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帰化人

2020.05.13.Wed.08:58
【7days Book Cover Challenge 】
7日連続して、自分の好きな本のカバーをアップ。
2日目 

帰化人

金達寿(キムタルス)とよく鼎談をしていたのが、上田正昭(京都大学名誉教授・故人)だった。

それまでの記紀の研究から 古代を読み解くだけではなく「東アジア」という視点から古代を研究した日本古代史の第一人者。
その上田教授によると朝鮮半島からの渡来は、重層的で主に四回であったという。
この国において最初に文字を使用し、稲作技術を伝え、土器・鉄器を製造し、機を織り、仏教・儒教を伝え、仏像を彫刻した。
古墳も神社も朝鮮半島から来たのだ。
その人々を「帰化人」と「日本書紀」では記述しているが、少し前の「古事記」では、「渡来人」と記述している。
絶対的な権力に帰属するのが、「帰化」であるのだが、当時の日本はそのような権力はまだ存在しなった訳で「渡来人」の方が正確ではという上田教授の学説から教科書の記述の「渡来人」に変化していった。
東アジアの古代史の研究から親善外交の雨森芳洲を発掘し世に送り出したのも上田教授の功績の一つと云える。

上田教授が70代の頃 ネットで検索していたら、ある記事を発見した。
それは 京都のある公民館で上田教授が在日のおばあさんたちに渡来の歴史を講義していたのだ。
「祇園祭の始まりも 嵐山の渡月橋も 広隆寺も 今日の観光都市京都の基礎を築いたのはみんな あなたたちの祖先の技術と労働の成果なのですよ。だから 自信をもってください。」とおばあさんたちに語りかけ、その後 みんなで 市内をバスツァーしたという記事でした。
こんな学者がいたのか! と私は感動したのを覚えている。

受験用の歴史教育ではなく、上田史観を学びたい。
自分の中に巧妙に刷り込まれたアジア蔑視の学校の歴史教育を乗り越えたい!と痛感しました。

「上田正昭といったら「帰化人」だよ。一世を風靡した古代史のベストセラーである。」と亡父も生前言っていた。

そんな亡父の本棚の「帰化人」は、今は私の本棚に並んでいます。

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日本の中の朝鮮文化

2020.05.12.Tue.11:21
【7days Book Cover Challenge 】
7日連続して、自分の好きな本のカバーをアップ。
1日目 

1974年 高校時代 修学旅行で初めて京都奈良を訪れた。
進学校の劣等生の私は、日々苦痛に耐え怠惰な生活を送っていた。
が、この時訪れた奈良は高校時代最大の衝撃だった。
日本人の原風景のはずの奈良・明日香村・中宮寺の弥勒菩薩・法隆寺の百済観音像にすっかり魂を鷲掴みにされてしまった。
底知れぬ歴史を秘めた微笑の仏達。
生まれて初めての衝撃だった。

が、その後の受験戦争 マンモス大学での空虚な学生生活 結婚 出産 資格試験 仕事とあの時の衝撃に向き合う暇もなかった。
2000年 私は突然 韓国に行くことになった。長男の入学した高校が韓国の高校と交流があり、親同士もPTAで事前に交流旅行をすることになっていた。校長の講演会を聴講に行った夫が勝手に申し込んでしまったのだ。
その時私が云った言葉を今でも覚えている。
「韓国なんて一番興味ないわ。行くならイギリスよ。」当時 リンボー先生シリーズを眠る前に読むのが 唯一の生きがいだったのだ。
が、せっかく行くなら事前学習しようと、戸田書店にいった二冊の文庫本を買った。
茨木のり子の「ハングルへの旅」と金達寿(キムタルス)の「日本の中の朝鮮文化」だった。
この二冊で 人生開眼。
本棚の本が ガラリと入れ替わった。
それ以降 恋愛小説 ベストセラー本 が本棚に並ぶことはなくなった。
そして、今までの受験用の歴史ではなく 京都大学系の反権利の本当の歴史学者と出会って韓来文化に魅かれ続けている。(かなり、独断と偏見に満ちた表現です。)
そのきっかけになった金達寿は、亡き父親の本棚にも並んでいた。
中国韓国台湾をこよなく愛して旅していた父親も金達寿を愛読していたようだ。



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ニソの杜

2020.03.30.Mon.09:31
みちしる
動画はこちらから

福井県
主な撮影地:大飯郡おおい町

福井県おおい町・大島(おおしま)地区には、住民が太古の昔から、畏れ敬ってきた聖地があります。「ニソの杜(もり)」と呼ばれる、田畑に囲まれた小さな森。ニソの杜は、大島地区に33か所。 中口(なかぐち)、浦底(うらそこ)などそれぞれ名前がついています。杜には、この土地を開拓した先祖の亡骸(なきがら)が葬られていると言われています。年に1度、杜ごとに決められた家が神事を執り行います。神事の時以外、杜に立ち入ることはできません。11月、神事の日。杜へ入り、赤飯などのお供え物を捧げます。遠い昔、海沿いの険しい山を切り開いてくれた先祖への祈りが守られる、ニソの杜です。
(この動画は、2017年に放送したものです。)

