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入鹿神社

2014.12.26.Fri.17:44

私達が、学校で教わる「大化の改新」では、悪者の蘇我入鹿の首を中大兄皇子が「エイヤッ !」とばかりにカットばし、入鹿の首がスコーンと宙を舞っていた画が浮かぶ。
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こうして改新派の中臣鎌足&中大兄皇子により「日本史上初の悪者」入鹿は討たれ、専横の蘇我本宗家は滅んだ。
中臣鎌足に続く藤原氏はその後栄え続け、中大兄皇子は天智天皇となり、今に繫がる天皇制と古代の政治体制が確立した。
つまり日本人のほぼ全員が知っていいる「日本初の悪者」が蘇我入鹿だ。

ところが、橿原市今井町小網(しょうこ)町の北はずれに入鹿神社がある。

~現地では、この一帯が「入鹿」(蘇我鞍作)の邸宅のあとと伝えている。「日本書紀」に悪逆ぶりを記された入鹿であるの
に、邸宅の伝承と神社が存しつづけることは、それだけで無視し難い気がする。~・・・・「蘇我蝦夷・入鹿」門脇禎二著より

そもそも、大化改新否定論者の門脇氏によると、蘇我氏の方が、当時の先進国であった朝鮮三国の情勢を的確に把握していた国際派だったそうな。
氏によると「入鹿」は実名ではなく、「蘇我大郎鞍作」がフルネーム。
~「蝦夷・入鹿」は蔑称で、公的な文章に用いること次第何等かの意図がある~
国際派超インテリの僧旻(みん)から「吾が堂に入る者に蘇我大郎に如(し)くものなし」(「藤原家伝」)と高い人物的評価を受けていた入鹿は、決して単なる粗暴な悪者ではなかった。
国際派の蘇我氏の意見を聞き入れていたならば、「白村江の戦」のような民を苦しるだけの無謀な海外派兵はしなくて済んだかも。
むしろ、親戚さえも、殺人鬼の如く、殺して殺して殺しまくったのは、葛城皇子こと中大兄皇子。
後の天智天皇である。
私達が「蘇我入鹿」と認識していたのは、実は創られた虚像なのかもしれない。
天武天皇が、兄天智天皇のように、次々に殺人を犯さぬよう考えたのだ。
自分達の正統性を論証する為編纂した「日本書紀」により意図的に入鹿を「悪者」のでは、ないだろうか?

つくづく、歴史は、勝者により創られると感じた。

以前、藤原京跡を古代史ウォークした時はまったく気がつかなかった入鹿神社。
今度訪れた時は、討たれし入鹿に想いを馳せつつ、一人歩きたい。
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憧れの入鹿神社へ①

2018.11.21.Wed.12:59
憧れの入鹿神社へ

いつか、いつか訪ねてみたいと思っていた憧れの入鹿神社
2014年の記事はこちらです。

久しぶりに奈良で2泊することになった。
なので、JR奈良駅の近くのホテルから 念願の入鹿神社を目指した。

実は私は、かなり重度の方向音痴。
辿り着けるかなぁ

しかし、このブログを始めた2014年の頃より 入鹿神社はかなりメジャーになって来たような気がする。

門脇貞二氏の「蘇我蝦夷・入鹿」の中に
~現地では、この一帯が「入鹿」(蘇我鞍作)の邸宅のあとと伝えている。
「日本書紀」に悪逆ぶりを記された入鹿であるのに、邸宅の伝承と神社が存しつづけたことは、それだけで無視しがたい気がする。
そういえば、石鳥居にもどこにも入鹿神社の社名を示す文字も標識も何一つないことが、かえって、後世になっても入鹿を祀り続けることへの憚りを思わせる~
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入鹿神社の標識も何もない、村人が隠して信仰しているような神社に よそ者の私が辿りつけるのだろうか?
2014年に ネット検索した時、「入鹿神社」では、ヒットはなかったと記憶している。

しかし、最近は違う。
入鹿神社へ行った人のブログなとが、ヒットするようになった。
かなり知名度が増し、メジャーになったのでは、ないだろうか?
学校で教えられた歴史に疑問を持ち、自分の頭で考え、資料を読み込んで、現地を訪ねる古代史ファンが増えたのは、実に喜ばしいことだ。

でも、実際 どんな風なのか、兎に角、この目で確かめよう。

本日は、一人で念願の入鹿神社にイザ出陣!





