FC2ブログ

古代人の信仰体系①咲前神社

2015.04.08.Wed.10:16
★咲前神社

尾崎喜左雄著 「群馬の地名」より
「さて、例によって地図の上で、咲前神社と稲含山とを一直線でつないでみたところ、その直線はちょうど貫前神社の地を通るのである。
これにはいささかあっけにとられたが、偶然ではなさそうである。
咲前神社が前宮で、本宮が貫前神社で、山の上の神社は稲含神社であり、それは貫前神社の摂社になっている。
一つの信仰の体系である。」
古代の人の信仰体系にトキメク!
咲前神社s
★貫前神社
貫前神社s
★稲含山
稲含山


inafuk.png

※尾崎喜左雄先生をご存じない方は「羊太夫伝承の④」を是非ご覧ください♪
スポンサーサイト



古代人の信仰体系②小舟神社

2015.04.08.Wed.11:16
★小舟神社

これに対して、富岡の小舟神社(旧跡は鏑川と高田川の合流点近くの字小舟)と荒船山とを結んだ直線も貫前神社の地を通り、直角でないが十字に交差する。
こちらも一つの信仰体系である。
P1020090.jpg
         ※現在の小舟神社
★貫前神社
貫前神社s
★荒船山
荒船山
arafune2.png


古代人の信仰体系③宮崎神社

2015.04.09.Thu.13:31
★宮崎神社

2014-07-07S.jpg
宮崎神社S
★貫前神社
貫前神社s
★尾崎先先の講義
①②を少し整理してみます
小舟・貫前・荒船の線は鏑川流域の人々の東から西への水源の神への信仰
咲前・貫前・稲含の線は磯部の方からの雷神への信仰
であります
も一つ加えると、磯部の方には物部の人々がおったもので、その人々の神である石上(いそのかみ)神宮をまつったものであって、経津主(ふつぬし)を祭神としている
すなわち抜鉾(ぬきほこ)の神である

古代人の信仰体系④貫前神社

2015.04.09.Thu.13:48
★貫前神社の歴史

貫前神社s
★尾崎先生の講義
はじめ、甘楽郡には外来人が貫前の神をまつっていた
そこへ碓氷郡の方から物部の人々が入り込んできて、外来人を東に圧迫し、抜鉾の神をまつった
両神社が近くに鎮座することになったが、律令制の時代には、貫前神社が朝廷や国府から重要視され「延喜式」にも名神、大社の待遇を受けている
ところが、武士が起ってくると、武器や武具についての神であり、神話の武神である経津主の神が崇敬されるようになり、抜鉾神社は上野国一宮となって、江戸時代の末まで専ら抜鋒神社で通ってしまい、貫前神社は弥勒堂(本地堂)だけになって、
抜鋒神社に合併されてしまった
明治2年になって、王政復古ということから、平安時代の貫前神社に改称したのである
だから咲前神社は抜鋒神社の関係者であるが、混同されて、伝承さえもごちゃまぜになったのである
「長楽寺文書」によると「先前明神」ともかいてある
「群馬の地名・上」P204より

湖北に泊まる⓶

2016.12.29.Thu.16:25
☆ホテルのすぐ目の前に砂浜が
本日は小雨
ホテルの傘を借りて、一人砂浜を歩いた。
静かな琵琶湖
水鳥が群れていた。

浄土のような湖北の美に包まれている幸せ
いつまでも この風景の中にいたかった。
skaido03.jpg
skaido02.jpg
skaido04.jpg
skaido01.jpg