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五條新町から御霊神社工事中m(__)m

2018.12.14.Fri.09:05
五條市の御霊神社を訪ねてみたいと以前から思っていた。

五條駅で降りて、歩くことにした。

進行方向の五條新町に江戸時代の街並みがそのまま残っているので、そこを見てから、御霊神社に行ってみよう。
車の行き交うメインストリートから吉野川沿いに少し下ったところに五條新町は在った。
良い感じの重厚感のある建物が続いていて、とても気持ち良かった。
まちや館という無料休憩所があって、学芸員さんのような人と会話した。

「御霊神社にここから いきたいのですが」
そもそも 聖武天皇の第一皇女井上内親王なのに、



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奈良県五條市の栄山寺へ②只今工事中🙇

2018.12.07.Fri.10:37
藤原鎌足→不比等→武智麻呂→仲麻呂(恵美押勝)
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そもそも中臣鎌足が天智から、その貢献に対して死の直前に「藤原」の姓を賜ったことから、藤原姓になり
以後 天皇の外戚として絶世を極めるようになる。
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藤原鎌足
飛鳥時代の政治家。
初め中臣と称する。
中大兄皇子と蘇我氏を倒して大化の改新を実現、内臣として改新政治を指導。
近江令の制定にも功があり、天智天皇から大織冠の位と藤原の姓を賜わり、藤原氏隆盛の基を築いた。
天智8年(669)歿、56才。
~美術人名事典より
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藤原不比等
[659~720]奈良初期の公卿。
鎌足(かまたり)の二男。
諡号(しごう)、文忠公・淡海公。右大臣。
大宝律令・養老律令の編纂(へんさん)に参加。
娘の宮子は文武天皇夫人、光明子は聖武天皇皇后となり、臣下の立后の例をひらき、藤原氏繁栄の基礎をつくった。
~コトバンクより
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藤原 武智麻呂(ふじわら の むちまろ)は、飛鳥時代から奈良時代前期にかけての貴族。藤原不比等の長男。藤原南家の祖。官位は正一位・左大臣、贈太政大臣。
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藤原仲麻呂の乱は、奈良時代に起きた叛乱。
恵美押勝の乱ともいう。孝謙太上天皇・道鏡と対立した太師藤原仲麻呂が軍事力をもって政権を奪取しようとして失敗した事件である。 ~Wiki
s藤原仲麻呂の乱
資料室には、藤原仲麻呂の乱を説明している展示もある。
八角円堂は、仲麻呂が父武智麻呂の父の供養の為に建立した堂である。
しかし、その仲麻呂は栄華を極めた藤原一族の中では、異例の大変悲惨な死に方をしている。
藤原仲麻呂の乱
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藤原仲麻呂についての展示資料。
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八角円堂内陣柱装飾画(常陽文化財)
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八角円堂内陣柱装飾画(常陽文化財)
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資料室内部
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栄山寺は、養老3年(719年)藤原武智麻呂の開建。
武智麻呂について、色々検索してみると、想像以上に文化人だった。
その武智麻呂の追善供養の為に六角円堂を建てた、仲麻呂には、道鏡・孝謙上皇との争いから、悲惨な最後を遂げる。
そんな歴史を学びつつ、1300年前の八角円堂に別れを告げて、次なる目的地に急いだ。
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奈良県五條市の栄山寺へ①

2018.12.06.Thu.09:18
粉河に住む知人の家に一泊 泊めてもらい あたたかいおもてなしを受けた。
まだ、体調が万全ではないのに、申し訳ない。
しかし、ありがたかった。

ご夫妻で準備してくださった朝食
手前の芋粥は、夫様の手作り。
入っているの安納芋も夫様の作品だった。
全て、優しい味だった。
感謝。
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私を粉河に連れてきてくれたMさん達と粉河駅で別れ、念願の古代史ウォークへ
朝の粉河駅に一人
一度訪れてみたいと思っていた栄山寺八角堂へ行くことにした。
知り合いの彫刻家Mさんより
「奈良時代の建築で、どうしても見せたい建物がある。栄山寺八角堂。観光化されてないので、誰も行かないけど、天平建築の最高傑作。チャンスがあったら、あれだけは 観ておくべきよ。」
彫刻家Mさんが美大の学生時代にバイトして貯めたお金で一人旅して、八角堂を観た時の感動を何度も聞いていた。
今日は、その栄山寺八角堂を訪ねたい。
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和歌山線の車窓から点在する大和棟造りの集落が見えた。
惚れ惚れする美しさに、見とれてしまった。
一駅、一駅に秘められた物語があるのだろうな。
いつか、降りて歩いてみたい。
高野山に行くのも、バスツァーで突然高野山まで行ってしまうのではなく、高野口の駅から降りて歩いて行けたら、色々な発見があるだろう。
天武天皇の宮滝遺跡にも、いつか、自分で運転していってみたい。
古代史ファンにとっては、和歌山線の沿線には、魅力がある場所だ。
ワクワクしながら、車窓から景色を眺めていたら五条駅に着いた。
寂しい駅だった。
駅前に 五条観光センターがあったので、まず、行ってみた。
「栄山寺へ行きたいのですが、歩いていけるでしょうか?」
と訊ねると、直ぐに印刷された手書きの地図が出してくれた。
約2キロとのこと。
「30分くらいで行けますよ」
地図を見ながら、歩いた。
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五条駅から東にまっすぐに伸びている道を歩いた。
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所々に祠があった。
昔からの道なのだと思った。
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重厚な大和棟造りの家並み 美しい。
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吉野川も美しかった。
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栄山寺で修行をしていた弘法大師が、前を流れる吉野川があまりにうるさくて修業ができないので、石を投げ込んだところ、せせらぎの音がピタッとやんだことから「音無川」と呼ばれるようなになった。
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左手の丘陵に栄山寺が出現。
着きました。
奈良県五條市小島町503
学晶山 栄山寺