憧れの入鹿神社へ②

2018.11.22.Thu.09:59
宿泊したホテルの無料朝食が、美味かったので、つい食べ過ぎてしまった。
少し頭がボーとして、とりあえずJR奈良駅から桜井行の電車に乗った。

プラットホームでは、山の辺の道を歩く老人のグループで賑わっていた。
古道歩きが毎週でもできるこのエリアの老人は幸せなのだ。


駅で何か困っている様子の人がいたので、どんなことでお困りなのか、近寄っていくと
出雲から1人できた女性が長谷寺と室生寺にゆくには、何処で乗り換えたらよいのか、と千葉から来た女性に訊いていたのだ。
千葉の人がJRと近鉄が両方載っている路線図を見せて、2人して確認し合っていた。
私の出る幕はないなと判断し、
電車が来たので私は2人の向かいの席に座ると
「こっちに来て、お話しましょ」と云われ 2人の隣に移った。
千葉から来た70代の人は、今日は談山神社に行くという。
出雲から来た60代の人は、京都と違って、アクセスが悪いことを嘆いていた。
確かに~
「で、あなたはどちらへ?」と2人に聞かれ
「入鹿神社です」と答えると
「えっーそういう神社があったの?」
「場所は何処?」
「でも蘇我氏って 悪い人だったんでしょ?」
「私も いつか 行ってみたいわ。場所教えて!」
と一気に盛り上がってしまった。

私も蘇我氏の歴史的復権をかけて、ついつい熱く語ってしまった。

桜井駅に着いてこの2人と別れた。
ほんの一瞬の でも 奈良の魅力にハマッている同志の楽しいひとときであった。

桜井で近鉄大阪線に乗り換え 大和八木で降りて、真西に600メートルとのこと。(旅後に分かったこと)
しかし、私は、大和八木からさらに近鉄橿原線に乗り換え、八木西口で降りてしまった。
少し遠回りしたようだ。



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憧れの入鹿神社へ④

2018.11.22.Thu.11:14
駅から徒歩20分くらいで、住宅地の中にポッカリ田んぼが現れ、その先に入鹿神社が鎮座していた。
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着きました。ヽ(^。^)ノ
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参拝者用駐車場の標識には、正連寺大日堂より先に入鹿神社と書いてある。ヽ(^。^)ノ
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鳥居の右手が入鹿神社 左手が大日堂。
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入鹿神社の拝殿
なんと!拝殿の両脇に入鹿神社ののぼり旗がたなびいているではないか!!
門脇貞二氏にこの入鹿神社の晴れ晴れた姿を見せてやりたかった!
(門脇氏は2007年に他界している。)
拝殿の前で感動の涙が流れた。
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こちらが入鹿神社本殿
拝殿の後ろに鎮座ましまして、隠れて見えないようになっている。
御神体は木像の素戔鳴命の立像と入鹿大臣の坐像二体が奉安されているそうだ。
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いつの間にか入鹿神社は古代史マニアの聖地になっていたようだった。
入鹿神社公式HPはこちら




憧れの入鹿神社へ⑤

2018.11.27.Tue.09:59
そもそも 谷口雅一氏の「大化改新」隠された真相によると
蘇我氏=逆臣史観は、日本書紀によって、植え付けられたものらしい。

☆彡天皇家最大の閨閥としての蘇我氏

~以下、その叙述に入る前提として、読者に是非頭に入れておいてもらいたいことがある。
それは、蘇我家と天皇家の婚姻関係である。
蘇我氏といえば即ち逆臣であり、天皇家と対立する存在としてイメージされることが多いが、六、七世紀において、最も天皇家と
血の繋がりの深い豪族であったことは見過ごされがちである。
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系図を見ると、馬子の父である蘇我稲目は二人の娘、小姉君と堅塩姫をそれぞれ欽明天皇に嫁がせている。
小姉君が崇峻天皇を 堅塩姫が推古天皇と用明天皇をそれぞれ生んでいる。
稲目は、三人の天皇の外戚として大和朝廷に確固とした基盤を築いたのである。
一方、これを馬子からみると、三人の天皇は彼の甥や姪にあたる。さらに馬子は、娘の刀自古郎女と法堤郎女を、それぞれ有力な皇位継承者と目されている厩戸皇子(聖徳太子)と後の舒明天皇に嫁がせている。馬子もまた、父親の稲目同様に、天皇家と確固たる姻戚関係を築いていたことがわかる。
つまり系図を眺めただけでも、こういえるのではないか。
稲目以来、蘇我氏は天皇家との姻戚を通じた強い結びつきを維持し、それを自らの最大の権力基盤したのではないか、と。
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