へと下りました。

道真は都を去るにあたって、歌を詠みました。

「東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春をわするな」
現代語訳:主人(私)がいなくなっても、春が来るたび忘れること無く、梅の木よ、芳しい花を咲かせておくれ。

▼都にいた妻の死を大宰府で聞き、濡れ衣を晴らせないまま 、大宰府にきて2年後に、道真は失意のままその生涯を閉じました。

道真はしばしば太宰府近くにある「天拝山(てんぱいざん)」に身を清めて登り、自分の無罪と国家の安泰を天に祈ったとも言われ、この時に神様から「天満大自在天」の称号を得たとも言われています。
「天神様」の誕生ですね。

▼道真の死後、都では飢饉や火事、疫病が続き、権勢を欲しいままにしていた藤原一族も落雷や狂死で次々に変死を遂げていきます。

菅原道真は「最強の怨霊」として平安京の貴族達に恐れられます。

藤原時平の弟である「藤原忠平(ふじわらのただひら)」だけは、菅原道真に対して励ましの手紙を送ったりしていたので菅原道真からは祟られていません。
藤原忠平はこの後、摂政・関白となって藤原北家を支えていきます。

道真の子孫には、
平手政秀(織田信長重臣)、前田利家(加賀藩主)、柳生宗厳・宗矩・十兵衛(剣豪または大名)、大隈重信(早稲田大創立者)、菅直人(元首相)、松平定知(NHKアナ)など。

▼道真が好きだった庭の梅は、道真を慕い、はるばる大宰府まで 飛んできて根をおろしたと伝えられ、それの子孫が現在の「飛梅」だとか。
慕う人のもとに飛んでいく梅の話。
なんだか一途で素敵じゃないでしょうか?
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▼さだまさし「飛梅(とびうめ)」

♫~あなたがもしも 遠くへ行ってしまったら
私も一夜で飛んでいくと言った
忘れたのかい 飛梅

あの日と同じようにいま鳩が舞う
東風吹けば 東風(こち)吹かばきみは
どこかで思い起こしてくれるだろうか
大宰府は春 いずれにしても春~♪

小川益王監督作品 長編劇映画「白磁陶祖李参平物語」

2017.01.25.Wed.15:30
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☆原田さんのフェイスブックよりシェアしました。
小川益王監督作品 長編劇映画「白磁陶祖李参平物語」
第1回アジア国際映画祭オープニングフィルム
「文化の道ー朝鮮通信使」などを撮影された小川監督の新作だそうです。
http://aiff.asia/%e4%b8%8a%e6%98%a0%e4%bd%9c%e5%93%81/

兵庫・淡路島北部で鉄器大量出土 弥生期、高度な技術集団か

2017.01.27.Fri.12:54

兵庫・淡路島北部で鉄器大量出土 弥生期、高度な技術集団か

2017年1月25日 17時51分 東京新聞


 兵庫県淡路市教育委員会は25日、同市にある弥生時代の舟木遺跡で、4棟の竪穴建物跡や鉄器57点などが見つかったと発表した。鉄器を製作したとみられる炉の跡や、針状で工具として使ったと推測される鉄器が含まれており、鉄製品の加工、製作ができる「大規模な鉄器工房」があった可能性がある。

 同時に出土した土器の年代から、工房があったのは2世紀後半~3世紀初頭とみられる。南西約6キロには鉄器127点が過去に見つかった五斗長垣内遺跡がある。同遺跡は鉄器製作の拠点と考えられており、専門家は淡路島北部に高い技術を持つ集団が存在したことを示すと指摘している。

(共同)

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