入り口の付近案内板
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受付小屋に誰もいないので、心配していたら、隣の自宅から住職が来て入場料が払えた。
境内は。誰もいなかった。
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境内を歩いて、八角堂を探した。
梵鐘、七重石塔婆、大日堂、石灯篭、本堂の薬師堂を過ぎて、少し小高くなった丘陵の麓に八角堂 正確には八角円堂が佇んでいた。
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内部の写真撮影は禁止されているが、入ってみることできた。
創建は養老3年719年
約1300年たっている。
が!なんと なんと 檜の香りがするではないか。
驚いた。
1300年経過しても 香る檜って 凄いことだ!
当時の大工の技術力も素晴らしい。

後て知ったことだか、1300年間で大きな補修はないそうだ。
やはり、当時の大工の確かな技術力のおかげと静かな環境がこういう奇跡を生んだのだろう。
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美は細部に宿る。
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まるで、生きて呼吸しているような八角円堂に感動した。
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秦壮(はたのしょう)の秦楽寺(じんらくじ)

2018.12.04.Tue.08:25
秦壮という場所に秦楽寺という秦氏の寺があるという。

一度、訪ねてみたいと思っていた。

この秦壮は、古代から渡来系氏族の秦氏の居住地だった。
秦楽寺の楽は、雅楽や猿楽の楽人を意味している。

平安京遷都後は、楽人達は、平安京周辺に移住していったのではないだろうか。
猿楽
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雅楽
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Wikiによると 寺伝では、大化3年(647年)、百済王から贈られ、聖徳太子から秦河勝に下賜された観音を当地に安置したことにはじまるという。
かつて、飛鳥に都があった時代、聖徳太子は斑鳩に斑鳩宮(今の法隆寺)を造り、学問と仏教の勉強に没頭した。
太子が政務のため斑鳩から飛鳥まで黒馬に乗って通ったのが筋違道(太子道)
秦壮はその太子道と、古代の官道である下ツ道の間に位置している。
しかも穀倉地帯。
当時は非常に重要な地であった。

百済の里を散策後 近鉄を乗り継いで 笠縫という駅で降りた。
写真を撮り忘れたが、笠縫の駅の中に秦楽寺についての大きな白い案内板があった。
駅から北西に200メートルくらい歩いた。
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大きなお屋敷が多い。
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閑静な住宅地で、重厚な造りの家並みが続き、お寺があった。
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鍾馗さんがいらした。
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こちらの豪邸にも 鍾馗さんが。
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住宅地の中に突如
こんもりした森の様な空間が出現。
ここが、秦楽寺か
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かなり盛土をして植栽してある。
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中国風の白い土蔵門。
秦楽寺に到着。
奈良県磯城郡田原本町秦荘
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門をくぐると大きな池があった。
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Wikiより 
大同2年(807年)、唐から帰国した空海が、境内に梵字の「阿」の形の池を造ったとされている。
「阿」は万物の根源を意味する。
この阿字池は、7~8月に咲く蓮の花で有名。
また、空海はこの寺で「三教指帰(さんごうしいき)」を書いたとの伝えがある。
さらに、空海が、執筆中、阿字池の蛙が騒がしく鳴き、静かにするように叱ったので、それ以来騒がしく鳴かない、という伝説がある。

今、境内のほとんどを占めている池の大きさから、かつてこの寺がいかにおおきかったか想像できる。
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蛙の鳴き声はしなかったけれど、カルガモの親子の鳴き声がにぎやかだった。
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本堂には本尊の千手観音と聖徳太子と秦河勝の像があるという。
「風姿花伝」には、この寺の前に金春屋敷があったと記されているという。
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念願の秦楽寺に辿り着け、古代からの秦の楽人の集落を歩けて、大満足だった。
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参考資料 奈良のむかしばなし 


奈良県広陵町 百済の里を歩②

2018.12.03.Mon.09:38
百済寺の境内をグルリと回ると百済公民館があった。
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北側は 百済公園となっていた。
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百済二条の循環バスの停車場まで戻って、バスを待った。
もう、歩けない。
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百済二条→百済神主→百済新子→百済公園前→百済渕口→百済森
と、全ての停車場に百済がついて、大満足。
ここは、間違いなく、百済の里なのだ。

循環バスが予定の時刻に来て、乗れた。
乗客は、私一人。
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広い田園が続き、時々、集落があった。
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15分くらいで 近鉄箸尾の駅に着いた。
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松塚の駅にはなかった駅周辺の名所旧跡の案内板があった。
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100円払って、バスを降り、広陵元気号と別れた。
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