原発密集地の聖なる森 ニソの森

2020.03.30.Mon.09:20


福井県大飯郡おおい町大島半島に点在する杜。その杜を聖地とする信仰があり、大島を開拓した24の先祖が祀られているといわれている。毎年、11月22日23日に祀りが執り行われる。祀りの日以外は決して近づいてはならないとされている。タモや椿などの照葉樹が特徴的に見られ、杜の木を切ると不幸がおとずれるという。
日本に現存する数少ない聖地で、今その存続が危ぶまれている。

https://www.facebook.com/nisonomori
https://casamoz.org/common/pdf/cmma_n...

橿原・洞集落移転から100年 「強制的だった」

2020.03.27.Fri.11:26
奈良県)神武天皇陵見下ろす 橿原・洞集落移転から100年 「強制的だった」 部落解放同盟全国連の三宅さん研究成果、発表

戦前に行われた神武天皇陵や橿原神宮の拡張政策の一環として1919年から翌年にかけ、全戸の移転を余儀なくされた旧奈良県高市郡白橿村大字洞(ほら、現・橿原市の一地区)の歴史を掘り起こす部落解放同盟全国連合会大久保支部(準)=準は準備会の意=の三宅法雄さんが23日夜、「奈良・洞村の強制移転から100年~部落差別と天皇制について考える」と題して、大阪市北区扇町2丁目の市北区民センターで研究成果を発表した。

 自主的な献納だったとする説が流布されているのに対し、「天皇陵を見下ろすのは恐れ多い」として強制的に移転されたとみる三宅さんは、明治・大正期の文書や書簡、新聞記事、古老らへの聞き取りなどをもとに見解を述べた。約50人が参加し熱心に聞き入った。

 大阪府民らでつくる「世直し研究会」の第32回勉強会。三宅さんによると、畝傍山(198.5メートル)の北東側中腹にあった洞集落の全208戸、計1054人が立ち退いた。三宅さんは「ほうら」と昔ながらの呼び名で集落を語り、「部落民が神武陵を見下ろすのは恐れ多いと、現在の大久保町に引きずり下ろされた。私の(現在の)家は神武陵から直線にして100メートルの地点です」と自己紹介した。

 神武陵は1889年に位置が決定され、1898年拡張整備が始まった。1913年、後藤秀穂が著した「皇陵史稿」は「御陵に面して新平民の墓がある」と洞集落を非難している。4年後に奈良県が示した移転理由書の中には「神武御陵を眼下に見下ろす地位にありて恐懼(きょうく=たいそう深く恐れ入ること)に堪えざること」とある。三宅さんはこれら資料を参加者に渡して解説した。国内で洞集落の強制移転にまつわる論文第1号は立命館大学教授の鈴木良氏(故人)の著作という。

 当時、県が示した移転理由の中には、衛生上の住宅改善を必要とし、現状の土地では日当たりが悪く、地場産品の下駄表(げたおもて)の乾燥に困難とし、移転すれば生活が改善されることを示唆する。一方、三宅さんによると、移転先として選ばれた土地は、昔から「おおくぼ」と呼ばれ、その名の通り、雨が降ると水が集まりやすい低い窪地だ。洞の人々が引っ越してくることが決まると、土地に面した四条町と大久保町(いずれも橿原市)で反対の声が出て、2地区とも墓地の転入を拒否した。

 移転のための家屋の解体は1919年に始まり、人々は大八車に家の部材を積んで運び、全戸の移転は2021年1月、完了する。過酷な労役だったのか、移転の過程で生後1年以内の乳児8人を含む13人が死亡したという。自作農は3戸のみで、移転前の耕作地は村外地主の田畑が相当な比率を占めた。移転の補償金は全戸で26万5千円と、当初より増額されたが、耕した農地は献納された。

 この日の発表で、三宅さんは神武天皇陵が史実に基づかないことを繰り返し指摘した。強制移転にまつわる調査をする上で欠かせない問題になる。戦後まもない民主主義の高揚期には「洞領を吾々に返せ」と返還運動も起こった。

 人煙が絶えた集落跡には共同の井戸が残り、今も水が湧くという。三宅さんは年内にフィールドワークを計画している。「洞が移転した大久保町は現在、土地のかさ上げや排水などの治水工事が実施されているが、移転した当時は大変な苦労があったとお年寄りから聞いた」と100年前の人々の無念に思いをはせ、「この節目の年に語ることができてうれしく思います」と話した。

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