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雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)の里を歩く①

2015.03.13.Fri.17:41
★司馬遼太郎
司馬さんの近江についての随筆の中に・・・
そぞろ歩きが楽しい雨森の集落を訪ねる喜びが
まるで少年のように素直に綴られていた。

★2013年 高月町渡岸寺から雨森の集落を目指して歩いていたら
集落方向から出てきた少女が気持ちよく挨拶をしてくれた。
見知らぬ旅人へのこの配慮に
「芳洲の心が今も生きている」と感動
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★朝鮮通信使について
芳洲の生涯について
親切な学芸員さんのお話を伺いながら
ゆっくりしたい。
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★何度行っても楽しく懐かしく麗しい雨森の集落
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訪れた人はみな、この集落に癒されて帰路に着く。
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雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)の里を歩く②

2015.07.06.Mon.14:47
雨森芳洲は1668年
近江国(おうみこく)・今の滋賀県 高月町で医者の子として生まれました
江戸に出て儒教の教えの朱子学を学び、その後、対馬藩主宗義真(そうよしざね)から儒学の学者として迎えられました
その対馬藩は、当時朝鮮との貿易や外交のすべてを受け持っていました
1雨森芳洲庵
芳洲は朝鮮語を学び、藩の仕事にたずさわました
相手の国の言葉や文化を知らないで外交ができるはずがないという信念をもち
2度にわたって朝鮮通信使の接待の大役をはたしました
芳洲は、この時の体験をもとに、朝鮮との外交で大切にしなければならないことを「交隣提醒」という本にまとめました
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歴史の中に埋もれていた芳洲を雨森の集落を何度も訪ね
歴史学者・上田正昭が資料を解読し「雨森芳洲」を発掘したのです
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その上田正昭さんの歌集史脈の中にこの歌が
231上田正昭
~雨森(あめのもりの)の蔵に眠れる「交隣提醒」ひもとく感動四十年前~
    2008年9月15日評伝「雨森芳洲」の執筆の中で